役目を終へてしからだ。

1359421911779  「歌壇」2月号月岡道晴さんの12首がある。

 成瀬有さんへの挽歌。

 成瀬さんは1942年生まれ。

 高野公彦さんよりも1年若い。(なんでもタカノさんを基準にしてしまうけれど、すいません。)

・たもつ様たもつ様とぞ司会は呼ぶ有(ゆう)の役目を終へてしからだを

は、本名と筆名を詠んだもの。

 成瀬さんほどの歌人であれば、日常生活のほとんどが「ゆう」であったはず。それが、死を境にして「たもつ」に戻る違和感を弟子として詠んだものだろう。

 とてもいい歌だと思った。

・ことしより忘らえがたき日となりぬ父の命日は主宰の命日

これも事実が痛切。

 月岡さんとはかつて一度か二度、歌会でお会いした記憶がある。いまは、旭川にお住まいで大学の先生をされている。

 短歌を続けていると、しばらく会わなくても、作品を通してときどき会えるのだ。

 写真は、高田馬場の中華弁当屋のもの。300円。

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靴紐が。

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 「歌壇」2月号の、染野太朗作品30首を読む。

 期待の作家 Close up 欄。

 ちょっとアブナイ方向に行っているようで心配する。

 リズム的には、硬質の芯がいい。

 だが、語彙的に露悪的な印象。

 悪や毒を吐露する意図があるのか。読んでいて辛い。うれしくない。たのしくない。

 蝶の翅を引きぬくとか、蛙がベランダにつぶれているとか、風が死ぬとか、顔の醜さとか、内臓のかけらのような怒りとか、君を殴りつづけるとか。

 そういう暗闇を見つめる視線じゃなくて(まあ暗闇はだれにもあるのだけれどわざわざ短歌にしないで)、以下のような歌が(作者は物足りないと思うのかもしれないが)いい。単純にいい。

・さびしさに濃淡がありぎんなんのにおいの中を蕎麦屋まで行く

・ゆうやけを右目に見つつ靴をぬぐ 靴紐が知らぬままに濡れている

(やや、吉川宏志風かもしれない。)

・水差しに水がそそがれ水差しの水がそそがる 旧いかなしみ

(旧いかなしみ、がわかりづらいかな。)

 どうでしょうか、染野さん。顔を上げてみませんか?

 写真は、池袋東武百貨店内〈華湘〉にて。

 ランチの一皿。単純な炒め物にこそ店の味が出る。

 素材のよさ、手さばきのよさを感じる上品な一皿だった。

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生き物のにおいのする歌集。

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 「歌壇」2月号。中沢直人の時評を読む。

 〈「歌集」と「歌」集をめぐって〉というタイトル。

 陸軍二等兵・渡部良三の歌集をきっかけに思索したという、森本平のに対して、中沢は、微妙な違和感を覚えると言う。(詳細は省く。)

そして、

精巧に作り上げられた箱庭のような「歌」集が毎年数限りなく刊行されている中で、生き物のにおいのする「歌集」に心が出合いたがっている

と言い、さらに、

劇的で特殊なものでなくても、生身の作者の具体的な体験がうたわれていることこそが横糸として歌集をゆたかにするのではないか。

と書く。

 後半は、山田航の歌集などについて、さらに具体的に考えてゆく。

 私がこのごろもやもやと考えて書いていることをとてもすっきりと述べてくれている。さすが中沢さんだと思った。

 写真は、中野〈季の葩〉のもの。名前は忘れたが、おいしかった。

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一冊も。

Dsc_1277  「うた新聞」12月号が届く。

 「現代短歌この一年」として、3枚くらい短い記事を書いた。

 吉川宏志、野口あや子、大口玲子、永田淳、横山未来子の各氏の歌集があったとタイトルだけ記す。

 そして、山田航、田村元、内山晶太の歌集の感想を書いた。

 それはそれ。

 驚いたのは、そのとなりのページの関根和美さんの記事。

 「今年の歌集 深奥におよぶ歌集の中から」と題するて、11冊の歌集が取り上げられている。

 そのどれも、私の挙げた歌集と一冊も重なっていない。

 ううむ。歌壇は広い、のかもしれない、と思う。

 写真は、スターバックスにて。

 もうちょっと安く提供できないものかと思う。

 ランドブロットとは、田舎風ライ麦パンのことらしい。それだけの混合率なのかは不明。うまかったからいいか。  

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付箋の意味。

Dsc_1272_2_2 「短歌人」12月号。

 宇田川寛之さんの作品に、

・書棚より取りいだしたる一冊の付箋の意味をしばしおもひぬ

があった。

 なんてことないけれど味わいのある歌。

 個人個人の歴史の深みを思う。

・「俺」と言ふことの少なき日日にしてしぼみゆくもの、ひかりゆくもの

も目に止まる。

 個人で会社を経営されていると、そういことになるのだろう。「しぼみゆくもの」いいですな。

 ちなみに、私の授業での一人称は「俺」である。初年度からずっと。 

 写真は、吉祥寺第一ホテル〈パークストリート〉にて。

 ランチビュッフェのひとさら。

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当今。

Dsc_0844  さらに、「棧橋」112号から。

・当今(たうぎん)といふ語も知らず七十になりゐたりけり伊予の山猿   高野公彦

 「当今」とは、今上天皇のこと。

 本当に知らなかったかどうかは、作者以外わからない

 ただ、そういうポーズをすなおに楽しむ。

 言い方がひそやかであるけれど、わざわざ言いたてるところに批判精神というか違和感の表出がある。

 1941年生まれの高野さんは今年の12月10日で71歳。

 伊予・長浜の海辺の町で育ったのだから、「海猿」としてもよさそうだが、「海猿」は映画のタイトル。辞書的な言葉ではない。海で育っても山猿なのだ。

 写真は、中野〈ロイスダール〉にて。

 前菜がきれい。おされ。

 高野さんは、こういうものが苦手だろうなあ。

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サッカーが。

Dsc_1225 「棧橋」112号つづき。

 (112号と書いて、あらためてすごいなあと思う。実務の影山一男さんに頭があがりません。)

 引用しようとすると、なかなかむずかしい。

 まづ連作で読んでしまっているので、一首だけを取り出したときに心細く感じるのかもしれない。

 「一首」だけで勝負できる歌の難しさも思う。

・サッカーが勝つてるらしいせせらぎに混じりラジオのニュースが聞こゆ    片岡絢

 ぶっきらぼうに投げつけるように歌うのが得意な作者。

 キャンプに行ったときの歌の連作から。

 「サッカー」という乱暴な言い方から、多くの人が注目している国際試合だろうとわかる。それを、あまり興味のない(そうかといって、その話題を拒絶するほどでもない)作者。

 他人とのコミュニケーションの話題としてのサッカーに巻き込まれてゆくさなかの感じかな。

 写真は、中野通り〈コパン〉にてピザ。

 茄子と、万願寺とうがらしだったかな。

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じふまい。

Dsc_1265  「棧橋」112号つづき。

・くつしたがじふまい二日でにじふまい垂れさがりをりしづくの型に   久保田智栄子

 いくら偉そうなことを言っても、生きてゆくことは靴下を洗う(洗ってもらう)ことでもある。

 作者は3人のお子さんのお母さん。現実の生活を読みながら、生(せい)を詠む。

 宮柊二の言った「生の証明」に近づいている作品だろう。

 結句の「型に」はぎこちない。

 が、じふまい/にじふまい、のべったりとした感じは途切れることなく続く生活と家事への多少の、そして強過ぎない、抵抗を示しているようだ。

 写真は、中野〈オリエントスパゲティ〉にて。

 和牛ボロネーゼ、 モッツァレラ、クラッシュエッグのせ、無添加玉子フィットチーネ

(和牛三種部位、合鴨、ホロホロ鶏レバーとマッシュルーム、香味野菜をたっぷりの赤ワインを使って仕込みました!)

 これも、超うまい。 (写真は下手ですが。)

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眇の人。

Dsc_1264_2  「棧橋」112号の批評会はぶじに終わる。

 巻頭は、水上比呂美さんの96首。

 「古代歌謡集」からの3首の漢字表記を、一首づつの冒頭においたアクロスティックの試み。

 ひらがなでやればいいところを、わざと漢字したので無理はある。

 が、ふつうにやっては導きだされないような不思議な歌があったのがよかった。

・〈夜〉が在る 液、腋、鵺の字の中に 〈夜〉の中には眇(すがめ)の人居り

・岐(ふなど)といふ名の男子ゐてなまへにはいつもふりがな付いてゐたりき

・由比ヶ浜へ泳ぎに行きし昭和半ば母の手縫ひの赤い水着で

など。自分の歴史をさかのぼるような感覚。

 写真は、新大久保〈王将〉にて。

 餃子定食。餃子2人前など。餃子は王将に限る。

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死にごろ。

Dsc_1258  「コスモス」12月号が来る。

 巻頭の特別作品に高野公彦さん歌がある。

 これは選者が良しとして推薦する作品欄。

 高野さんは締め切りの関係(?)で、この欄に載ることはしばらくなかった(と思う)。

 (今月の選者は宮英子さん。)

・自分より若く逝きたる人のこと悼む時わが魂きよし     高野公彦

・死にごろに近づく我か死にごろを過ぎたる我か寒の白湯(さゆ)うまし

 白湯にもルビを振るのが高野さんらしい。

 写真は、ウチのピッツェリア、〈コパン〉にて。

 ブロッコリーとスモークサーモンのビアンカ(白)ピザ。サーモンの香りと塩味がいいアクセント。飽きがこないうまさ。 

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