のほほんと。

Dsc_1393  宮英子さん『青銀色』のつづき。

・努力してこの夏を超ゆひとさまが見ればのほほんとすごす我にて

にも目がとまる。

 かつて、80歳を超えると、毎年10歳づつ歳をとるような感じで体力が衰える気がする、とおっしゃっていた。

 しかし、九十を超えてもまだまだふつうの感じ。

 ただ、この歌のように「努力」されているのだとわかる。

 「のほほんと」過ごされているようにはお見受けしないけれど。

 写真は、高田馬場のタイ料理〈ボス〉にて。

 「セット1」という名前のランチ。

 鶏肉のガパオ(バジル)炒めと、竹の子のカレーが両方味わえるお得なセット。初心者向けでとてもいい。

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自覚あらねど。

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 宮英子さん『青銀色』(短歌研究社)。

 タイトルは、あをみづがねと読む。

 一首一首に、なんらかのひっかかりがある歌集。

 行きつ戻りつしながら読んできて、なかなか進まない。

 九十歳から九十五歳までの歌。

 老いによる心身の不如意を詠んだ歌は多い。

 が、その中に、

・老いたりと自覚あらねど夕暮れは腰痛むゆゑコルセット探す

があって、驚く。

 「自覚あらねど」???

 ううむ。そういう気持ちに一瞬でもなれるのはすごいことだ。

 写真は、フォーシーズンズホテル椿山荘〈イル テアトロ〉のパン。

 二人のランチなのにこんなに出て、けっきょく食べてしまった。

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いない世界。

Dsc_1072_2  岡部桂一郎さんが亡くなって数日。

 どうやって知ったのか。

 ツイッターだったか。

 享年97ときいた。

 一度お見かけしたことがある。

 迢空賞受賞のときだっただろうか。

 人は、ご存命であるというだけで人に勇気を与えるものかもしれない。

 たとえば、岡部桂一郎のいた歌の世界と、いない世界。

 壁面のタイルが剥がれおちたような感覚。

 もちろん、作品はいつでも傍にあるといえるけれど、なにか違う。

 合掌。

 『一点鐘』より。

・雪が降る嬉々と降るなか苦しみて降る雪片のあわれかがやく

・巨大なる海星(ひとで)の影がなか空を渡りて心くらくなりたり

・とめどなく心乱れているわれを「よいしょ!」と抱え人運びけり

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身じろぎならず。

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  浜名理香さん『流流』からもうすこし。

・夕ぞらをよぎる雀の五羽六羽熾に爆ぜたる火の子のごとし

(オキにハゼタル、と読む。)

・裏道に壜の崩るる音のして壜を叱りている声聞こゆ

・道ばたの草生の糞の鮮しく歓びの声上ぐるがごとし

・金蛇を仔猫が脚に押さえつつ仔猫のほうが身じろぎならず

など、大作ではないけれど、短歌の良質なポイントをおさえていて、とてもたのしい。

 こういう歌こそが、技術の見せどころだし、短歌の本領発揮という気がする。

 何で「崩るる」とか「上ぐる」とか文語なのかなあ。統一感を考えておられるのかなあ。

 写真は、〈栄寿司〉の鯖。

 マスターの方から、きょうはイイ鯖があるよ、食べる?と声をかけて来たほどの鯖。

 セキの方の鯖だという。ブランド品ではないけれど、実質的に関サバと同じということらしい。

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酸を溜めて。

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 寒くなってきた。

 浜名理香さん『流流』(砂子屋書房)を再読。

・朝刊の来ているらしく玄関の差しこみ口に横あかり漏る

・実のうちの小ぶくろごとに酸(す)を溜めて柚子の鬼面(づら)熟れて色づく

など、いいなあと思う。

 タイトルは「りゅうる」と読む。

 文語だけれど新仮名の作者。

 写真は、新大久保〈栄寿司〉にて、昼どきのセットのつづき。

 いい赤身だった。

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「棧橋」112号。

 今日は、「棧橋」112号の批評会@竹橋。

 朝10時半から午後5時まで。やれやれ。

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深夜。

Dsc_1180  時田則雄『オペリペリケプ百姓譚』(短歌研究社)を読む。

 十勝での大規模農業の様子をもとに豪快に、そして繊細に詠む作者。

 全体はさておき、

・ジョン・コルトレーン体躯に浴びながら深夜畑を起こしてゐるぞ

・トラックのハンドルに凭れて眠りたりコンバイン闇に轟く深夜

など、「深夜」に農作業をされていることを言う歌がいくつもある。

 いったい何時ごろのことなのだろうか? 

・吐く息もたちまち凍る午前四時バックホーと俺一体となる

もある。

 これは朝起きての4時なのだろう。

 そういう事実の点でも、吸い込まれような歌集である。

 写真は、まったくそぐわなく。

 回転寿司の白子はどこから調達されるのか。やや怖いけれど、食べる。

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ミーンミーンの。

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 浜名理香さんの『流流』を読みつつ。

 (流流は、「りゅうる」とお読みする)

 数ある秀歌は後回しにして、

・おまえらはミーンミーンのセミプロだ石田センセイ盃置けり

にひっかかる。

 石田比呂志さんとは、島田幸典歌集『no news』の批評会(中野サンプラザだったか?教育会館だったか?)で一度だけお話させていただいた。

 その島田さんと浜名さんは別のグループに別れて競われている。

 石田さんを想いながら、浜名さんの歌集を読む。そういうつながりも短歌にかかわる楽しさのひとつ。

 写真は、新井薬師前〈大番〉のカレーラーメン。

 カレーも出しているこの店。 そのカレーをラーメンにトッピング。なかなかいい。

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カレンダー。

Dsc_1123 来年度の「短歌カレンダー」が届く。

 一ト月あたり数人の歌人の色紙の写真と、多くの人の歌が羅列してあるもの。(まさに羅列という感じの小さな活字で)

 いつか自作の使用許諾を出した気がする。

 だれが飾るのかなあ?

 なかなか短歌の(商業的)世界も奥が深い。

 写真は、小島ゆかりさんの色紙。

 いっそのこと、色紙だけならいいのになあとも思ったけど。

 いい歌です。 

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咲きました。

Dsc_1018 狩野一男さん『悲しい滝』(悲しい酒ではない)のつづき。

 ご病気のあとのお身体の不如意とともに、それ以前も歌い上げられてきた、「生」(せい)への畏怖がもう一つのテーマ。

 死の淵から生還した作者だと知れば、その言葉はさらに重くひびく。

・咲きましたさくらの花が咲きました生きよ生きたき者よ生きろと

・いろいろなことありしかど何事も無かりしごとしさくらを見れば

・通勤のよろこび胸によみがへり独り笑みして歩むなりけり

・感動をするには年を取り過ぎたかもしれないが紫陽花に寄る

などの一直線の生真面目さの歌に混じって、

・腹立(ふくりふ)や性愛不可、を主治医からきつく指示されたる身であるが

などの歌があるのが狩野さんっぽくていいのだ。

 写真は、中野〈コパン〉にて。

 イタリアハムとブロッコリーのピザ。明るく楽しい一皿だった。

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