そのまま戦争ではない。

Dsc_09834 池澤夏樹『カデナ』から書き抜き。

(これでやめます。)

 フィリピン系アメリカ人として嘉手納基地で働き、ベトナム北爆の情報をスパイしていた女性軍人のセリフ。

「つまりね、軍人として働いていても、それはそのまま戦争ではないのよ。

人が死ぬ場に立つのとは違う。

陸軍や海兵隊の人たちならばそうは言わないだろうけど、空軍はね。

とりわけわたしなんか事務ばかりだし。

パトリックにしても、爆撃機で上空まで行っても、落とした爆弾が爆発するところは見ないでしょう。

アブチラは死を入れた冷蔵庫みたいだった。

死があんなに親しいものってかんじられるところはないわ。」

 アブチラなどのガマには修学旅行の下見と引率で行った。これからも連れて行きたい。

 1970年くらいの設定だから、ガマの中には人骨が散乱していたという設定。今とはまったく違うだろうけれど。

 写真は、〈すき家〉のやきとり丼。

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軍隊。

Dsc_10151 池澤夏樹『カデナ』つづき。

(改行はわたし。)

「では身体(からだ)に喩(たと)えよう。意思は心だ。あるいは脳だ。

軍隊では一個のものすごく大きな身体にとても小さな脳が付いている。

形としてグロテスクだ。

いよいよとなると脳は手足を切り捨てても自分だけ生き残ろうとする。

もっとグロテスクになる。

沖縄戦で日本軍がしたのはそういう戦法だった。」

 写真は、大久保〈平禄寿司〉にて。

 カジキマグロの中落ちだったかなあ。チューブから生クリームを絞るようにして、チュルルッって出してくれた。

  不安だけどよく調整された味だった。

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愛国心。

Dsc_1170 池澤夏樹『カデナ』から気のついたところを書きだしてみる。

(改行は私)

「いえ、私が言いたいのは、愛国心は感情としてどこか気恥ずかしいものだということです。

勢い込んで頑張ったりもするけれど、しかし愛国心は例えば恋や友情に比べたら劣等な感情ですよ。

どこかに無理がある。そのくせ生命が掛かっている。掛けられてしまう。

嘘が混じっているのにそれは言ってはいけないことになっている。だから劣等なのです。」

 スパイ活動をしていたベトナム人(日本領サイパンで暮していて、その後沖縄に戻った人)のベトナム戦争中の終盤のセリフとして。

 写真は、〈山頭火〉にて。

 チャーシュー麺のしお。完成品ですな。

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『カデナ』。

Dsc_0669  池澤夏樹『カデナ』(新潮文庫)を読む。いまごろだけど。

 イケザワ先生の小説は、『マシアス・ギリの失脚』『花を運ぶ妹』『すばらしい新世界』『静かな大地』などなどの長篇も、その他短編やエッセイもけっこう読んだ。

 小説はどれも、小説という「技法」を使って、作家が勉強したこと考えたこと伝えたいことをとてもわかりやすく言ってくれる。

 骨格が明らか過ぎるけれど、その呼吸がいい。

 視点のベースには日本語や日本をなるべく客観視しながらやはり、日本語話者であり日本人である、というものだろう。

 (外国人を登場人物に設定するのも、そのための装置なのだ。)

 『カデナ』では、フィリピン系アメリカ人が主人公の一人である、とか。

 そういうフィルターを通って(というか、きちんと通さなくてはいけないと作家が思おうとしているのがよくわかるのだが)、出て来る言葉と波長が合う。

 こういう風に考えることがおそらく正しいと思わせる思考回路と、おそらく文体。

 写真は、新大久保〈栄寿司〉にて。

 ランチに追加したアナゴ。

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『キオスクのキリオ』。

Photo  東直子さんの『キオスクのキリオ』(筑摩書房)。

 10篇の短編小説集。

 東さんの小説によく出てくる、ちょっと不思議で魂が剥き出しになっているような人物がつぎつぎに登場する。

 関西弁(大阪弁?)で語るキリオさんのセリフは、なんというか、薬師寺のお坊さんの口調のように勝手に思ってしまった。

 つまり、文体に癒されるという感覚かもしれない。

 駅は、阪急か阪神の住宅街用の駅のような感じかな。

 どれもいいけれど、「調合人」のドキリとするところとか、「ミルキー」のちょっとだけ異次元に足を踏み込む描写とか、「夕暮れ団子」のとりとめのない感じとか、が特によかった。

 「シャボン」のなかに、

お姫さまの結末は、結婚してしあわせになりました、か、泡になったり月に帰ったりして、その場からぽっかり消えてしまうかのどっちかやな。ずっと、おんなじ場所におって、ずっとなんとなくしあわせ、っていうのは、ゆるされへんねん。

というところに、なぜか、ぐっと来たりした。

 「空の中」の、

しかし、二十年なんて、あっという間やな。あっという間に過ぎてしまう一年が、二十回あるだけなんやな。

という部分にも、はっとしたりした。

 たくさんの人に読まれて欲しい本です。ありがとうございました。

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困ってる。

Dsc_0586 『困ってるひと』つづき。

  基本は闘病記であるけれど、もっと広く、社会や制度との格闘に傾いてゆく。

 序盤は病状の説明が多く読み応えがあったのだが、じょじょに筆が滑ってゆくのが残念。

 おもしろおかしく書けることに作者が気付いてしまって、その路線に行ったのだろう。

 もっと深刻な書き方があるのだろうけれど、それでは売れないと編集者側が判断したのだろうか。

 なんだかんだ言いながら、すさまじい行動力であって、リアリティに欠ける気もする。

 というのは、内容だけからの判断であって、作者の一瞬一瞬を思うと想像が止まるほどだ。

 とにかく、シャバに出られてよかったです。応援します。

 写真は、練馬のカフェ〈ココトモ〉にて。

 大根のトーズケーキ。

 すりおろした大根が入っていて、シャキシャキした食感。

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『困ってるひと』。

Dsc_0664 大野更紗『困ってるひと』(ポプラ文庫)を読んだ。

 この夏、国語の先生の中学1年生へのイチオシ。

 ブログでちらっと読んだことがあるけれど、そのままになっていた。

 著者は、上智大学外国語学部の後輩にあたる。(彼女はフランス語。)

 ビルマ女子と呼ばれていたとか、村井吉敬先生の名前がでてきたりとか。

 私も、中韓の留学生とつきあうサークルに入っていたし、そういうアジア好きの人の周辺にいたので、雰囲気はわかる。

 (アメリカ・英語関係、言語学・日本語関係の授業が多かったし、短歌もやっていたから、それほど深入りはしなかったのだが、そういう知り合いは多かった。)

 お客さんより主催者側のが多い講演会を何度もやったしなあ。

 昔話になってきた。すいません。(つづく)

 写真は、勤務校のゴーヤーのカーテン(みどりのカーテン?)の収穫物。

 担当者から、ありがたくいただく。 

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ツナミ。

 きのう、毎日新聞に掲載していただいたのは、以下の作品。

 アメリカで作った、わけではないけれど、着想はアメリカ滞在。

Photo_3 

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ふたつの日本語。

 「短歌研究」3月号の、桜川冴子さんの歌に、

中一の授業してまた高三へ戻り授業すふたつの日本語

Ca3g2832があった。

 まさに、同感。

 桜川さんは福岡の方で、中高一貫の(たしか)女子校の国語科にお勤め。

 私は英語科だが、それでもよくわかる。

 もっとレトリカルに言えば言えるところを、「ふたつの日本語」と抑えて言っているのだろう。

 私の感覚では、「ふたつの日本語」でもあり、かつ違う大陸の言葉のような気がする。

 それは、固有名詞的な知識もそうだし冗談などの言葉の二重性もそうだし、そもそも別の動物という気もする。

 写真は、中野・松が丘〈コパン〉にて、キノコのピザ。

 このお店は、地味なランチ営業でも、ほんとうに安くておいしい。

 腕がよく、生地もよく、釜もいのだろう。はずれなし。

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北原白秋 うたと言葉と。

 NHKカルチャーラジオ 詩歌を楽しむ 「北原白秋 うたと言葉と」

 初回の放送は、明日6日(金曜日)午後8時30分からです。

 らじる★らじるでなら、パソコンで高音質で聴けます。

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