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言えよ。

Dsc_1164 授業で tired という語が出てくる(というか出す)。

 机に突っ伏し気味の(英語が得意な)生徒に

Are you tired? (ねむい?)と聞く。

Yes, I am. と答えがくる。

 そうじゃないだろ、I'm sorry. って言えよ!と教える。

 Can you ~? を使う文が出てくる。

 英語がかなりできる生徒に、

Can you open the window, please? と聞く。

 いたずらな彼は、No, I can't. と答える。

 そうじゃないだろ、I'm sorry.  I feel cold in here. くらい言えよ!と教える。

 まだまあ中1なんだなと思ってかわいく思う。思いこむ。

 と同時に、かなり英語ができるはずなのに、機械的やりとりに染まっている彼らをつくづく日本人だと思う。

(それをぶっ壊そうとしているのがNHKラジオの基礎英語。文法を教える教材としては使いにくいけれど、執筆者の意図には賛同する。)

 写真は、パティスリー・マザーリーフ(夏目坂店)の、大納言と抹茶とロールケーキ。

 甘さ控えめでうまい。

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『カデナ』。

Dsc_0669  池澤夏樹『カデナ』(新潮文庫)を読む。いまごろだけど。

 イケザワ先生の小説は、『マシアス・ギリの失脚』『花を運ぶ妹』『すばらしい新世界』『静かな大地』などなどの長篇も、その他短編やエッセイもけっこう読んだ。

 小説はどれも、小説という「技法」を使って、作家が勉強したこと考えたこと伝えたいことをとてもわかりやすく言ってくれる。

 骨格が明らか過ぎるけれど、その呼吸がいい。

 視点のベースには日本語や日本をなるべく客観視しながらやはり、日本語話者であり日本人である、というものだろう。

 (外国人を登場人物に設定するのも、そのための装置なのだ。)

 『カデナ』では、フィリピン系アメリカ人が主人公の一人である、とか。

 そういうフィルターを通って(というか、きちんと通さなくてはいけないと作家が思おうとしているのがよくわかるのだが)、出て来る言葉と波長が合う。

 こういう風に考えることがおそらく正しいと思わせる思考回路と、おそらく文体。

 写真は、新大久保〈栄寿司〉にて。

 ランチに追加したアナゴ。

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マライア。

Dsc_1151 中1の授業。

 Happy Christmas の次は、Santa Claus is coming to town

 1994年のマライアキャリー版を使う。

(幼稚な雰囲気にならないように。)

 ひとクラスで数人はこの曲を知らないと言う。(ほとんどが知っていることがすごいのか。)

 マライアキャリーが何者だか知らない生徒がほとんど。

 日本でいうと浜崎あゆみだな、と説明すると、浜崎あゆみを知らない奴がクラスで5人くらいいる。

 まあ、こういうのは知らなくても挙手しないから、もっといるのだろう。「教育とは、早く大人になれ、と言い続けることだ」というのはだれの言葉だったか。

 そういう世代を相手にしております、と言いたいのです。

 もちろん、フランプールなんてほとんどが知らないのです。

 写真は、いつもの中野〈コパン〉にて。

 イタリア産ハムとほうれん草のピッツァ。

 飽きないなあ。

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カキイカ。

Dsc_1163  過日、いつもの新大久保〈一六八〉にゆく。

 週代わり定食の黒板に(稚拙なカタカナで)「カキイカフライ」とある。

 怖いもの見たさで注文。

 (←)カットしてあるものがイカフライ。

 楕円形のもの(2つ)がカキフライ。

 両者とも味がしっかりついていて、ソースは不要。(そもそも、置いていない。)

 クリスプに揚がっていて、うまい。

 ただし、カキフライは通常の日本のものとは違う。

 外はカラリと中はホックリと揚げる感覚ではない。肉屋さんのポテトフライ(フレンチフライでなく)の中身が牡蠣になったくらいの硬めの食感。

 失敗作なのか、中国ではそういうものなのか。

 日本語が通じない店員さんばかりなので、聞かずに帰る。

 (サラダはマヨネーズはほとんど除けて食べました。)

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レッド。

Dsc_1053  中1の授業で、ジョンレノンの Happy Christmas(War is over) を歌っている。

 クリスマスはまだまだだが、クリスマスのころに授業はない。

 その中で、

For black and for white

For yellow and red ones

という歌詞がある。

 黒人白人黄色人種とつづくので、red はおそらく「アメリカインディアン」のこと。

 ある生徒に、red って共産主義者のことじゃないでしょうか? と問われる。

 ジーニアス英和辞典(第4版)の、red の項目にインディアンはない。

 redskin を見ると、「(やや古)(侮辱)北米インディアン」

とある。ワシントン・レッドスキンズというNFLのチーム名前もPC的に問題になったことがある。

 ふと、自分のことをピンク人だと言っていた白人の故デニー・ペティート先生を思い出す。

 写真は、中野 j.s.pancake cafe にて。

 サーモンとアボカドですな。クリームもうまい。

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杖とり直す。

Dsc_0244 角川「短歌」11月号が来て、角川短歌賞の発表を見る。

 藪内亮輔さん、おめでとうございました。

 それとは別に、巻頭には宮英子さんの30首がある。

 23歳の藪内さんと、95歳の英子さんが同じ場にいる。

 くらくらしながら、読み比べる短歌に関わる楽しみのひとつ。

 宮英子さんの一首目、

・夕ひざし思ひのほかにあたたかく出で来し道に杖とり直す

 藪内さんの受賞作の一首目、

・傘をさす一瞬ひとはうつむいて雪にあかるき街へ出てゆく

 写真は、高田馬場、300円中華弁当店にて。

 唐揚げに、さらに味をつけている。いやもう。

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どこですか。

Dsc_1040 都内某所の文化会館。

 中学生の団体が芝居を見に来ているとする。

 ホール内の生徒「せんせー、トイレどこですかあ?」 

 教員①「えー、どこだったかなあ?」と言って腰を浮かせていっしょにロビーに出る。

 教員②「えー、そこ出て右行って奥の方かな?」

 教員③「自分で探せよー、そんなもん!」

 私は③が正解だと思っている。

(わかりづらいところなら、ちゃんと教えますけど。)

 写真は、新大久保〈一六八〉の中華丼。

 野菜が摂れるのがいいと思う。

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木下龍也さん。

Dsc_1098_2  短歌大会つづき。

 今回、質量ともにMVPと言えるのが、木下龍也さん

 周南市、20代の作者。

 15人の選者のうち12人が佳作以上に挙げている。

 (逆にいえば、来嶋さん、花山さん、穂村さんが採っていない。)

 大会賞となった、

・自販機のひかりまみれのカゲロウが喉の渇きを癒せずにいる

は、東日本大震災と関係があるかもしれないと読まれた。

 私はそういう大きな事件とは切り離して読めるかどうかが短歌のたいせつなポイントだと思う。震災に結びつけると、ちょっとハナにつく歌のように思えてしまうだ。

・引き続き瓦礫と人が流れますテレビの前でお待ちください

を佳作とした。このほうが直截的でありながら非情さがナマに伝わって来る。それがすごくいい。(部外者の身勝手として)。 他にも、

・疑問符のような形をした祖母がバックミラーで手を振っている

・たくさんの孤独が海を眺めた等間隔にならぶ空き缶

など秀歌があった。

 ぜひ、結社に入って歌を続けていただきたいと思う。

 写真は、北海道郷土料理〈ユック〉(竹橋パレスサイドビル内)にて。

 生ウニと鮭の丼、それに小鉢の定食。

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マカロン。

Dsc_1113 全国短歌大会つづき。

 私が上位に選んだ3首は、

(選者賞)

缶コーラ置き忘れてる自由席だれかが脱皮し終えたように  穴井洋江さん

(佳作第1席)

母なる河を裂きつつ進みゆくボォト嘆きならねど小さく軋めり  久間恵美さん

(佳作第二席)

脳内を走り抜けてくマカロンに恋と名付けて追いかけてみる  大橋謙次さん

どれも比喩の歌になった。

 膨大な作品の中から無記名で歌を選ぶと、こういう作品が目に止まる。

 作者名とそれまでの作者の人生の歩みを知って深く読むのも短歌の楽しみ。一方、こうして無記名でもそこから作者像を作りだしてゆく(想像してゆく)のも楽しみのひとつ。

 写真は、中野〈バール コングレッソ〉にて。

 ハムとチーズのパニーニ。やや盛りが少ないけれど、眺めがよかったからいいかな。

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水切り。

Dsc_1104 先週土曜日の全国短歌大会。

 15人の選者の一人として、選歌、選考会議、当日の大会、の3つ(別の日)に出席。

 これでひとセットの仕事。

 今回、穂村弘さんが佳作に選んだ作品の中に、

・水切りをするとき不思議もう君はこの世にいないほんとに不思議

があった。

 穂村さんは、水切りって、平たい石を水面に投げる遊びかなあと言っていた。

 私もその解釈に賛成。

 ただ、キッチンでのお皿の水切りも、切り花の茎を水中で切る水切りも、解釈としては可能。

 穂村さんは、生活の縁(へり)と言っていたか、深刻なことから遠い方の、と言っていたか覚えていない。

 けれど、そういう不即不離の言葉をさがす嗅覚のようなものが、秀歌には効いているのだと思う。

 写真は、「コスモス」の編集室でいただいたいちじく。見た目も味もすばらしかった。

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エンディングノート。

Dsc_10011  毎月いただく結社誌、同人誌など、それなりの数。

 すべてに目を通せるはずはないが、ちらちらと読めば、もちろん感想は浮かぶ。

 それを逐一文字にすることはない。

 もったいない気もするけれど、生きているとはそういうことなんだと思う。

 さっき読んでいた「コスモス」11月号にこんな歌があった。

・エンディングノート十余種横書きのものばかりなりなにゆゑならん  武田弘之

 これは若者からは出にくい。

 なにゆゑととぼけているけれど、編集者として生きて来た武田さんの矜持と憤りが感じられる。武田さんは80歳を越えておられる。

 ブログだって縦書きにしている人は奇特だろう。ツイッターやフェイスブックではまず無理。

・七十年惜しまず使ひ枯(から)びたる落葉のごとしわがてのひらは  森重香代子

そういうものなのかなあと思う。短歌をやっていると、実体験よりさきに、大量の老化に関する情報が入ってきてしまう。

 こういうさりげない秀歌を読めるのは喜びなのだけれど。

 写真は、新大久保〈一六八〉にて。

 ブロッコリと豚肉炒め、とてもうまくて500円。だが肉はほとんどなし。うまかったけどなあ。

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グッドモーニングカフェ。

Dsc_1078_2   過日ふたたび、中野四季の森公園へ。

 中野セントラルパーク・サウスという22階建てのビルがある。

(名付けがわけわからないけど。)

 〈グッドモーニングカフェ〉へ。

 名前は陳腐。でも、店構えもいいし、雰囲気も良い。

 個人的には。イリノイカフェとか、クーパーズタウンカフェとか、がいいと思う。

 でもそれでは、人々にはアピールしないのだ。

 ベタベタに「グッドモーニングカフェ」がいいのである。(それが商売というものだ。)(だから私は商売に向かない。)

 ウエイトレスさんたちは、みんな元チアリーダーか(元AKB48か)と思えるくらいの元気さ。 アメリカのウエイトレスみたいに。

 焼きさんまのスチーム混ぜご飯、赤ワインソース。

 低糖ヘルシーメニュー、らしい。

 身体に悪くてもサンマなら食べたい。(身体に悪くても牛丼を食べるように。)

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ダイマツ。

Dsc_1011  そういえば、おとといの会で、岡野弘彦さんに、ダイマツさん、と何度も言われた。

(岡野さんとパネルをごいっしょするのは2回目。)

 いつのころか、ダイマツでもオーマツでも気にならなくなった。

 いわゆる北京語で、香港はシャンカンと発音する。

 胡錦濤のことは、北京語風英語ではフーチンタオと呼ぶけれど、香港ではウーカムトゥと発音するらしい。

 オーマツです、と自己紹介する。

 と、その人は、大きい松の木だな、と漢字変換し、それを読んでダイマツとおっしゃるのだ。

 ただし、ダイマツは重箱読み。

 写真は、大久保〈平禄寿司〉にて。かつおのたたきだったかな。

 なんでもアリ感がいい。

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岡野さん。

Dsc_0638   昨日は、現代歌人協会の公開講座。

 パネリストは、岡野弘彦さん、栗木京子さんと私。司会が坂井修一さん

 テーマは「日本を歌う」。

 約150名の方々にお集まりいただく。

 米寿の長老、岡野さんの隣りに座る。

 岡野さんは、お元気、とわざわざ言うのがおかしいほど、ふつうの年配の紳士に見えた。

 丸谷才一さん関係の依頼稿書きなどで、昨日もあまりお休みになっていなかったという。東京に一週間ほどご滞在とのことで、スーツケースでご登場。

 いつもより話が甘くなっているかもしれないとおっしゃっていたけれど、そんなことはない、いつもの岡野さん節。迫力が違う。

 豪華客船「飛鳥」を見て、戦艦大和の技術が受け継がれていると思うと胸が熱くなる、などの話から始まる。

 栗木さんが、岡野さんには海の歌が多いですよねえ、と言ったあたりからスイッチが入る。

 初めて海を見た感動の話、海が見えるようにと伊東の土地を買われて住んでらっしゃる話などなど。

 私は私でそれとは別の視点からいろいろ述べた。

 写真は、新宿東口〈桂花ラーメン〉にて。

 ここに来たら、太肉麺しかないのである。

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蔵囲。

Dsc_1066 〈まんさくの花 蔵囲〉を飲む。

 秋田県横手市のお酒。

 「土蔵蔵で瓶囲い熟成させた」とある。ドゾーグラ?

 事情はわからないがうまい。

 いつも、近くの〈酒道庵之吟〉のご主人に相談して、言われたとおりに買う。

 すっきりしていて香りの高いもの、という指定。

 外れたことはない。

 これで3000円弱。

 720ミリリットル(4合)換算で1200円。

 それくらいの価格の輸入ワインを飲んでいると思えばどうか。

 それも、10晩(7晩かな?)くらいにわけて少しづつ味わえる。

 酒税や関税などの違いがあるけれど、割安である。

 フードマイレージも短い。

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なかなかに。

Photo_4    「NHK短歌」11月号。

 4月から担当している短歌時評欄には、野口あや子さんと山田航さんの歌集を題材にした。

 書いたのは8月末。部数の多い月刊誌のサイクルだからしかたない。

 (次の12月号の原稿だって入稿済み。)

 よく言われるとおり、いくら「時評」と言っても、ツイッターやブログの即時性には対抗できない。

 もし、吉川宏志さんによる岩井謙一『原子の死』評が2か月遅れていたら、インパクトは薄れていただろう。

 だから、「時評」でも、最新歌集を取り上げつつ、なるべく「時」にこだわらないようにしたいとは思っている。

 ↑は、同号の花山多佳子さんのご文章。

 恥づかしながら。

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『キオスクのキリオ』。

Photo  東直子さんの『キオスクのキリオ』(筑摩書房)。

 10篇の短編小説集。

 東さんの小説によく出てくる、ちょっと不思議で魂が剥き出しになっているような人物がつぎつぎに登場する。

 関西弁(大阪弁?)で語るキリオさんのセリフは、なんというか、薬師寺のお坊さんの口調のように勝手に思ってしまった。

 つまり、文体に癒されるという感覚かもしれない。

 駅は、阪急か阪神の住宅街用の駅のような感じかな。

 どれもいいけれど、「調合人」のドキリとするところとか、「ミルキー」のちょっとだけ異次元に足を踏み込む描写とか、「夕暮れ団子」のとりとめのない感じとか、が特によかった。

 「シャボン」のなかに、

お姫さまの結末は、結婚してしあわせになりました、か、泡になったり月に帰ったりして、その場からぽっかり消えてしまうかのどっちかやな。ずっと、おんなじ場所におって、ずっとなんとなくしあわせ、っていうのは、ゆるされへんねん。

というところに、なぜか、ぐっと来たりした。

 「空の中」の、

しかし、二十年なんて、あっという間やな。あっという間に過ぎてしまう一年が、二十回あるだけなんやな。

という部分にも、はっとしたりした。

 たくさんの人に読まれて欲しい本です。ありがとうございました。

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跡地。

Dsc_1049  きのうのつづき。

 中野四季の森公園は、もと警察学校の跡地

 (敷地の一部には、飯田橋から移ってきた東京警察病院がある。玉突きみたいだ。)

 さらにさかのぼれば、ここは陸軍の用地だったらしい。

 さらにさかのぼれば、徳川綱吉が作った、野犬収容施設(生類憐みの令によって保護された犬のため)だったいう。

 ブラタモリで知ったこと。

 わが家の近所には、平和の森公園という名前の中野刑務所の跡地がある。

 江古田の森公園という、国立療養所(結核のための)の跡地もある。

 だから、この四季の森公園は、「森」ではないただの芝生の広場なのに、「森」と名付けたのだろう。

 まあ、よし。

 写真は、j.s: pancake cafe にて。

 サラダバーで盛ったもの。

 きんぴらごぼうれんこんもあり、枝豆もあり、量的にも満足。

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四季の森公園。

Dsc_1055 過日、中野四季の森公園へ。

 公園は4月に完成。

 近接するオフィスビルの食べ物屋さんがオープンしたのがこの10月。

 中野駅北口、サンプラザの奥、というか高円寺寄り。

 家人の希望で、j.s. pancake cafe というお店へ。

 パンケーキ、つまりホットケーキをベースにしたお店。

 間違えないように(?)、焼印が捺してある。

 サラダがついている上に、サラダバーもあり、ミネストローネも飲み放題(?)で、満腹。

 アメリカの田舎によくあるパンケーキ屋さんを洗練させた感じ。これはいい。

 中野らしくないと言うのはおかしいかなあ。 

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咲きました。

Dsc_1018 狩野一男さん『悲しい滝』(悲しい酒ではない)のつづき。

 ご病気のあとのお身体の不如意とともに、それ以前も歌い上げられてきた、「生」(せい)への畏怖がもう一つのテーマ。

 死の淵から生還した作者だと知れば、その言葉はさらに重くひびく。

・咲きましたさくらの花が咲きました生きよ生きたき者よ生きろと

・いろいろなことありしかど何事も無かりしごとしさくらを見れば

・通勤のよろこび胸によみがへり独り笑みして歩むなりけり

・感動をするには年を取り過ぎたかもしれないが紫陽花に寄る

などの一直線の生真面目さの歌に混じって、

・腹立(ふくりふ)や性愛不可、を主治医からきつく指示されたる身であるが

などの歌があるのが狩野さんっぽくていいのだ。

 写真は、中野〈コパン〉にて。

 イタリアハムとブロッコリーのピザ。明るく楽しい一皿だった。

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『悲しい滝』。

Photo  狩野一男さんの『悲しい滝』(本阿弥書店)。

 大病からの回復過程のあれこれ、ふるさと宮城県栗原市の地震、それとは別に東日本大震災。

 苦しくて辛いはずの生活の中で、いつも喜怒哀楽を率直に表しながら明るく笑い飛ばしてゆく狩野さん。

 その人間そのものを、持ち前のユーモアのセンスと、ふと笑わされたあとの寂しさとともに見せてくれる。

 それは、短歌的言語感覚の鋭さを少し押し隠し、読者サービスを楽しもうとする姿勢から得られるものだろう。

 復活後、2冊目の歌集出版を大いにお祝いしたいです。

・クモ膜下出血奇跡的生還者のゆゑか、甲高きこゑになりたり

・左眼左方盲目(さがんさはうまうもく)の視野占めて咲くさくらを見れば数多嬉しも

・微量から死力尽くして少量へ微増させ得つ飲む酒の量

・手術痕まざまざとしてでこぼこの我が禿頭は光つたりせぬ

・東北のふるさと恋ふるをりふしも水頭症を恐れてわれは

など、お身体に関わる歌がひとつのテーマ。狩野さんにしか作れない秀作だと思う。(けっして禿作ではありません。)

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『原子の死』、あとがき。

Dsc_1009 岩井謙一さん『原子(アトム)の死』(青磁社)が届いて数日。

 吉川宏志さん〈シュガークイン日録Ⅱ〉に記事を書いている。

 そのすばやい反応に感服して、歌集の前に、その記事を読んでしまう。

 驚く。

 そして、吉川さんがきちんと批判していることにさらに感服。

 そのあと、くだんの文章(あとがき)を読む。

 6ページ。あとがきにしては例外的に長い。かなり強い主張だと思った。

 もし、吉川さんのブログを読む前にいきなりこの文章を読んだら、何を言いたいのか理解できなかったかもしれない。

 歌人がすべて善人でないことはわかっているけれど、同じ詩形を共有しているというだけで、歌を作る人にはある部分で敬意を持っている。

 それなのに、どう読んでも(私の視点からということだが)、理解不能な文章なのだ。

 それを解きほぐして、なぜおかしいのかをまとめている吉川さんに感謝したい。

 歌を読むのはこれから。

 写真は、〈平禄寿司〉大久保店にて。

 サンマとカンパチ。秋刀魚と間八。

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500。

Dsc_0867 内山晶太『窓、その他』(六花書林)。

 そのツイッター上での言及が500を超えたそうだ。

 KRGさんがまとめてくれている。

 

 ツイッターでのタグは

 なんとか、この歌集をたくさんの人に届けたいと思う。

 写真は、セブンイレブンの「こんがり焼ききのこチーズのハンバーグ弁当」。

 じゅうぶんにうまい。

 そもそも、ハンバーグという食べ方を発見した人がえらいのか。だまされているのか。

 今日はこれにて。

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新造語。

Dsc_1000  清水房雄さん『残余小吟』でいいと思った歌。

・処刑場にむかふ日本人の下駄の音といふ所にて書を伏せにけり

・反政府武装勢力とふ長たらしき新造語にも人は慣れつつ

・会費払ふのみなる会の幾つか有りその一つ公立学校退職校長会

・老害といふ語一つに拘はりて今日何もかもする気になれず

・日溜まりにゆっくり爪を切る時は此の世にながく生くる思ひす

など。

 こういうレベルの歌がところどころにあるのがうれしい。

 写真は、〈富士そば〉新井薬師前にて。いか天そば。

 物体はなんとなくイカの形をしているけれど、それはイメージというものである。中には一本のイカのどこかが入っているだけである。

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『残余小吟』。

Photo  清水房雄さん『残余小吟』(不識書院)をいただく。

 帯にもあるように、清水さんは97歳。(九十七歳と表記したい感じ。)

 そういう大御所の3150円の本をこちらから入手する元気はない。

 しかし、お送りいただけば通読するし、それでひとりの著者とつながれる。

 歌集の贈答文化の良し悪しはある。

 が、短歌作品を(小説やエッセイのように)切り売りしてそれだけで生計を立てている人はいないわけから、それはそれでいいと思わせられる。

 作者から一斉送信された手紙のような感覚で受け止めて読む。

 この歌集は、ご自身の年齢に対する感慨、回顧、現状に対する違和感、短歌への思いの表出などで成り立っている。

 ともかく、90歳を超えてからこうして歌集を(第16歌集)を作れるというのはすごいことで、ただ畏怖するのみ。 

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リーフ。

Dsc_0993 写真は、〈マザーリーフ〉にて。

 リーフは、leaf (葉っぱ) であって、reef (岩礁)でないようだ。

 日本語は子音が少ないからこそ、ダジャレが成立するのである。

 コーラル・リーフはサンゴ礁。日産リーフは葉っぱ。

 いっしゅん、どっちのリーフかな、と思う。

 ここは、「アイテラス落合東長崎」の店舗。

 広々としていてよい。新宿区落合なのに。

 紅茶のお店だと聞いていたが、ここはワッフル中心の店舗。

 写真は、ブルーベリーワッフル。白い方はアイスクリーム。紫の方は生クリーム。

 ワッフルという食べ物は、なんかだまされているようだけれど、それでよし。

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服部さん、その2。

Dsc_1007 「未来」10月号。

 笹公人さん、黒瀬珂瀾さんの選歌欄の初回。

 黒瀬珂瀾選歌欄(韻を踏んでいて、いいですね)のトップに、服部真里子さんがでている。

・目の見えぬ姉がふらりと訪れる初夏しずかなる展望台を

・浜木綿と言う君の唇(くち)うす闇に母音のうごきだけ見えている

など10首。

 結社や同人誌に所属することは、長く歌をやってゆく上で、とても大切だと思う。

 (どこでもよく、所属さえすればいいというわけでもないけれど。)

 かつて高野公彦は、「歌は井戸のようなもの。汲めば汲むほど新鮮な歌がたくさん出てくる。」と言った。

 毎月10首と、新人賞獲得は両立すると思う。がんばってください、とひそかに願っています。

 写真は、新宿伊勢丹の〈南国酒家〉にて。

 五目具だくさんあんかけやきそば。鮮八珍炒麺。文句なし。 

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定むることのなき。

Dsc_0966 光森裕樹『鈴を産むひばり』つづき。

 ほとんどがきちんと表現されている歌集。

 だから、詩的飛躍は別として、わからない部分が気になる。

・国の名を定むることなき吾は挽くエル・サルバドルの豆を好みて

の上句。

 国の名前を定める、とはどういうことか? 国家に命名するということか? 好みはあるけれど、飲み比べをするとわからないということか? 後者だとすると単純だがつまらない歌になる。「定むる」って何だろう?

・金糸雀(かなりあ)の喉の仏をはめてから鉱石ラジオはいたく熱持つ

 「喉の仏」は喉仏のことか? そういう乱暴で無理な言い方は光森さんはしないだろう? とすれば何か謎ときがあるのか?

 読書会では、そんなことも話し、もちろん秀歌を挙げて時間を過ごした。ご教示いただけるとうれしいです。

 「コスモス」の歌人たちは、一首づつの仕上がりに目が行きすぎてしまうのかもしれない。

 写真は、中野〈コパン〉にて。

 生ハムとキャベツのスパゲティー。端正な一品。

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柚子風呂。

Dsc_1012

 「コスモス」の仲間の読書会。

 『鈴を産むひばり』(光森裕樹)を再読。

 初読から2年以上たってあらためて詩的水準の高さに驚く。

 ただ、手放し文句なしで、挙げられる歌が案外少ない。

 それよりも、断片的な詩句の輝きやキレの良さ、あるいは読み進めるときの印象や気分に感応する歌集と言えるかもしれない。

 仔細に読むと、リアリティーに欠けると思える部分もあって、話が盛り上がった。

 例えば、

・柚子風呂の四辺をさやかにいろどりて湯は溢るれど柚子はあふれず

という歌。

 柚子が風呂の四辺を彩るためには、何個の柚子が浮かんでいることになるのか。最低でも一辺に3~5個くらい必要だろうか。

 自宅でそんなことをするのは想像しにくいから、これは温泉宿のお風呂かもしれない。作者の位置はどの辺なのだろうか。

 などという、たわいもない推測憶測が楽しい。

・ポケットに電球を入れ街をゆく寸分違はぬものを買ふため

という歌にも不思議な気持ちを抱いた。

 電球は工業製品としては「寸分違はぬ」たてまえだけれど、ガラスの厚みや金属の部分がひとつひとつ違うような気がする。(違ってほしいという願望もある。)手作り感の残る製品だと私は認識していた。

 それを「寸分違はぬもの」と言い切るのはやや乱暴ではないかと思った。

 作品がこういう話に耐えうるだけのおもしろさを持っているということなのだ。 

 もちろん、いい歌集だという評価は変わらない。

 写真は、〈セブンイレブン〉のカツ丼。十分にうまい。冷たくても。

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どんぶり。

Dsc_0999  写真は「イカ炒め丼」。

 新大久保〈豚ナム〉にて。

 「丼」の定義はなんだろう。。

 丸い「丼」に、ご飯がよそわれ、その上におかずになるものが乗せられたもの、かな。

 韓国語に「丼」があるのかどうか調べていない。

 が、これは平たいお皿に、カレーライスのようにご飯とおかずが左右に盛られている。

 これを「丼」と呼ぶのは、日本語の「丼」に新しい語義をもたらすことになる。と理屈っぽく。

 それはそうと、この「イカ炒め」は、私の大好物。

 甘辛い味噌で野菜とイカをおおざっぱに炒めて供するものは、韓国料理店以外では食べたことがない。

 もちろん、白菜キムチなどの野菜系のおかずもついていて、どれもうまかった。 

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都民の日。

Dsc_1008

 今日10月1日は「都民の日」。

 東京都学事部の管轄下の私立学校も休み(のはず)。

 しかし、「祝日」ではないので、日曜日にあたっても代休はない。

 おとといの運動会が雨天中止の場合、土曜日が普通授業、10月1日に運動会という予定だった。

(昨年は10月1日が土曜日だったので、勤務校では運動会を開催した。

 教員の自主的で常識的な判断だった。)

 その10月1日が、中華人民共和国の建国記念日(国慶節)と同じであるのは、石原慎太郎はどう思っているのだろうかなあ。

 写真は、高田馬場駅コンコースの〈神戸屋〉にて。

 黒豆パンという名前だったか。甘い豆があんぱんの餡のような役割を果たしている。不思議な感覚。

 漢字がおおすぎるなあ。 

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