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『窓、その他』。

Photo_2 内山晶太さんの『窓、その他』(六花書林)が出た。

 よく「待望の第一歌集」という惹句を見る。

 が、これほど掛け値なしで長年待たれた第一歌集は近年まれではないか。

 ツイッターでも、TMRさんの呼びかけによって「#内山晶太祭り」というタグが作られた。

 多くの人が、自分にとっての秀歌を抽出したり、感想を書いたり、一首評を書いたりしている。

 私もただ歌を抽出している。

 ひとりでも多くの人に内山さんの歌を届けたいという気持ち。

 (そしてできれば、歌集をお手にとっていただきたいという気持ち。)

 現代短歌の良質の部分として歌壇外にも伝わってほしいと思っている。

 お申込みは、直接、六花書林へどうぞ。

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才能は貧しい。

Dsc_1010  角川「短歌」10月号の、「生誕百年 宮柊二の歌世界」。

 片柳草生さん、つまり長女のエッセイが2ページ。

 その中に、

悲しみを耐へたへてきて某夜せしわが号泣は妻が見しのみ 

につづけて、

 私の前でも、突然号泣したことがあった。

「お父さんの才能は貧しい。しかし好きなんだよ、歌が」

「誰もわかってくれなくてもいい。家族さえ解ってくれれば、それでいいんだ」

 苦しみながら歌を作っている姿は、家族みんなが承知していることであった。

(改行は私)

というくだりがあった。うーむ。

 写真は、〈富士そば〉にて。てんぷらそば。

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生誕百年。

Dsc_1005

 角川「短歌」10月号。

 特集の一つが「生誕百年 宮柊二の歌世界」。

 全歌集レヴュー&今こそ響く秀歌百首選

とサブタイトルがある。

 (もちろん、「コスモス」でも100人以上が執筆する大特集を組んだばかり。)

 柊二は1986年没。

 今年の12月で没後26年だ。

 それなのに、いまだに27ページの特集を組んでもらえるのは、いまふたたび柊二の歌が必要とされているということなのだろう。

 全歌集レヴューは、6名の方が著名な歌を中心に宮柊二の魅力の王道を伝えている。

 総合誌であるし、宮柊二を読んだことのない人が多いだろうから、そういう教科書的な記述がじゅうぶん意味があるのだ。

 写真は〈ガスト〉中野江古田店にて。

 濃厚ポルチーニソースのハンバーグ。それなりにけっこううまい。

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4位。

Dsc_0998_2 先日の、文化祭での〈クラス展示〉が、来場者による投票で、全校の4位になった。

 これはうれしい。

 上位は、ブラスバンド、化学部弓道部。それぞれ常連。

 そのあとの4位。中学のクラス参加16クラス中のトップ。

 これはうれしい。

 生徒たちはとても喜んだ。

 複線がある。

 中1の8クラスの展示を担当の13人の教員が投票して、順位を付けた。

 その中で、ウチのクラスはひどい最下位だった。

 理由はおそらく(生徒にも説明したが)、教員はやさしくてマジメだから、いかにも得点の入らなそうな研究系の展示に投票したのだろう。

 ウチのクラスは、サイコロを振ってお札を獲得してゆき、金額の多寡によって景品をもらえるというゲームだった。

 これは、一般のお客さんにはウケるけれど、教員にはウケない。

 でも、方向はともかくとして、必死にがんばった生徒たちの励みになってよかった。

 投票してくれた方々、ありがとうございます。

 写真は、いつもの中野〈コパン〉にて。

 スモークサーモンとキャベツのペンネ。ちらしずしのように美しく、塩味もよし。

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バースデイ・マニー。

Dsc_0833  中1の英語の教科書に、誕生日に何をするかという話題があった。

 (もちろん、かなり大ざっぱで、ステレオタイプなのだけど。)

 イタリアでは家族が耳を引っ張る。インドではきれいな服を来て友達にチョコレートを配る。アルゼンチンでは父親や男友達とダンス(タンゴ?)を踊る。らしい。

 中国では、昼に麺を食べ、バースデイ・マニーをもらう。らしい。

 日本でも、結婚式やお葬式で現金の授受があるし、お年玉と称して、子供に大金を渡したりする。

 この点、アメリカ人の友人と話して盛り上がったことがある。信じられないそうだ。

 改めて考えると、たしかにおかしな習慣だと思う。

 ウチのクラスの中国人の生徒(3人いる)の一人は、「ウチのお母さん、誕生日にお金しかくれないんですよ。」と言っていたから、教科書の話は嘘ではないんだなと思ったしだい。

 誕生日に現金というのもなかなかすごい。

 と思うのは、そういう習慣の外に暮らしているからですね。

 写真は、〈蒙古タンメン中本〉にて。味噌タンメン。

 高田馬場の芳林堂のあるビルの地下にできた。もう一周年。

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ジョージ・ワシントン。

Dsc_0994 田村元『北二十二条西七丁目』からさらに。

・黙禱のやうに静かな街となるジョージ・ワシントンが沖へ出た日は

 横須賀を母港にしている空母の不在を詠んでいる。

 中途半端な大統領の名前よりも、堂々と初代大統領の名前を持った航空母艦が配備されたのは悪い気はしない。

(あくまで、政治的な問題は別です。ねんのため。)

 田村さんは横須賀にお住まいだから、街の空気感がわかるのだろう。

 そして、「ジョージ・ワシントン」と(知り合いのおじさんのような感じで)呼んでいるのではないか。

 短歌というものはあれこれうんうんと考えて解読するものではなく、直感的に受け入れた語感が大切である。

 あとから理屈をつければ「黙禱のやうに」の意味はいろいろあるだろう。

 そうでなく、作者が「黙禱のやうに」とつかみとったその瞬間を大切に味わいたい。

 写真は、中野〈コパン〉にて。

 前菜のひとつ「タコのグリーンソース」。この店の定番で、うまい。

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芹摘むごとき。

Dsc_0976 田村元さんの『北二十二条西七丁目』から。

 一首の歌が普遍性を帯びて、無記名のでも耐えられる秀歌になり、同時にその作者の評価につながる。

 という方向はひとつの理想。

 一方で、同時代の歌は、外部からは個々の作者の特徴がないように見えるという話も聞く。

・もう何処へ行つてもわれはわれのまま信号待ちなどしてゐるだらう

・七百円の中トロを食ふ束の間もわれを忘れることができない

という歌は、共感を呼ぶいい歌だと思うけれど、没個性でもある。

 一方、

・夕闇の重さに沈みゆくビルに芹(せり)摘むごとき労働はあり

・西日さす部屋の真中の憂鬱かわれも昭和に生れたるひとり

・ぬばたまの常磐線の酔客の支へて来る日本、はどこだ

のような「労働」「昭和」「日本」などの大きなテーマに挑んだ(というほどでもないけど)歌にこそ、田村元さんの作者像が色濃く出ているのではないかと思う。

 写真は、中野マルイ〈つな八・凛〉にて。

 ランチの天丼。ご飯を別に一膳もらってちょうどよかった。

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『北二十二条西七丁目』。

Photo_2 田村元『北二十二条西七丁目』(本阿弥書店)。  

 「短歌研究」の時評(3回目)の中心に取り上げるために、このブログでは引用を我慢してきた。

 ようやく、その号が出たので、挙げなかった秀歌を書き留めておく。

 言いたいことは「短歌研究」10月号に書いた通りです。

・街路樹に夜明けをさがすふりをしてガラスに映るきみを見てをり

・ひとり来てみてばカモメが鳴いてをり君が碧いと言つてゐた海

・くれないゐのキリンラガーよわが内の驟雨を希釈していつてくれ

・この街にもつと横断歩道あれ此岸に満つるかなしみのため

・ふりがなをわが名に振りてゆくときに遠くやさしく雁帰るなり

など、前半にはロマンチックぎこちなさを感じる歌があってよかった。

 吉川宏志さんは「普遍的な〈詩〉に言葉を押し上げようとする意識は、かなり薄いような気がします。」と言ったそうだ。

 が、この4首を見る限り、そんなことはない。

 歌集後半に向けて(つまり作者が年齢を重ねるにつれて)、徐々に作者の人物が濃ゆく出る感じがあるのもいい。

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放つな。

Dsc_0871  渡辺泰徳さんの『浮遊生物』に、こんな歌があった。

・放つな、矢はおのずから離れると その境地にはいまだ達せず

 これは、弓道をされていたころの回想の一連にある。

 「いまだ」と言っているのは、その当時ということか、作歌時点ということか、は不明。

 短歌を読むおもしろさには、こういう箴言を読む楽しさがある。

 おそらくは、弓の世界では究極的で有名な言葉なのだろう。しかし、ふつうは門外漢には接するすべもない。

 それが、定型を通して身近になる。ありがたいことだ。

 いい言葉じゃあ、ありませんか?

 写真は、西武高田馬場のコンコースにある〈神戸屋〉のコロッケパン。

 この店、朝7時からやっているのが助かる。

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『浮遊生物』。

Photo_2 渡辺泰徳さんの『浮遊生物』(青磁社)。

 大学で長く生態学を研究されてきた方。

 国内外の湖や川など(陸水というらしい)でフィールドワークをされてこられたという。

 浮遊生物に「プランクトン」とルビを振った歌もあることからも御専門がわかる。

 そして、還暦を超えて(退職前に←ここが重要なのだが)、歌を始め、4年ほどで歌集を出版された。

 そういう男性の歌は、人間としての芯がはっきりしていて、物の見方にも深みがある。

 この歌集も行動する大人の歌集という印象である。

・ゴムボートに空気をつめるもどかしさ長沖(ながおき)中沼(なかぬま)稲の穂揺れる

・換気扇回せば壁のががんぼの翅のはつかに揺れる夕暮れ

・分岐して八千万年隔つとも犬と人間(ひと)との脳共感す

・資源とは奪い合うものみずうみは水資源なり機銃座おかれて

・ツンドラと川面を染める夕焼けは二時間ほどで朝焼けになる

・筑紫野にどこかで見た丘広がれり ああそうだったデスクトップの

 深く広い経験と知識があり、それらが凝縮された断片を読む楽しみがある。

 歌集一冊で、その人のエッセンスを知れてしまうのも、短歌に関わる楽しさの一つ。

 いい歌集といい方に出会った。

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思っていなかった。

Dsc_0955  あれこれあって、料理の話。

 ここ新大久保〈一六八〉は、日本人男性と中国人女性(つまり御夫婦)の経営らしい。

 しかし、調理人とウエイトレス/ウエイターはいつも北の方の中国人。 

 昨今の、あれこれと政治的にうるさい状況も無関係で繁盛している。

 アメリカに行くと、たいていの街には(かなり小さい街でも)、中華料理屋がある。

 これがとーてもありがたい。どれだけ救われたことか。

 そんな感じで、この地の店にどれだけ助けられている。

 写真は、海鮮刀削麺。もう、すばらしい一品。

 こんなに刀削麺を食べる人生になるとは思っていなかったなあ。

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クイズ同好会。

Dsc_0947 勤務校の文化祭では、文化部は展示を義務付けられている。

 普段の活動の成果の発表として。

 今年、「クイズ同好会」というグループが発足した。

 昨年まで担当していた現高校1年の生徒たちが中心。

 たのまれ顧問の私。

 当初はいかにもありがちで、安易なサークルだと思っていた。

 だが、実は夏休み前からチャクチャクと準備をしていたようだ。

 文化祭では「アタック25」をまねた、お客さん参加型の企画。

 何度か覗きに行ったが、そのたびに大盛況。問題の質も文言もよく練られていたと思う。

 2日間で2200人近くの来場者だったという。

 司会の二人は、暑い中、声を枯らしながら30回以上のセッションをこなしたという。

 なかなかの名司会。なかなかの青春。ひそかに祝福したい。

 来年やるなら、マイクを調達しましょう。

 写真は、近所にできた〈じゃんぼ総本店〉という、大阪の粉もんのお店にて。

 さすが1000店以上あるチェーン店。しっかりとうまかった。

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ないぞ。

Dsc_0962_2  昨日、月曜日、文化祭の片づけ。

 係なので出勤。

 午前中、ステージの解体。鉄骨を外し厚いベニアを外し、倉庫に運ぶ。

 という作業などの手伝い。暑さでくらくらする。

 全校生徒が(あるいは、あるひとつの学年だけでもいい)が登校して短時間で片づける方がいいとは思う。

 だが、伝統的に、一部の「文化祭実行委員」と運動部からのボランティアが机運びから掃除までこなす。

 教員もけっこう来ている。

 日曜日の代休が火曜日。あれ、敬老の日の代休がないぞ。。。

 写真は、当日食べた、新大久保〈一六八〉のマーボ豆腐定食。なんと500円。

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なんだろう。

Dsc_09501  勤務校の文化祭終了。

 担任のクラス(中1)の展示(?)もあり。

 企画段階から、なるべく口を出さないようにした。

(今までの経験から任せた方が充実度が高いとわかっているから。)

 中心になる生徒たちががんばり、その周囲の生徒もがんばり、クラス全体で参加できたと思う。

 「リアル人生ゲーム」というコンセプト。

 ボードゲームのコマを実際にダンボールで作り、お客さんにサイコロの出目の数だけ進んでもらうもの。

 「人生ってなんだろう?」というタイトルなのだけれど、成果は金額で計るということになってしまった。まあ、いいか。

 近くにあるロッテの工場からダンボールを大量にもらってきて、大量のガムテープで組み立てて、うまい棒などの景品を大量に提供した。

 企画から掃除まで、教員の言うことをよく聞いて(一部、サボっている奴らはもちろんいたけど)すすめてくれたと思う。さすがの生徒たちであった。

 写真は、〈すき家〉の「まぐろたたき丼」。

 リアルまぐろたたき丼なのかどうか。工場で作ったものを乗せました、という輪郭。この方がかえって正直だし、店内でいじくられていない感じがいい。

 うまいからいいかな。 

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曾祖母。

Dsc_0923111 橋本恵美さんの『のらねこ地図』

 こんな歌があった。

・抽斗にひとつあるのは遠き日に曾祖母くれし春の繭玉

・雪なかにワッフル売りは立ちており銅の菓子型ほのか温めて

 1首目、「祖母のくれたる」にもできるし、その方がリズム的にもイメージ的にもなだらかだろう。

 しかし、「曾祖母」が、事実のゆるぎなさを思わせる。

 リアリティーとは違うすこしざらりとした手触りのある部分。

 短歌に慣れてゆくと、詩的なフィクションの利かせどころが体得できてしまう。

 それがかえって作品のインパクトを弱めてしまう。

 この歌集のテーマは家族だし、家族にフィクションのフィルターをかけるのは後ろめたい気持ちもある。

 そういう素朴な意識がうまく作用しているのだろう。 

 2首目もとてもいい。作者が温かさを感知する人だからこそ、こういう歌を素直に出せるのにちがいない。

 写真は、新井薬師前駅前、〈富士そば〉にて。ざる蕎麦とアサリのかきあげ。 

 かきあげに汁は不要だったなあ。

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『のらねこ地図』。

Photo  橋本恵美さん『のらねこ地図』(青磁社)。

 地図にマップとルビがある。

 本文(ほんもん)が茶色で印刷されている。

 装丁も凝っている。さすが青磁社。

 前田康子さんの跋に丁寧に書かれているとおり、橋本さんはとおーーってもいい人という印象。

 短歌では(文学ではというべきか)、悪を盛り込むとそれなりにまとまる。

 だが、これだけ真っ向から真っ当で健全な人生の細部を切り取るという方法も力強く感じる。(小島ゆかりよりもさらに明るい印象。)

 幸せを感知する能力の高い人であり、こういう方と暮らせば、必ずやってくる悲しみにも立ち向かえる感じがする。。

・牛乳キャップと輪ゴムで作る腕時計 母は「何時がいい?」といつも

・猫の死に「そうか」と言って長男は一人お風呂でピーピー泣けり

・ママチャリに寄り添う小さな自転車よ反抗期でも並んで停まる

・言いたきこと二つ抱えて夫誘う一周四〇分の池の辺

・この夏を共に過ぎ来て向日葵はこうして枯れてゆくのよと枯れる

 前半から。細部がとてもいい。懐かしさに泣けてしまうところもあった。いい歌はいくらでもあがる歌集だ。

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信じたくない。

Dsc_0899  高校時代の友人の訃報があった。

 いまでも毎年かならず年末などに食事会をやってきた仲間の一人。

  8月にも10人ほどで食事をすることになって連絡した。

 そのときに病名を聞いた。検査結果が出て間もなくだったようだ。(診断が出るまでに一ヶ月を要したそうだ。)

 その場からみんなでメールを出した。

 ちょっと調子が悪いので休みますという返信が来た。

 会いにゆく行く時間はあったが行かなかった。

 信じられないし、信じたくもないし、信じられない。

 でも、死者の何ものかを背負って生きてゆく、ということがわかる年齢になったと、なんとなく思う。

 歌を作って追悼することしかできない。

 写真は、高田馬場300円弁当店のもの。

 生きるとは、食べ続けることだ。

 ユーリンチーたっぷりのボリウムだった。

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傷あるわれに。

Dsc_0877  なみの亜子さん続き。

 『バード・バード』より。

 私は山の中の生活ではない。

 しかし、こうして山の生活をテーマにした好きな歌を書き写しながら焼酎を飲んでいる夜はいい。

 時間を忘れて山の中にいるような錯覚さえ覚える。

 それが歌の力。歌はいい。歌に救われる。生きていることはいいことだ。

・薪を割るおと絶えてのちその家が喪の家となるまでのつゆじも

・悲しみは癒えない傷か癒えなくも馴れてゆかむよ傷あるわれに

 写真は、新大久保〈一六八〉のランチの酢豚。

 こうして、一食一食いただけることを、ときに立ち止まって幸せだと思う。

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干したしわれは。

Dsc_0882

 なみの亜子さん『バード・バード』から。

・柊の花こぼれいる斜面にて犬の歩みの一度止まりぬ

・谷の家に犬の鳴けるをわが犬は谷の深さをはかるごと聞く

 地味だけれどとてもいい歌。山間で犬を家族の一員として暮している様子がわかる。

 人間側の存在としての犬が、仲介となって山を感じているのかもしれない。

・山に向けひろげるからに干し物のかたちただしく干したしわれは

・おのずから耳を澄ませているごとし山のおもてに向き合うわれは

 山を畏れているのだが、それがごくごく自然に(頭ではなく心で)なされているような印象だ。

 こういう生活は私にはできないけれど、あこがれる。

 と言いつつ、明日も電車に乗って人ごみの中をゆき、コンビニでサンドウィッチを買う生活である。

 写真は、中野〈コパン〉のラザニア。

 土日にもリーズナブルなランチセットが登場。営業努力というのかなあ。ありがたい。

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『バード・バード』。

Photo なみの亜子さんの『バード・バード』(砂子屋書房)。

 いつからか吉野の山の中でお住まいのご様子である。

 前登志夫さんとはもちろん違う感じの吉野生活。

 元は都市生活者であり、シャープな歌と文章をお書きのなみのさん。

 そのすっきりとした視点が山の生活でも生きていると思った。

・かなしくていずる声にはあらねども鹿の鳴けるはかなしきこえに

・川沿いに鹿の足跡小(ち)さきもあり小(ち)さきはあちこち寄り道多し

・夜の庭に芽を食みにくる鹿あればあした見にゆく嚙まれたる樹を

・水源とせる川なかに鹿死ねるを聞きたることは誰にも黙す

などの鹿詠(?)がいい。

 山の中の生活は、都会生活者には想像しづらい。

 けれど、これほど鹿と近しいという一点から、少しはイメージできている気もする。

 鹿クンたちに心的にもぐっと近づいて、それでも距離を保っている感じがいいのだ。

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いたく欠損。

Dsc_0865 花山多佳子さん『木立ダリア』からもう少し。

・はなびらのひとつ落ちたる石蕗はいたく欠損といふ感じする

・ダム湖のほとりで夜通し踊つてきたといふ息子にはときどきそんな夜がある

・読み返しながら付箋を剝がしゆく貸してほしいと言はれた歌集

・上山(かみのやま)金瓶村の墓前祭「先生」と呼びかけるこゑを聞きをり

などもいい。

 「欠損」という硬い言い方を植物にぶつけるバランスの妙。

 だれかに歌集を貸すときに、自分の評価がその人に影響しないようにする心遣い、というよりも面倒くさそうに付箋を剝す指先。

 茂吉を先生と呼ぶのは相当な年下の弟子であるはずだから、そのことへの驚き。

 などなど、花山調の低体温的なところにぞくぞくするのである。

 写真は、〈富士そば〉にて。

 冷やし大根そば。ダイコンといっても、刺身のつまにしか見えないし、そういう味。

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二十年の昔。

Dsc_0880

・二十年の昔が少女ではなくて若くさへなきことの不可解

 これも、花山多佳子さんさんの『木立ダリア』から。

 花山さんは1948年のお生まれ。

 私自身も、20年前が大人(というか大学生)だったという事実にこのごろときおり打ちのめされる。

  先日あげた歌の、宮英子さんは70年前が大人なのだ。

 そういうちょっとした気持ちを言葉に乗せておくのは貴重なことだ。

 この歌、わざと「若くさへなき」としらばっくれているところがいい。そして「不可解」とダメを押す。

 いったん直感で感じたことを、いちど論理のフィルターを通してから、ふたたび直感で言っているように見せているところが巧いのだ。

 もちろん、読者はその作業過程をうすうす感じ取りながら、ニヤリとするのである。

 写真は、高田馬場300円中華弁当店(名前は無い)のもの。

 コンビニなら550円はするだろうボリュウム(とカロリー)。右端に鶏のから揚げも見えますか。

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『木立ダリア』。

Photo 花山多佳子さんから『木立ダリア』(本阿弥書店)をいただく。

 いつもながら、なにもないところから、微量の詩になる起伏を感受して言葉にしてゆくところが好きだ。

 日常の中でも、あえて気持ちの振れ幅の少ない部分に焦点を当てて、アンプで増幅して歌にするような方法と言おうか。

 奥村晃作の言葉で言えば、「歌い下げ」(もちろん歌い上げ、に対しての用語)の要素もあろう。

 それでもおもしろいのは、花山さんの言葉遣いの巧みさと視点の妙である。

・思はざるところにメトロの入口があれば降りゆく夜を別れて

・段ボールの箱畳みゆき血のめぐり良くなるけはひ三個目あたりで

・短文を書くためあちこち読み散らし充実したる一日となりぬ

・納豆入り激辛スープ 母親のつくらぬもののみ娘はつくる

 こういう、あけすけな(見も蓋もないというのか)ところに花山さんの歌のおもしろさはある。まさにプロフェッショナルの短歌である。

 装丁は、花山周子さん。いつも大胆で繊細な色遣いと構図で楽しませてくれる。

 これもその系統。こういうのは好きか嫌いかの問題。好きなものは好きなのである。

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食ってしまえり。

Dsc_0702 さらに永田淳『湖をさがす』から。

 (ヤケになっているわけではありません。)

・定食の焼きサンマの背骨まで食ってしまえり松村正直

 おお。

 この歌の楽しみ方は、松村正直という人物をどれくらい知っているかにもよる。

 まったくの名前だけからくるイメージだけか、歌集だけのイメージが、写真だけか、見たことがあるか、話したことがあるか、など。

 そのある人物があるときサンマの骨まで食べたという。へえ、と思う。それでいい。

 やっぱり、松村さんを知らないとだめかなあ。とにかく、強い印象を残すとはどういうことかと思う。

 (二句目字足らずなのがちょっと残念。)

 写真は、新井薬師駅前〈大番〉の「コテ丸」にモヤシとメンマを追加したもの。うう、うまい。

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わが母は生まれき。

Dsc_0848 さらに永田淳『湖をさがす』より。

・戦争は宮柊二を殺さざりそしてわが母は生まれき

という歌がある。(5月20日)

 河野裕子さんははじめずっと「コスモス」の歌人だった。

 宮柊二はずっと師であったのだろうけれど、柊二によって河野裕子が歌人として生まれたというのは、大きな把握である。

 裕子さんが淳さんにそういうことを語っていらしたのかもしれない。

 この歌だけを歌壇外の方が読むと、作者の祖父が宮柊二であると思うかもしれない、だがもちろんそうではないんです。

 「殺さざり」となるべきではないかなあ、淳さん。

 それはともかく、こういう歌があるのがとてもうれしい。

 写真は、中野〈ロイスダール〉にて。

 ビーフシチュー・ブルゴーニュ風。ランチにしてはちょっと勇気のいる値段だけれど、コスパは高い。うまかったあ。

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奔りゆかんか。

Dsc_0838_2  永田淳『湖をさがす』からさらに何首か。

・こんなとき何か言ってはくれぬかとわが撮りし母の写真に対う

・いずこかの水面に脱皮を果たしたる黒白の蚊を双手に潰しぬ

・早朝に家族六人が乗り込んで陽(よう)と颯(そう)が出る運動会へ

・お母さんと暁(あけ)近き机(き)に額つきて呟いており酔(え)いたる様に

・海へ 奔りゆかんか夜の海へ 長きメールにながく応えて

などが特にいい。

 母親を読んだ歌は普遍性を獲得していると思う。しかし、読者は知ってしまった情報があるから、それとは切り離せずに読解してしまう。

 作品にとっての幸不幸はあるだろうけれど、やはり幸なかあ。

 三首目のように、息子さんの名前をさらりと詠みこんでいる歌もある。覚悟というのとはちがうかもしれないけれど、開き直ったというか堂々としたところ、見習いたいと思う。

 写真は、職場近くの〈一六八〉にて。

 五目やきそば。中華風でうまい。

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『湖をさがす』。

Dsc_0831 永田淳『湖をさがす』から何首か。

・石蕗の咲きいる門(かど)に車寄せレンタルビデオを返してきたり

・極月の北より昇る月を見きかの日々母に癌のあらずや

・ゴミ箱を膝に挟みて鉛筆を削りたり母の遺稿を置きて

・大きなる嚏をひとつせしゆえに春の夜取舵とりいるところ

・クロネコのドライバーみずしまかずまさはいかなる字ならん朝ごとに見る

まずは5月半ばの分まで。

 母である河野裕子さんが亡くなったのが2010年8月。

 その翌年であるから、折に触れて思い出す歌が多い。しかし、こちらがどう読むのかとはらはらしているのに反して、構えずにあっさりとそして堂々と詠んでいるという印象。

 さすが、男前の淳さんである。

 取舵の歌もうまい。

 写真は、〈すき家〉の「花がつオクラ牛丼」。

 オクラ好きの私にとってうれしく、鰹節の味も効いている一品。

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ワイルド。

Dsc_0860  永田淳さんから『湖をさがす』(ふらんす堂)をいただいている。

 短歌日記2011と副題がある。ホームページに連載していたものだ。

 その中に、

・ワイルドとあらばドメスティックもあらん七面鳥は壜に貼られて

を見つける。(5月9日)

 いつからか、ワイルドターキーのラベルが変わった。尾がはみ出している。

 私はなんとなくワイルドターキーが好きで、ちびりちびりとごくごく飲んでいる。

 この歌は、言葉遊びがおもしろい。

 じっさいにアメリカ人がクリスマスなどに食べる七面鳥はほとんどが家畜のはず。

 バーボンウイスキーの名前が「野生の七面鳥」であるおもしろさかな。

 他のところに、アルターベーンなんていう渋いウイスキーの名前も出てくるのもいい。 

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複数形に。

Dsc_0783  「短歌人」9月号をいただく。

 宇田川寛之さんの歌に、

・フリーゆゑ休まず働く我々と複数形に言ひ落ち着きぬ

を見つける。

 宇田川さんは、六花書林の社主。

 「フリー」という語は、語感はいいけれど、実際はサラリーマンよりもずっとキツイはずである。 

 ヤスマズ・ハタラクのばたばたしたリズムが忙しさを伝えているように読める。

 「複数形に」の「に」がやや古いかもしれない。

 もちろん中心は、「我」と言って心細いところを、「我々」と言って落ち着くとした心境である。

 この世の中の見ず知らずの人を含めて、数多くの「フリー」の人たち。彼らを思い浮かべることで、心強く思う心境である。

 作者の現実の人間像が出ていて、とてもいい歌だと思った。

 写真は、紀尾井町オーバカナルにて。

 レモンのタルト。

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山手線の乗客。

Dsc_0828

 9月1日は、小島ゆかりさんの誕生日。

 8月31日は、小島なおさんの誕生日。

 それはそうと、「八雁」9月号が届く。

 評論を見て、夏休みに読もうと思っていてそのままになっていた本が何冊もあるのに気付く。

 巻頭の島田幸典さんの作品に、

・東京に向かふのぞみの尖端の十六号車に煙草を喫みき

・東京に降りしことなき駅あまたありて四十の夏を迎ふも

・夕さりて東京を去るのぞみより山手線の乗客を見つ

があった。なかなかしぶくて、すばらしい。お元気ですか、島田さん。

 写真は、新大久保〈一六八〉にて。

 ランチの「茄子の甜麺醤炒め」。ご飯がすすむ。

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