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『しんきろう』。

Photo 加藤治郎さんから第8歌集『しんきろう』(砂子屋書房)をいただく。

 加藤さんの歌は、どれもとても刺激的。

 おそらく企業人としても、時代の先端をひりひりと走っていらっしゃるのだろう。

 だが、一首づつを見てみると、「わからない」歌が大半。

 それは、短歌を作るときの前提に、一首全体としてのきっちりとした意味解釈を求めていないからだと思う。

 言葉の断片の力でぐいぐいと押し、一首としての整合性とか解釈とか意味とか、これまで短歌で必要だと(私が)思ってきたものから自由にあろうとする決意なのだと思う。

 あるいは、言葉を超えた次元で勝負しようとしているけれど、言葉を使わざるを得ないところのジレンマを私が読み解けていないのかもしれない。

 五つの句(に切れるとして)のうち、一句だけを「わかる」ように納めてくれれば、全体が「よくわかる」ところを、すっと(打者の手元で外角に逃げるスライダーのように)かわされてしまう歌が多いのが、やっぱり残念。

 しかしそれは、ブルドーザー・加藤治郎の作り方であり、読者としての私は、そのまま受け入れるべきなのだろう。

 ただ、分かってしまう歌は、加藤治郎らしくない平凡さを纏うこともあって、評価に迷う。

 そのあたりで、「わかる」けれど加藤さんらしいと思う地点にとどまっている秀歌を挙げておきたい。

 挙げはじめるとけっこうたくさんあがるのは、やはり歌集の強さなのだろう。

・月蝕のすすむしずかな空を見て俺のこころは善意にみちる

・消しゴムの角が尖っていることの気持ちがよくてきさまから死ね

・秋の水しょろしょろんしょろしょろん私は何もできないのです

・四日後に説明すると俺に言う俺の未来を知ってる奴が

・さくら花吹き寄せられて生涯の終りに首都の車輛を止める

・はずしあう白いボタンのいらいらとはじまるときの息はせつない

・暗がりでクリスタルガイザーのラベル剥ぐ指はよろこぶボトルのくぼみ

・ぎくしゃくと時間が過ぎるぎくしゃくとハンバーガーの薄い包装紙

・これが最後の一つぶという自覚なく食べ終えた、そんな死もあろうよ

・シーソーの上がったままのいもうとを見つめてぼくはゆうばえのなか

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