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アンブロ。

Dsc_0052 (承前)

 ジーニアス英和辞典の umbrella の項には、

【原義:小さな(ella)影(umbr)】

とある。

 Umbro というスポーツ用品メーカーの名前と関係あるのか、とふと思う。

 そのアラバマ人の先生は、スペイン語でアンブロは「シャドウ」の意味かもしれないと言う。

(さすが南部?)

 エキサイト翻訳にかけると、umbro そのものでなく、umbra が「影」だと出ている。

 もしかすると、サッカー選手たちの「影」(あるいは蔭)になりたいと思って、社名をつけたのかもしれない。

 いい名前だ。

 写真は、吉祥寺の駅ビル(神戸屋キッチンだったかな)で買ったサンドイッチ。

 急いでいて値段を確かめなかったけど、けっこう高かった。

 食べて値段に納得。

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アンブレラ。

Dsc_0122 中間考査のリスニングの部分を、ネイティブの先生に録音してもらう。

 その中に、

 umbrella, u-m-b-r-e-l-l-a

と読みあげて、各文字を聴きとる問題を出した。

 あるアメリカ人女性の先生は、語頭にアクセントをおいて、ンブレラ、のように発音した。

 その発音以外にはないと思っている。

 通常は、アンブレーラ、のように発音するはず。

 と指摘すると、他のネイティブの先生に確かめたりして、驚いていた。

 ジーニアス英和辞典を見ると、「米国南部」では前者(ンブレラ)のように発音すると書いてある。

 その女性の先生はまさにアラバマ州のご出身。

 辞書というのはすごいものだなあと思った次第。

 写真は、新大久保〈栄寿司〉のアナゴ。

 ウナギとちがって、安定供給のようだ。

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2000。

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 これで、通算2000回目の記事。

 なんとなく開始したのが、2006年12月。

 単純に2000回を365日で割ると、5.5年となる。

 このブログは更新日時の指定ができるので、事前に投稿しておくこともある。

 とりあえず、一日分も空白をつけずに、2000回を埋めることができたのは、うれしいことだ。

 顔の見える読者がいらっしゃることが大きな励まし。

 ありがとうございます。

 写真は、栄寿司のコハダ。マグロに挟まれるといっそう光る。

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「棧橋」100号。後半。

 「棧橋」110号、24首のうちの後半12首(↓)。

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「棧橋」110号。前半。

 今日が、「棧橋」110号の批評会。

 いろいろあって、東京にはいるのだけれど、欠席することにした。ごくごく例外的なことですが。すいません。

 今回は巻頭24首詠なのだけれど。

 その前半12首(↓)。

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中継ぎ。

Dsc_0113  ときどき、中継ぎ陣(プロ野球の投手の話です)の苦労を思う。

 先発投手は数日前から予定が決まっている。

 だが、リリーバーたちは、試合進行によって、出番が決まる。

 しかし、毎試合、準備はする。

 教員でいうと、授業があるかないかわからないけれど、テンションをあげて待っている感覚か。

(さらに、授業があるときには、ぐちゃぐちゃのクラスを落ち着かせる役割だったりする、という感じだろう。)

 まあ、中継ぎ投手は出番があればいいけれど、連日準備しているのに出番がないということもよくある。

 これは教員だったらかなりきつい。

 それで心と体の調子を整えておきなさい、というのはけっこう大変なことだ。

 だからこそ、今年のマリーンズの益田・中後という二人のリリーバーの活躍は、先発の藤岡と同じくらいの価値があると思う。

 写真は、栄寿司の赤貝。「中」(世間の竹)なのに、サービスしてくれた。

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パンチャン。

Dsc_0105 写真は、きのうの新大久保〈韓サラン〉にて。

 前菜というのか、おかずというのか。

 韓国では、パンチャンというらしい。

 一人でも4人でも同じ量が出る。

 そして、お代わり自由。

 この日は一人で、キムチとブロコリを2回づつお代わり。

 キムチはどこのお店のものもおいしい。

 左上が大学芋、上中がサキイカの甘辛炒め、右上が小魚炒め。甘めの3品。

 このパンチャンを店ごとに競うようだ。

 まあ、これくらいが標準的かも。

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拾ってゆく。

Dsc_0107  ちょっと慌ただしい毎日。

 マリーンズががんばっていてくれて、救われる。

 5月下旬で貯金10、勝率.638 というのはすごいこと。

 それが、神がかった快進撃、という感じではない。

 先発ががんばり、中継ぎ、抑えが、それはもう、抑えに抑えて勝ちをぽつりぽつりと拾ってゆくかんじなのがいい。

 近くで見ると、だれもすごいボールを投げる投手たち(そりゃあ、プロですから)。

 そのなかでも浮き沈みがあって、調子がよくないと一軍に残れない。

 内竜也が復帰して来たのがうれしい。故障さえなければ、すごいのだ。

 写真は、新大久保〈韓サラン〉にて。

 石焼きチーズビビンバ。海苔が乗っているのが特徴的かな。

 ピビンピビンして食べる。

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タカナ。

Dsc_0029 あわただしいので、写真のみ。

 といっても、写真にインパクトがあるわけでなく。

 いつもの、新大久保〈一六八〉の高菜チャーハン。

 タカナという食材は、菜っ葉じたいに(ほうれん草や水菜のように)意味があるのではない。

 タカナの「漬け物」であること(つまり、その匂い)に意義がある。

 だから、高菜漬け炒飯、が正確な呼び名であろう。

 中国にもあるのかな?

 とにかく、香りと酸味がみごとでうまい。くさいもーの、が好きなんです。

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カライモーノ。

Dsc_0071  中1の英語の授業。

 ごくごく簡単な自己紹介をさせる。

 アイム ナニガーシ。

 プリーズ コー ミー ダレソーレ。

 アイム フラム ドコドーコ。

 アイライク ナニナーニ。

 アイ ドウン ライ コレコーレ。

 という定型を作り、サッカーだとかベイスボールだとかマスだとかサイエンスだとか、使えそうな単語を与えておく。

 すると、たいていの生徒はその単語を使って(ごく平凡に)(もちろん平凡でいいのだが) 発表する。

 それでも、I like apples. I don't like oranges. なんてしゃあしゃあと言われると腹が立たなくもない、こともない。

 そんな中で、「アイライク カライモーノ!」

と(大声で)言った生徒がいた。

 独創的で正直にあろうとしたのだろう。言いたい伝えたい気持ちがあふれている。

 テストをやったら、アイライク アポーズの方が点にはなる。

 だが、この「カライモーノ」少年を大きく評価したい。

 いや、そう採点すればいいのだな。

 写真は、三鷹台〈美たか庵〉のねぎ焼き。

 メニューにはないけれど、頼んだら作ってくれた。そういうのがうれしい。

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空豆。

Dsc_00342 ある発言をときどき思い出す。

 いい授業をやれば、枕に巨人の話をしなくても済むのですよ、という、ある英語教育研究会での話。

 なんか違うとずっと思ってきた。

 スポーツイベントはある種、人間の潤滑剤のひとつ。

 アメリカのビジネスマンにいちばん大切なのは、アメフトの話ができることだ(と聞いたことがある)。

 アメフトの話題について来られないような非常識で非人間的な人物とはビジネスが成立しにくいという話。

 (本当かどうかは別として。)

 私は、千葉ロッテ・マリーンズが好きだと生徒たちにも公言して楽しんでいる。

 話題を共有して、人間関係が広がったり深まったりすれば、それでうれしい。

 万人に通じる話題でないからこそ、深く通じ合える気もする。

 もちろん、授業でもマリーンズに助けてもらう。ほんの数秒のことだけど。

 写真は、中野〈オリエントスパゲティ〉の「海老と空豆のアメリケーヌソース、無添加玉子フィットチーネ」。

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都市はもう混沌として。

Dsc_0051  中野通りの、西武新宿線とJR中央線の線路の中間くらいにあるお店。

 〈青雲〉と書いて「せいうん」と読む。

 「青雲の」は、「あおくもの」と読んで枕詞だけど。

 昨年(だったか?)に、ある中華料理店のあったところに開店して、気になっていた。

 一番人気と(お店が)言う〈味噌らーめん〉。

都市はもう混沌として人間はみそラーメンのやうなかなしみ

 は、馬場あき子さんの歌。(『世紀』(二〇〇一年))

 野菜炒めが麺に乗っかっている印象。

 やや甘めの味噌スープがおいしい。途中から、少しづつ豆板醤を投入して楽しむ。

 いいお店ができて、うれしい。みんなに来てほしいお店だ。

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黒胡椒。

Dsc_0026_2 写真は、新大久保〈一六八〉にて。

 黒胡椒牛肉炒め。

 ふつうの野菜炒めよりも、どこか大陸風で力強い印象。

 野菜も肉も、いわゆるシャキシャキした食感を残しつつ、きちんと火が入っている。

 早い時間にゆくと、厨房の2人とホールの1人が中国語でわいわいしゃべっている。

 同じテレビのニュースを見ながら、中国人は中国人どうし、私は日本人の同僚と、感想を言い合う。

 そういうのんびりした時間が好きである。

 ナイターでいうと、まだ日が暮れる前の初回表裏ごろののどかな時間帯というべきかな。

 混んでいるときがないと商売上は困るのだろうけれど。

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カナダ出身。

Ca3g3096 英語の小テストのおまけに、復習問題を出している。

 先日、なにげなく、

「あなたはカナダ出身ですか?」

と出題した(つもりだった)。

 たいていの生徒はその下の空欄に、

 Are you from Canada?

と書いた。

 なんども、英訳の練習をしているから、日本語を見たら無条件に英語に直す。

 そういう躾をしてしまっているのだ。

 ところが、2人の生徒が、その(Are you from Canada?)下に、

 No, I'm not. I'm from Japan.

と書いていた。いっしゅん、おどろいた。

 けれど、この解答(というか回答)こそが正解だと思った。

 ちゃんとコミュニケーションしている。

 英語とか日本語とかの枠を超えて。

 こういう生徒は、人間として応援したいと思う。(まあ、試験で点をバシバシとるかどうかは別として。)

 写真は、新宿の回転寿司〈大江戸〉のスジコ。

 たまには食べてもいいよねえ。

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テンドン。

Dsc_0025 写真は、新大久保〈一六八〉にて。

 店内の黒板は「アキレスとネギ炒め」。

 だが、もちろん、「アキレスとネギ炒め」。

 牛のアキレス腱は食材。考えると痛々しいけれど。

 腱は英語で、テンドン。(あるいはシニュウ。)

 アキレス腱は、アキーリーズ・テンドン。

 「天丼」の平板アクセントではなく、テンドンという感じ。

 だが、なんとなく、頭の中には天丼のイメージがいったんは浮かぶ。そして消えそうで、なかなか消えない。

 広辞苑には、「膠原線維が集まって束になったもの」とある。

 よくわからないけれど、軟骨風でコラーゲン風で、おもしろい食感であった。

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石像。

Ca3g2566 なんだかんだで、あわただしい5月なかば。

 西武新宿線・新井薬師前駅ちかくの線路沿いにこんな(←)ものがある。

 自転車で通勤するときの踏切のそば。

 石塔というのかなんなのか。

 東京の住宅街は奥が深い。

 花が供えられているのがうれしい。

 いつも、こんどは自分が供えたいと思いつつ、ずっと先延ばしになっている。

 こういうものは、移転するのも面倒だし、長い間、位置を変えていないものもあるのだろう。

 なんとなく心がなごむ。

 踏切が開くのを待ちながら、心のなかで合掌する。

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コハダ。

Dsc_0002 写真は、新大久保〈栄寿司〉にて。

 コハダを締めているところ。

 マスターの言うには、

アタマをとって、開いて、洗って、塩で締めて、洗って、さらに酢で締める、

という過程を経るそうだ。

 そういう「めんどうくさい」ことをする以外に、コハダを食う方法はない、と言う。

 たしかに、コハダを煮たり焼いたりして食べた記憶はない。

 不思議な魚であるし、そういう調理法を考えた先人をありがたいと思う。

 もちろん、命を提供してくれるコハダ君に真っ先に感謝しなくてはならない。

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だから。

Dsc_0020 「○○さんは、英語のセンセイだから英語ができる。」

という言い方をときどき耳にする。

 きのうの「モヤさま」でも、機械工を長年やってきたから手先が器用、というようなナレーションがあった。

 いつも違和感をおぼえる。

 たとえば、私は英語の教員をやっているゆえに、英語が(平均よりもかなり)できるわけではない。

 英語が(平均よりもかなり)できるゆえに、その能力を生活の糧の一部にして、教員をやっているわけである。

 プロ野球の選手だから野球がうまいわけではなくて、野球がとびきりうまいからプロの選手をやっているわけですよね。

 どちらに主体をおいてものを見るのかの意識は言葉にあらわれる。

 屁理屈だけれど、かたちに縛られるかどうかの問題。たいせつなことではないかと思っている。

 写真は、沼袋〈味王〉の八宝菜定食。

 やや味が濃いけれど、うまくてたっぷり。これで750円。

 台湾人の商売には頭が下がる。

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トガニタン。

Ca3g3151 新大久保裏、チョソンという店にてランチ。

 〈青松〉でチョソンらしい。

 その、トガニタン

 単語からイメージがわかない。

 アフガニスタンやタジキスタンの親戚でもない。(あれは、スタンだ。)

 もちろん、トガニという蟹のはずもない。

 店員さんは、牛のアキレス腱だと言っていたけれど、なにかの間違い。

 調べてみると、牛の膝蓋骨とその周辺を煮込んだスープ、らしい。

 いかにも、いわゆるコラーゲンっぽい物体がたくさん入っていて、歯に絡みつくくらい。

 たっぷり入っているネギに、投入した白米がからむ。

 にんにくは、じゃがいものようにほっくりとなっていた。

 たまにはこういうものを食べたい。

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『水の花』つづき。

Ca3g3123  雨宮雅子さん『水の花』つづき。

・沢瀉(おもだか)は夏の水面の白き花 孤独死をなぜ人はあはれむ

・けんちん汁啜りてをればほやほやと胃の腑はぬくきふるさととなる

・薔薇の花の刺繍などせし若き日のわれにありしを人は知らざらむ

・少しづつ瞑想の気をまとひつつ欅並木は立冬に入る

・朝ひかり差す展示室絵のなかの青き林檎にわれは近づく

 この1首目が、帯にも挙げられ、〈あとがき〉では小中英之さんの作品とつながるという歌。

 雨宮さんならではの、いわば絶唱であると思った。

 写真は、ディ・チェコのポテトニョッキ。

 これが高くなくイケル。2分くらいで浮かんできたところを捕獲して、トマトソースで食べた。

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穴メリカン。

Cimg3523  Is this an American dish?

をどう発音するか。

 Is this アン アメリカン dish?

でなくて、

 Is this アナメーリカン dish?

のようにリエゾンさせたい。

 そこで、黒板に、

 Is this 穴メーリカン dish?

と書いて発音させる。(みんな鉄板で笑ってくれる。)穴穴穴、と言わせる。

 そしてたのしく、穴メーリカンと言ってくれる。しかし、ふたたび、

 Is this an American dish? を示すと、アン  アメリカン ディッシュ、に戻ってしまう。

 同じことが、an egg (姉具)や、an eraser(兄レイサー)にも言える。

 母国語の影響は大きいのである。

 写真は、高尾の森わくわくビレッジにて。ロコモコハンバーグ丼。甘くておいしかった。

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『水の花』。

Photo  雨宮雅子さんから第十歌集『水の花』(角川書店)をいただく。

 重々しくてどこか撥ね返されるように思っていた雨宮さんの作品だが、この歌集にはすっきりした作品もあっていいと思った。

 おどろおどろしいというか深すぎるのは苦手で、個人的な背景から切り離された、ふとした瞬間の歌が好きである。

 ちなみに、雨宮さんが棄教されたということもひとつのテーマになっている。

・ひき出だす狂気といふもあらなくに日にいくたびも庖丁拭ふ

・シガレットケースの銀も六年の忌の近づけば黒ずみてをり

(夫君竹田善四郎さんの忌日だろうか。)

・眼にちからこめれば獲(と)れるもののごとし椿の枝に来ゐる頬白

・どんよりと横たはる沼も春となりしきりにひかり溜めてゐるらし

・なきがらを運ぶくるまと思ふまで尾灯を雨ににじますくるま

 とりあえず、前半として。

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あなたは。

Ca3g3128

 副教材として「新中学問題集(発展編)」を使っている。

 無味乾燥な文法演習だけれど、こういうものをガリガリやるのも必要(というか、必要悪)。

 ときどき笑ってしまう例文もある。

「あなたはリサ・ブラウンです。」

「あなたはビルではありません。」

「私はメグではありません。」

のような、発話の状況がかなり限定されているような(つまり珍妙な)文。

 それもひっくるめての「英語」の勉強なんだと割り切ってやらせている。もちろん、利点のほうが圧倒的に大きいのだし。

 写真は、中野マルイの〈つな八・凛〉にて。

 この店、お米もとてもおいしい。眺めもいい。

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『七月の蜻蛉』。

Photo_2 尾崎潤子さんの『七月の蜻蛉』(六花書林)。

 尾崎さんは、「棧橋」の仲間。もともと歌の巧い人である。

 こうして、人生の一部を切り取った作品を読んでみると、ああ、人の人生での時間というものは一瞬一瞬が尊いものなのだなあと、改めて思う。

 こんな歌がよかった。嗅覚の歌にいい歌がよかった。

・頬杖をつくとき今朝のささがきの牛蒡が香るわれのてのひら

・霧雨をくぐりて帰るわが少女はつかに鮎のにほひを持てり

・豆腐屋に豆腐二丁を買ふあひだわれより高き向日葵見をり

・風の中ただ立つのみの青桐がひそかにわれのけふを支へつ

・「あ、芹。」と言ひて食みたり彼の日よりほとんど何も語らぬ夫が

 こういう歌を読んでから、尾崎さんは乳癌と闘うことになる。

 そういう知識があるからなのかどうか、尾崎さんの歌は人生のふとした喜びを体ぜんたいでとらえる鋭さに満ちていると思った。

 最後の歌は、ご主人がご病気なったりケガをしたりしたことが「彼の日」。しかし、人生の大小のイベントの、すべての前後に幸せな時間とそうでない時間があるのだろう。

 とすこし、感傷的になったりした。

 真田幸治さんの装丁もすごくいい。

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『こどもたんか』つづき。

Ca3g3121 本多稜さん、『こどもたんか』のつづき。

・われこそが世の中心と笑いだし夫婦喧嘩を止めたるむすめ

・ゆで卵丸呑みせんとして叱られて「だって図鑑で蛇がやってた」

・サンタさんありがとぉーっと雄たけびを七歳はまだあげてくれたり

・「まめー、まめー」とはもう言いてくれぬなりことば覚えてきっぱりと「ダメ」

・ころころと寝ていし頃よごつごつと今は重なって兄弟眠る

など。

 子供ながらの突飛な行動系はそれだけで収拾するおもしろさはあるし、言葉系もやっぱりおもしろい。

 写真は、ある方にいただいたもの。

博多「チョコレートショップ」の極み・手技アーモンドショコラ。

 「極み」と自称するだけのおいしさ。

 ありがとうございました。

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サバラン。

Ca3g31260001 中学の教科書は、「ONE WORLD」を使っている。

 多くの人の目を通った検定教科書は、(副教材などを含めて)総合的に見れば使いやすい。

 みんなで決めてみんなで使っている。

 そうは言っても、導入期の例文は苦しい。

 短い文を一般的で自然な状況に近づけようとすると、かえって無理がでる。

 生徒が白人の先生に、

 Are you from America?

なんていきなり訊ねる。失礼だよなあと思う。

 Where are you from? は構文の難度が高いからだ。

 他にも、かつてなら、This is a pen. なんていう(幻のような)例文があったらしいけれど、この教科書は、

This is my classroom.

This is our homeroom teacher, Mr. Sato. 

が、this is の導入のために出てくる。(そう紹介する状況は、あるといえばあるだろう。)私なら、

This is my pen.

と、拾いものをしながら言わせたいところ。

 そのあと、Is this your ball?   Yes, it is.  Thank you, Aya.  なんてページにつづく。

 中学生同士で Yes, it is. なんて丁寧に言うかどうかは別にして、いい例文である。

 感動的なシーンだねえ、なんて嫌味を言いつつ、教科書をくさしつつ、進んでゆく。

 写真は、京王プラザホテル「樹林」のサバラン・クラシック。

 スポイトのブランデーをお好みでかけてくださいと言われたけれど、洋酒をスポンジケーキに含ませるのが、サバランの定義。

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『しんきろう』。

Photo 加藤治郎さんから第8歌集『しんきろう』(砂子屋書房)をいただく。

 加藤さんの歌は、どれもとても刺激的。

 おそらく企業人としても、時代の先端をひりひりと走っていらっしゃるのだろう。

 だが、一首づつを見てみると、「わからない」歌が大半。

 それは、短歌を作るときの前提に、一首全体としてのきっちりとした意味解釈を求めていないからだと思う。

 言葉の断片の力でぐいぐいと押し、一首としての整合性とか解釈とか意味とか、これまで短歌で必要だと(私が)思ってきたものから自由にあろうとする決意なのだと思う。

 あるいは、言葉を超えた次元で勝負しようとしているけれど、言葉を使わざるを得ないところのジレンマを私が読み解けていないのかもしれない。

 五つの句(に切れるとして)のうち、一句だけを「わかる」ように納めてくれれば、全体が「よくわかる」ところを、すっと(打者の手元で外角に逃げるスライダーのように)かわされてしまう歌が多いのが、やっぱり残念。

 しかしそれは、ブルドーザー・加藤治郎の作り方であり、読者としての私は、そのまま受け入れるべきなのだろう。

 ただ、分かってしまう歌は、加藤治郎らしくない平凡さを纏うこともあって、評価に迷う。

 そのあたりで、「わかる」けれど加藤さんらしいと思う地点にとどまっている秀歌を挙げておきたい。

 挙げはじめるとけっこうたくさんあがるのは、やはり歌集の強さなのだろう。

・月蝕のすすむしずかな空を見て俺のこころは善意にみちる

・消しゴムの角が尖っていることの気持ちがよくてきさまから死ね

・秋の水しょろしょろんしょろしょろん私は何もできないのです

・四日後に説明すると俺に言う俺の未来を知ってる奴が

・さくら花吹き寄せられて生涯の終りに首都の車輛を止める

・はずしあう白いボタンのいらいらとはじまるときの息はせつない

・暗がりでクリスタルガイザーのラベル剥ぐ指はよろこぶボトルのくぼみ

・ぎくしゃくと時間が過ぎるぎくしゃくとハンバーガーの薄い包装紙

・これが最後の一つぶという自覚なく食べ終えた、そんな死もあろうよ

・シーソーの上がったままのいもうとを見つめてぼくはゆうばえのなか

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『こどもたんか』。

Photo 本多稜さん『こどもたんか』(角川書店)を読む。

 いわゆる序数歌集ではなく、子育ての歌をテーマにした一冊。

 男男女の3人のお子さんの、3番目の女の子の誕生から3歳までを、時間を追ってまとめている。

 事実・エピソード系、観察系、思索系などが、バランスよく並んでいる。

 ときに甘くときに幼い表現になってしまうのはそれでいい。

 一首一首の歌の良し悪しという評価軸と同時に、歌の内容世界のおもしろさの軸をもって楽しくせつなく読んだ。

 こういう大胆な歌集にするところが、さすがスケールの大きな、男・本多稜という感じだ。

・キスの音かとも思えるくしゃみしてひとつこの世のスイッチを押す

・フツーに壊れたと繰り返すのみ問いつめてゆけば本泣き泣き負かされつ

・かあさんの中で電気が黄色からピンクになって出ることにした

 (これは、胎児の記憶というものかな。)

・壊したる父の眼鏡の数をひとつ越えて次男は五つとなりぬ

・六歳にして赤ちゃんは要らぬと言うのんびりしたいからとのたまう

 さまざまな視点と主人公から繰り出される世界、それが子育てというものなのだろう。

・みどり児を椅子ごと放りたき衝動ありしこと胸に刻みおくなり

 その中に、こういう歌があることを、私も胸に刻みおきたい。

 とりあえず、5首。

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『草ばうばう』。

Photo  岡崎康行さん『草ばうばう』(角川書店)。

 草ボウボウと音読する。まさか、バウバウではない。

 生真面目な歌が多いけれど、その一方でどこか自分をカリカチュアライズしたような、すっとぼけたような諧謔精神を感じさせるのが、岡崎さんの好きなところ。

 小さな穴から大きな世界を覗くようなところもいい。

 大きな力に動かされたのちの、小さなものの姿をいとおしむような歌もいい。

・盥ひとつ庭に忘れてゐたるもの雪の小さな起伏となりぬ

・夜の電車とほくレールを噛む音のからだのなかに湧くごとき音

・われの名が呼ばれてゆつくり立ちあがる名にわたくしを当て嵌むるべく

・生くるとは洗ふことならむどの家もひとすぢの水を通過させをり

・持ち上げしポットにぐらり水揺れて揺れ返りたりわれの手は知る

などに、特長が見られると思う。

 短歌という形式の、ある意味でのつぶやきの強さを具現しているような歌、この積み重ねが生きているということなのだと思う。

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『金の雨』その3。

Ca3g3108  さんたび、横山未来子さんの『金の雨』から。

 そこにあるのは、自分がこの世に存在したという事実への愛惜。

 と同時に自分の不在の時空への愛惜でもあろう。

 繰り返されるこのモチーフにはまると、泣ける。

 横山さんの視点の低さを知っていればなおさら。

・われの眠る間も鳴くならむ鉦叩き心音のごとしばらく聴けり

・日溜まりへ近づくごとく拾ふときおもひがけなき柚のかるさよ

・かの街にて小さき詩集を選びたる日は行きわれに詩集のこりぬ

・辛夷の木の高さにありぬ今しがた扉(と)を押して出てきたりし部屋は

・煙草の火のごとく携帯電話灯す人の影みゆ木の影の辺に

など。

 写真は、新大久保「恵美須」にて。

 宴席のカムジャタン(たぶん。。。)火をつける前。

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カフェイン不足。

Ca3g3050_2

 4月上旬、なんだか不調なときがあった。

 カフェイン不足だったのかなあと、いまごろになって思う。

 その直前の2週間にアメリカで飲んでいたコーヒーの量を思う。

 朝、寝巻のままでモーテルのロビーのコーヒーを飲む。

 出発前に注ぎ足して飲む。

 朝食時はカフェテリアでもちろん飲む。

 そのあと事務所で休憩しながら飲む。

 どれも薄めのいわゆるアメリカンコーヒーなので、満足感がなくて(それなりにうまいのだけれど)大き目のタンブラーでがぶがぶ飲んだのだ。

 いつも無料だったし。。。

 ディカフ(カフェイン抜き)もたいていは併置されていたけれど、なんとなくそうじゃない方を飲んでいた。

 帰国後、自宅では事情あってディカフ。(それにほうじ茶。。。)

 ふと気づいて濃いコーヒーを飲んだら元気になった。

 証明はできないけれど、そういうことにしておく。

 写真は、新井薬師前〈泰山〉の明太子チャーハンなど。

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