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発言は。116。

Ca3g0902   〈日々のクオリア〉。

 先日ここに書いた『ぼく、牧水!』(伊藤一彦・堺雅人/角川 one テーマ 21)のつづき。

 引用ばかりだが。

 堺さんのいくつかの発言は、表現者としてというより、生きてゆく上で示唆的なものだった。

・なにかを作り出すときには、自分のなかにある「スッキリ説明できないもの」を切り捨ててはいけないような気がする。

・最近、僕は「うまい」と言われることがあまりうれしくなくなってきたんです。なんだかちょっと恥かしい。

・世の中には、鈍い刀じゃないと切れないものもなる。鋭くないストーリーは、時々ズーンと、カラダに響く。

 どれも、ひとつのことを言っているのだ。

 こういう感覚は大事にしたいと思う。

 写真は、新井薬師前(高田馬場から3駅目です)の、「江戸や鮨八」の巻き物。名前は失念。アボカドとサーモンとご飯は合うし、とびっ子も華やかでいい。

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『桃花水を待つ』

Photo_2 「かりん」の齋藤芳生(よしき)さんから『桃花水を待つ』(角川書店)をご恵贈いただく。

 アブダビに日本語教師として行っていた歌が中心になると思う。

 福島や東京の歌は、ややぼんやりしているようだった。

  一首の核になる名詞や景色が淡いというか。大づかみというか、優しすぎるというか。

 それよりも、アブダビの歌がいい。地図帳で位置を確認する。UAE(アラブ首長国連邦)の、ドバイの近く。隣にはドーハのあるカタール。

 海の歌が予想外に多い。砂漠のイメージが強いが、海沿いなのだ。

 想像しがたい光景だから、詞書きなどの説明がもっとあってもよかったか。

 砂漠、砂を大づかみにしないで、生活のこまごまとしたエピソードを多くした方がよかったか。(「短歌往来」の「アブダビ通信」の具体で。)(と勝手に思う。)

 日本語教師としての歌は、大口玲子という先人の巨人がいるから詠みにくいしなあ。

 アブダビ詠からベスト5。特徴的で記憶に残る歌集であった。

・水煙草の煙わずかな風を得て月のひかりを追いかけたがる

・簡潔な水の変化よ朝方の窓を開けば眼鏡が曇る

・くしゃみしそうな顔で見ているカタカナで名を書かれればくすぐったいか

・「もし神がお望みならば、また明日。」校長サルマ女史の白き歯

 (↑イタリックの部分は傍点。このブログは傍点が打てない。)

・井戸のあり腕を伸ばせば水底に冷やしおきたる我のふるさと

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北の壁に。115。

Ca3g09180001_2   〈日々のクオリア〉。

 〈竹の子日記〉(9/25)で、桑原正紀さんの歌が紹介されている。河野裕子さんへの挽歌と小文。

 とても自然で、とてもいい。

 写真は、中野〈オリエントスパゲティー〉のもの。

 「スペイン産生ハムとモッツァレラチーズのブルスケッタ。」

 店にはピザを焼く窯がないので、その代わりのようだ。

 ごくたまに夜に訪問。小皿料理のどれもが丁寧な塩味がついていて、ワインによく合う。

 〈ドライトマトの香草パン粉焼き〉も最高だった。

 そのワインは、オーガニックのもので、2000円のチリのカベルネでも、すごくおいしい。

 BGMの趣味も合うしなあ。やはり、食べ物屋さんは夜が本領発揮なのだなあ。

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ふにゃけた詩。

Ca3g0892  角川「短歌」10月号の馬場あき子インタビュー(聞き手・川野里子さん)はよかった。

 馬場さんがおっしゃりたいことが的確に伝わる、馬場さんのエッセンスのよう。

・今まで経てきた分厚い、このぶよぶよとした、決して凝縮したり固まったりしない累積、沼のような累積の上に立っているっていう感じです。

・やっぱりそういう素人の言葉とリズムを大切にするほうが歌は生きる。

・どうしても歌謡性が高いほうが残るんです。

・文語というのは、短歌をふにゃけた詩にしないためのすごい魔力持ってますよ。

・口語って思想を宿しにくい。思索性が薄いんですね。

 口語/文語の話は、続きがあって、必ずしも口語反対というわけではない。それは馬場さんの作品を読めばわかること。

 残る/残らない、というのも、馬場さんがときどきおっしゃること。怖いけど、そういう意識は必要だと思う。

 この号、巻頭の香川ヒサさんのエッセイに宮英子さんの歌があって、そのあと宮英子さんの新作10首、高野公彦氏の30首、小島なおさんの10首などある。

 私も馬場さんの『月華の節』について少しだけ書いた。

 写真は、新大久保〈栄寿司〉の鯖。3人だから3カンある。

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『ぼく、牧水!』

Photo  伊藤一彦さんから『ぼく、牧水!』(角川oneテーマ21)をいただく。

 俳優の堺雅人さんとの対談。「歌人に学ぶ「まろび」の美学」とサブタイトルがついている。

 伊藤さんのお顔も帯に大きく載っている。うーむ。堺さんは教え子、かつ早稲田の後輩だそうだ。

 牧水の有名な歌を挙げながら、牧水の生き方の中心部に迫る。

・牧水にも、似たような強さがあるんでしょうね。「人間なんだから、つんのめるときもあるよ。それも含めて私なんですみたいな強さ、おおらかさ。(堺)


・牧水には、だだっ子のような愛らしさがありますよね。(堺)


・「一体になる」、すなわち対象と一つになることが、牧水の自然観の特色です。(伊藤)

・人間のおかしみ、悲しさって、いくらでも絶望的な鋭い表現ができる素材だとも思うんです。けれども、牧水はそっちには行かない。やっぱり「なまくら」なんだよなあ。僕はそこが好きなんです。(堺)

 などなど、堺さんが自分の言葉で牧水をとらえて発言しているのがとてもよかった。

 読みやすく、楽しい一冊だった。

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ああさうだ。114。

 〈日々のクオリア〉。

 「コスモス」「棧橋」の友人(というか先輩)の、斉藤梢さんからお便りをいただく。

 「陸奥新報」にお書きいただいたもの。

 かなり前のものになるけれど、感謝をこめて再録しておく。Photo_2 

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『自転車の籠の豚』2。

Ca3g0886  渡辺松男『自転車の籠の豚』の後半から。

 ホントに不思議な歌が多い。

 不思議過ぎるのはついてゆけないのだが、これくらいはちょうどよくわかる。

・一所懸命落ちてくる滝見ておれば滝は抱きしめてやらねばならぬ

・熊避けの鈴鳴らしつつ行くけれど 遠いかなたが戦争なんだ

・豚小屋に豚百五頭まで数えめがね拭きたり黒縁めがね

・からだのないわたしはだれに見えるのか酢のような匂いをひとはうたがう

・藁を焼くうつくしき火と見ておれどほのおは最後くるしみて消ゆ

などがいい。

 写真は、新大久保〈ソムオー〉のレディースセット。レディーじゃないけど、いろいろ食べたいときはこういうのがいい。

 ひとり宴会みたいだ。

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「あれ、まさか」。113。

Ca3g06860001_2 〈日々のクオリア〉。

 水上芙季さん『静かの海』からもう少しあげる。

 なるべく、たくさんの人にお読みいただきたい歌集。柊書房へどうぞ。

 野球で(強引に)言うと、中距離バッターの感じかな。そんなに力を入れないで、フェンス直撃の軽い打球を飛ばす感じ。もちろん、アベレージも高い。

・シュレッダーに会議資料が呑まれゆき思ひ出せない今朝見た空は

・夜明けまで法改正のため働いて寝顔うつくしき法規係(ホウキ)の青年

・内線でこつそり呼ばれカステラをもらつたりした 大好きだつた

という職場の歌もいいし、

・犬がゐることに驚きその犬がふり向きたればヤギでオドロク

という旅行詠(沖縄・渡嘉敷島か?)もいいし、

・足元のコップを蹴とばしてしまひそこから人間らしくなりたる

・昼の月浮かぶ日比谷の交差点 行き先をまだ決めてなかつた

という、やや謎を含んだ歌もいい。

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『静かの海』。

Photo  水上芙季(みなかみふき)さん第一歌集『静かの海』(柊書房)を読む。

 19歳から20代末までの作品が編年体で並んでいる。

 前半はまだまだ生硬な感じだが、後半に入るにつれて、徐々にほどけて良くなる。

 20代女子から見た職場の風景と人間関係と恋愛感情が、独特なユーモアとウイットで描かれる。

 ちょっと丁寧に言い過ぎて、タネあかしをしてしまうところもある。

・灰色のコートをはおり罫線のない便箋を買ひに行く冬

 (最後の「冬」が言い過ぎかな。)

・書けるペンと書けないペンを分けてゐた二十五歳の最後の夜に

・このビルの建設着工日を言へるその日は君の誕生日ゆゑ

・待ち合はせ時間の二十三分も前に着きたるわれをかなしむ

・ああさうだこの声だつたと思ふためそのためだけに君と会話す

ちょっと切ない歌の抽出になってしまった。

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寂しさに。112。

Ca3g08880001_2 〈日々のクオリア〉。

 世間の3連休は文化祭とその片づけで出勤。

 年を経るごとに、文化祭が苦手になってきた感じがする。

 ワカモノのノリについていけなくなったのか、進化/深化していかない、毎年の作っては壊すの繰り返し騒ぎに飽いたのか?

 まあ、「祭り」は、毎年同じことをやるものだし、生徒からすると数少ない経験。側面援護してゆくのみ。

 写真の丼は、セブンイレブンの〈甘辛鶏マヨのパスタサラダ〉

 パスタサラダシリーズはけっこう好物。

 こういうものを買ってきても、陶器に移したくなる年齢になってしまった。

 それと、キリン「秋味」。短い期間しか出回らないから貴重。こういう濃ゆいビールが好き。

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口蹄疫風聞書。

Ca3g0884 「短歌往来」10月号。

 伊藤一彦さんの33首、「いのち―口蹄疫風聞書」はすごい一連であった。

・報道はされず 寄り添ひ仲間なる牛の涎を舐めやりし牛

・息絶えし母牛の腹の中にゐる赤ちやんしばし動きて已みぬ

・抵抗せず処分を受くる一頭一頭写真に撮りし飼主の男

・親と子は同じリボンを付けおきて一緒に埋むるを頼むもゐたり

 など。

 こういう歌を、いくら同じ宮崎県在住とは言え、都市部(たぶん)の視点から読むのは難しい。でも、だれかがこういう高いレベルで詠んでおかなくてはならないことであったと思う。

 写真は、新井薬師前〈RYOMA〉のもの。

 「塩丸鰹味」にメンマを乗せてもらった。鰹粉が効いている。

 ひさしぶりのRYOMAだが、裏切らない。濃厚に見えて適度、塩っぱさも適度。

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『自転車の籠の豚』1。

Photo  渡辺松男さんの『自転車の籠の豚』(ながらみ書房)を読む。

 571首!

 突飛であり、キテレツであり、とてもさびしがりやであり、暖かい。

 自他のカラダを強く意識していて(他、とは万物である)、それぞれが入れ子構造のように入れ替わる変身譚が多い。

 そのなかで、弱者への心寄せがあり、自分が消え入るような不安がある。

 しかし同時に自然の物象に最終的には守られているのだという安らぎもある。

・桃の花ふっくらと裏山に咲きふんいきとなりてしまいたる妣

・石となる途中のわれのかたわらをそっとながれている芹の川

・さくらばな祈りのあまたなる破片ちりしきにけり祈りは硝子

・目おそろし 火口見て火口もわが内におさめてしまいましずかにあり

・一世(ひとよ)という雲間のごときいとしさは遠い藁葺屋根に日がさす

など。とりあえず、前半から。備忘的に。

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喫茶より。111。

Ca3g0871  〈日々のクオリア〉。

 今日から2日間が、勤務校の文化祭。

 毎年18000人ほどに来校いただく。

 クラス(中2)の出し物は、なるべく生徒にオマカセすることにした。

 こちらが手を突っ込むと彼らの自主性を損ねる。

 安全性と全員参加だけを注意して、あとの成否は彼らの試行錯誤に任せる。

 まあ、なんとかなっているようだ。

 写真は、〈一六八〉「冷やし刀削麺」

 冷水でしめられることで、麺のコシが出ている。新食感。

 素朴だけれど、完成された一品。

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パレード。

Ca3g0878 吉田修一『パレード』(文春文庫)を読んだ。

 先日、中2の実力考査(国語)の問題に引用されていたから。

 試験監督中にほんの一部を読んだ本を買う、というのはよくある。

 担当者のセレクションと気が合うのかな。

 2002年に単行本になっていて、映画化もされている。(藤原竜也と香里奈と小出恵介と貫地谷しほりが出ている。)

 最後のコワイ部分によって深みがでている.

  でも、それがなくても、ちょっとした細部のリアルさ、エピソードの積み重ねだけでじゅうぶんにおもしろいと思う。

 『悪人』もブックオフで購入済み。

 写真は、ひさびさの中野〈オリエントスパゲティ〉。

 「ノルウェイ産サーモンとアボガドの冷製トマトソース、ジェノバオイルがけ、フェデリーニ。」

 というもの。これは自分じゃあ作れない。

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父を支へて。110。

Ca3g0859  〈日々のクオリア〉。

 高田馬場のタイレストラン〈ボス〉へ。

 写真は、パッタイ。

 太麺ビーフンの焼きそば。

 「パッ」が炒める、「タイ」が国名のタイ、らしい。

 つまり、タイ王国を炒める、という豪華な名前。

 日本でいうと何だろう。

 「日本そば」はある。「大阪焼き」はあるし、「関東煮」は中国語でおでんのこと。

 「中華丼」はある(日本語として)。ジャパンといえば漆器のこと。

 余計なことを考えつつ食べる。

 生のもやしがいいアクセント。

 おいしいのだけれど、ちょっと胃にもたれる感じもあった。

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『長夜集』。

Photo  小高賢さんの『長夜集(ちょうやしゅう)(柊書房)が届く。

 ずっと前から、小高さんのたたみかけるようなリズムのファン。

 今回は、「老い」を客観視しようとすることから、キツさやツラさが染み出してくる。でも、苦しさとも違う。しっかり受け止めている感じ。

 初老の率直でナマで饒舌な(あがきの)声だろうか。

 言いたいことをどんどん言い、読者に媚びないところがいい。ここまで言うかというものも素で言う。

 ちょっと観念的に傾いている(知が強すぎる)ところはあるけれど。

 記憶に残る歌が多い。

・晩年はそっと背(せな)よりしのびより大きなる手に押してくるもの

・ひと切れのことばなくともうなずきが教えになるを成熟という

・一人分に盛りつけられし鍋セットひとりの貌に子が重なりぬ

・いくつぐらいまで生きたいのかと聞かれたり娘の何気なき率直な問い

・要するにという発想のそとに出てもうこれからは息災くらべ

・「あれ、まさか」前の背に浮くおとろえに粛然として焼香に並む

 そういえば、今日は、旧敬老の日だな。

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夜半すぎて。109。

Ca3g08720001_2  〈日々のクオリア〉。

 神保町(このワープロは、ジンボチョウと認識しているらしい。)の「なにわ」へ。

 鱧が食べられる店。

 「棧橋」100号の記念の食事会がここの座敷で行われたり、なんどか来たことがある。

 あれば「三岳」が安く飲めるのもいい。

 (→)こんな色紙が飾ってある。

 歌集では、

・原稿を一つ済ませて夏ゆふべ酒亭「なにわ」に鱧(はも)食ひに行く    『渾円球』

 となっている。

 私の理解では、色紙のために作られた歌ではなく、どなたかが歌の存在を知って、色紙につなげたのだろう。

 このあたりは、出版社が多いので、内容的にも合っている。

・神保町酒亭〈なにわ〉の小座敷で鱧食ふ夏の近づきにけり     『甘雨』

もある。

 歌としての良し悪しはともかく、挨拶歌はあってもいいと思う。

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ハヌガ。

Ca3g0870 〈韓友家(ハヌガ)の冷麺。

 勤務先から一番近い韓国料理店。

 名店というほどではないが、いつもそれなりにお客さんはいる。私も来ている。

 セルフサービスのコーヒーが付く。

 あるお客さんがセルフかどうかを確認すると、

 「ソれハあナた、ヤるコと、ナイでスか?」

 というような感じで(あくまでも感じで)、たぶん韓国人の店員さんに(叱られるように)言われていた。

 セルフサービス、と大書きしてあるのだから、それを見てくださいよ、という店員さんの苛立ちだろう。

 コミュニケーションは難しく、しかし、伝えるだけならなんとかなるものだなあと、側でひやひやしながら見ていた。

 麺はたっぷり。丼の中の氷もスープを凍らせたもの。酸味と辛みがちょうどよかった。

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『鈴を産むひばり』。

Photo_2   光森裕樹さんの『鈴を産むひばり』(港の人を読む。

 造本と同様、美意識が高い歌で構成されている。

 端正で老成している感じはある。(歌集名は「空の壁紙」じゃなかったんだな。)

 飛行機で三脚を持ち運ぶ歌があるから、写真関係の人なのか。

 だいぶ難解な構成の歌もあっておもしろいけれど、形象の把握にいい歌が多いと思った。

・ひまはりと書かれてしろき立て札に如雨露に残るみづをかけたり

・喫茶より夏を見やれば木の札は「準備中」とふ面をむけをり

・神あまたやどれる細部のかたまりのブロッコリーを塩ゆでにする

・パパイヤを提げて見てをり瞑想のまへに僧侶がはづす眼鏡を (詞書きとして、「タイ内陸部、チェンマイ」)

・読みかたのわからぬ町を書きうつす封のうらより封のおもてに

・友の名で予約したれば友の名を名告りてひとり座る長椅子

・ドアに鍵強くさしこむこの深さ人ならば死に至るふかさか

 こうして書き写すと、ひらがなをきちんと使っているのもわかる。歌巧者なのだ。

 だから、わからない歌も、おそらく知識の問題だけで、キーがあれば解読可能なのだと思わせる。あまり買い被っても迷惑だと思うけど。

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ことばもて。108。

Ca3g0829  〈日々のクオリア〉。

 喉の痛みは、かかりつけのお医者さんに、「上気道炎」と名付けられた。 

 クーラーのフィルターについている雑菌のせいもあるという。

 出勤してもいいけど、授業はやってはダメだと言われる。

 リスニングや読解の教材で対応。なるべく声を出さないようにする。(それでも出さざるを得ない。)

 体に貼り付けて咳を止めるシールのようなものも処方された。

 お守りのようなものですから、と言われたが効いているのかなあ。

 写真は、いつもの〈コパン〉のスパゲティ・プッタネスカ。

 「娼婦風」と訳すヤツ。子供にショウフってなに、と聞かれたら困るだろうな。

 オリーブが予想以上にいいアクセントになっていた。

 和食なら紫蘇や山椒を使うところかな。

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棒立ち。

Ca3g0810  「棒立ちの」少女に浴衣を着せて宿のお風呂にゆく。

 という内容の歌があった。

 先日のカルチャーセンターのこと。

(「棒立ちの歌」という穂村さんの用語を思い出すけど。)

 作者欠席で軽く触れただけだったが、「棒立ち」がわからないですね、と発言した。

 少女の細さを言うなら、「一本の」とかできますね、とも。

 講座のあと、受講者の方(私の2倍弱の年齢の方)が教えてくださった。

 あれは、着物を着せたことのある人ならわかります、と。

 慣れていない人は着せてもらう時に「棒立ち」で待っているだけなのだという。

 慣れてくると、自分で襟や袖を引っ張ったり、着せてもらいやすい体勢にするのだと言う。

 その方の、25歳くらいのお孫さんは、今でも「棒立ち」だそうだ。

 だから、その歌も「棒立ち」が的確なのだと。

 なるほど。そうか。

 写真は、中野〈メリメロ〉のランチ。芋豚の肩ロースのソテーだったか。めーうーましっそよ。

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「はえぬき」の。107。

Ca3g0864  〈日々のクオリア〉。

 昨日は、マイクを使って授業をした。

 喉の痛みで大きな声が出せなかったから。

 ひとつひとつの発言が、もっともらしい感じがしないでもなかった。

 話しながら、当たり前のことを言っているのに、無用に重々しく聞こえたのだ。

 マイク・マジックかな。いかんいかん。

 写真は、新大久保〈一六八〉の「揚げ豆腐」。

 同僚と行くと、自分では選ばないよCa3g0865うなものも食べられるからいい。

 I get off!(降りまーす!)なんてダジャレを言う。

 かつて、パリのラッシュアワーの地下鉄で、降りられなくなって、苦しまぎれに、ジュ・ディッソン!と叫んだ。

 周りの人たちが、さっと避けてくれた。そんなことを思い出した。

 下の写真は、黄韮とイカの炒め。キニラは岡山県の特産らしい。

 「整腸、解毒、食欲増進などの効果がありビタミン類も多く含まれ」うんぬんと、あるページに書いてあった。あり、ビタミン類も多く含まれ、昔から健康食品として重宝されてきました。

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『王者の道』。

Photo  川野里子さんの『王者の道』(角川書店)。

 川野さんらしい、大柄なタイトルは、カリフォルニア州を南北に走る、エル・カミノ・リアルのことだそうだ。

 今作も、女の情念がじっとりと重い言葉で語られる。

 どの言葉にも意味が濃く詰め込まれていて難解というか、知的と言うか、少し考えさせるように工夫された比喩(クイズ?)が効かしてある。

 裏側から深く考えられた言い方が多く、ひとつひとつの言葉に意味が重く張り付いていると言えばいいか。

 そういう、川野さんの独特の世界もいいけれど、もっと肩の力が抜かれた、こういう(↓)歌がいいと思った。

・蟇蛙かんがへて跳びかんがへて跳ばぬことありこの世の春を

・そこのゐて悲しみつづけよと言ふやうな夜毎の電話老母にするなり

 (「老母」は前の歌から、ハハと読ませるのだとわかる。大分にお住まいのお母さまの老いもテーマのひとつ。)

・夫のシャツ子のシャツ異なる匂ひもち仕方なさげに重なりあへり

・解散のなき整列はつづくなり硫黄島区域に連なれる墓碑

(ワシントンDCのアーリントン墓地を訪れたときの作品。)

・賛成と反対のあはひ手を挙げて本音を言へばと白木蓮(はくれん)咲けり

(こういう知的な処理が川野さんらしい。ただし、この第4句のような、いわゆる四四の散文調のリズムが多いのは気になった。)

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初めより。106。

Ca3g0822  〈日々のクオリア〉。

 昨日・今日は〈実力考査〉。

  夏休みの成果を見ましょう、というテスト。

 中2の教室のクーラー君は、2時間目までがんばった。しかし、3時間目の半ばで失速。

 気温が上がってくるわけだし。

 明らかに球威の衰えてきた先発ピッチャーを替えられないような状態。

 試験中はもちろん団扇は使用不可である。(カンニングになってしまいます。) 

 写真は、京王線桜上水駅徒歩3分の〈鶏料理・義仲〉のつくね。ツクネルからツクネなんだよなあ。捏ね、かな。

 どの料理も、(ドラゴンズファンの)おやじさんによって丁寧に作られているようだ。

 鶏三昧の一夜だった。

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まなざし。

 「まひる野」9月号の時評で、『アスタリスク』の旅行詠が取り上げられている。

 筆者は米倉歩さん。(S木竹志さんに「まひる野」を送りいただいた。)

 旅行詠は(とくに海外旅行詠は)評価されにくい。私はがんばって作っているつもりなのだけだけれど。

 だから、こうしてきちんとお読みいただいて評価いただけると、とてもうれしいのである。

 ありがとうございます。転載をお許しください。

Photo

 

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リミット。

Ca3g0866    2学期が始まって4日間。

 勤務校では、教室のクーラーが効かない。

 電力が十分に供給されない、とかで、中央管理で点けたり消したりしているのだ。(通常は各教室で設定している。)

 東京電力と契約した電力量の上限が決まっていて、それに近づくと警告が出る、というウワサ。

 (家庭なら、突然にブレイカーが落ちてしまう?)

 本当に、そんなことがあるのだろうか???

 ただ単に、暑くておかしくなっているだけじゃないか。

 生徒たちは、ひとり60ワットの白熱電球ほどの熱を発しているという。まあ、耐えているのはえらい。

 こっちは、授業と称してしゃべくっているから、もっと暑い。

 プールも水温33℃とか。泳いでいると汗をかいているのがわかるという。気持ち悪くなるとも聞いた。

 写真は、新大久保〈一六八〉の冬瓜と海老の炒め。地味だけれど、塩味が際立ってうまかった。トウガンの字面ですこし涼む。

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ぺらぺらと。105。

Ca3g0804  〈日々のクオリア〉。

 (↑)と同じ、砂子屋書房のウェブサイトでコラムを書かれているのは、真中朋久さん

 その「鞦韆録」で、先日の「コスモス」の時評に触れてくださっている。

 結論のひとつが以下の部分。

まず「わからないなあ」と言うにしても、やはりそれに続けて、どこが問題なのか。作者またはその周囲が「散文に還元」して言うことなどに耳を傾けて、具体的に技術批評を加えてゆくことではないか。とりあえずは「わかろうとする姿勢」で臨むことではないか。

 まさにそのとおりだ。 

 また、たしかに批評会や歌会では、バランスをとって肯定的意見否定的意見を言うものであろう。

 それは、個人の意見を超えて、集団として一段高い、多角的な議論を導きたいがためである。

 (これが、職場ではなかなか受け入れてもらえない、ような気がする。)

 写真は、京王井の頭線三鷹台駅前の〈美たか庵〉で出してくれる漬物。

 私が写真を撮ると知って、盛りつけを工夫してくれるらしい。

 まあ、これは、やり過ぎの感じもするけれどなあ。

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『風聞草』。

Kaze  荻山数さんの『風聞草』(柊書房)。

 かぜききぐさ、と読む。

 荻山数さん(オギヤマ・カズさんです。念のため。)は「コスモス」の大先輩。

 岐阜県恵那市在住で、40年間、高校で国語を教えられていたという。

 これが第3歌集。

 先日、幸綱さんの「技術的研ぎ上げ」という言葉を書き写してみたが、こういうベテランの存在は、結社の「研ぎ上げ」の力であろうとつくづく思う。

・みちのくのこけしだるまの髭濃きを据ゑて雪降る国びと思ふ

・小松菜とならび辛子の花咲けり辛子はすこし黄の色暗し

・夜のうちに地上にうすく雪敷けり氷れる池はいちだん低し

・黄に光るえのきの芽ぶき 杳(とほ)い日にわたしもあそこで光つてゐました

・ラ・フランスしづかに夜を熟れゆきてわが死たしかに迫れる気配

・戦中と戦後のつらき少女期よ一生(ひとよ)のうちでそこがかがやく

など、しっかりとした視点の置き方がある。

 ちなみに、先日紹介した『ガウス平面』の著者・松本由利さんのお母さまでもあられる。

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ああなにか。104。

Ca3g0834_2   〈日々のクオリア〉。

 夏休み締めくくりは、千葉マリンスタジアムへ。

 メッカ巡礼のような気分。(巡礼したことはないけど。)

 ファンクラブのチケット引き換えで良い席をとるため、早めに出動。

 4時ごろ、徒歩5分のアパホテルへ。

 地上48階のインターネット&コミックカフェ

 あるとは知っていたが、こんなに良いとは知らなんだ。

 2時間800円(パソコンなし)。シカゴの高層ビルからミシガン湖を見ているようなすごい眺めだった。こういうのを穴場という。(写真上。)

Ca3g0838 もちろん、ドリンクバー付き。ソフトクリーム自分で出す。にょろり。

 ひたすら某歌集を読む。

 11月には、この隣のニューオータニで「コスモス」の全国大会があるんだ。

 試合は、岩隈を観に行ったようなもの。でも、6回8点差で降りてしまった。

 観衆は16000人強。

 もう、8月31日は夏休み最終日ではなくなってしまったのだ。

 世知辛いというのかなあ。

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技術的な研ぎ上げ。

Ca3g0827  「短歌研究」9月号では、短歌研究新人賞の発表があった。

 その座談会の最後のところの佐佐木幸綱さんの発言。

 さすが現代短歌の舵取りをしてきた人の言葉であった。

 私がふだん思っていてうまく言葉にできなかったこと。

 備忘のために書き写しておきたい。(改行は筆者。)

短歌は定型詩という側面と、伝統詩という側面、二つの側面を持っていて、技術的な積み重ね、技術的研ぎ上げ、そういう楽しみがこの詩型にはあるはずなんですね。

それが今回の入選作のような歌の形だと、アイデアとか、内容の刺激性とか、新しさとか、既視感のなさとか、そういうところだけで勝負になる。

表現の技術の問題が勝負どころになっていないケースがずっと続いてきて、これでいいのかという思いもあります。

(中略)

こういうしゃべり言葉を導入した表現はその場では新しいけれども、積み重ねの結果でも研ぎ上げた結果でもない。

これがずっと続いていっていいかというとやはりそうでないだろうと思う。

持続的に歌を作ってゆく楽しみが削がれてしまうからです。

これでは十年しないうちに面白くなくなって、飽きてしまうだろうという予想は持ちます。

(後略)

 ううむ。まさに。

 写真は、新大久保〈トンマッコル〉のキムチ素麺。

 お酢が効いていてさっぱり。

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