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あたふたと。

Photo  今年も終わり。

 何をやったのだかやらなかったのだか。

 手帳をめくる。

 1月、2月は高校3年の担任だったので、やや時間があった。『アスタリスク』の原稿をじっくりと見た。2月半ばに入稿。クラプトンのコンサートに行った。国立大の入試の発表のときは愕然とした。屋久島と台湾に行った。

 4月には予想外に中1の担任となった。5月上旬に歌集ができた。家人の親友が亡くなった。毎年のようにあたふたして1学期を過ごした。

 7月、インフルエンザ騒ぎ、臨海学校の引率。8月、裏磐梯、NHK収録・出演。よく野球を見に行った。よく負けた。

 その後もあたふたと2学期を過ごした。他にも書けないことがいろいろあった。

 定期的には「コスモス」の選歌・編集会、小さな読書会・歌会、その他、多くのお誘いを受けた。自分を引っ張っていてくれるもののありがたさを感じる。

 特に、『アスタリスク』関係では、多くの人からご感想、書評をいただき、とても励まされた。ありがとうございます。

 来年もあたふたと行きたいと思います。よろしくお願いします。

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39歳。

Photo  今日で39歳。

 誕生日が来るたびに、永田紅さん

・人はみな馴れぬ齢を生きているユリカモメ飛ぶまるき曇天

を思い出すのだが、今日もそうであった。

 あるいは、40歳の準備はあっても、39歳の準備はないのかもしれない。覚悟の違いだろうか。

・四十になっても抱くかと問われつつお好み焼きにタレを塗る刷毛   吉川宏志

という歌もこのごろいつも念頭にある。

Photo_2  ある出版社から、生椎茸がどっさりと届く(65個)。

 原稿、がんばってください、という心遣いである。ありがたい。これで、書くたびに生椎茸を思い出すことになる(かもしれない)。

 このごろ、ヤマト運輸の配達員のオカザキさんは、道で会っても挨拶してくれるようになった。

 インターネットで干しシイタケにする方法を調べて、すぐに(届いて30分くPhoto_3らいで)実践。

 昼は、今年最後の〈コパン〉へ。

 誕生日なので、カボチャのポタージュと、カボチャのプリンを追加。

 あれこれと、仕事をこなす。仕事があるのはありがたいことである。

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昼下がりは。

Photo  きのうは、その後、同僚と栄寿司へ。

 奥の座敷では、大人数の忘年会をやっている。ぶつ切りのアンキモが突き出しなのだ。 

 どうして、鮟鱇は肝が大きくて美味なのか。
 この店では出ない、鮟鱇の身の部分はどこへ行ってしまったの。
 体の部位が別々に取引されて、違う場所で食われるというのは、どういう気分なのか。

 つまらないことを考えながら、飲み食いする。

Photo_2 井上陽水の「長い絵のフレーム」という曲の中に、

 昼下がりは美術館で考えたりぃー

 という歌詞がある。

 先日、伊豆で聴いていたときにおもしろいフレーズだと思ったのだが、「昼下がり美術館で」だと記憶していたことが、わかった。

 「昼下がり」の方が散文的に拡散してゆくイメージ、「昼下がり」は韻文的に限定・収束してゆくイメージ、があるかもしれない。短歌であれば、「の」と添削したいところだろう。

 なんて、つまらないことを考えながら、飲み食いした。

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カンマ。

Bap_1  28日(月)。

 3学期早々の実力考査の問題作りと、バレー部の練習試合の立会いのために出勤。

 中1は、1月下旬に英語検定3級を団体受験するので、そのテキストも参考にして作問する。

 「日本文」という言葉が嫌いだ。

 英検だけでなく、英語科にも使う人がいて、見るたびに文句を言っている。

 英文はあってイギリス文はない。スペイン語文はあるだろうけれどスペイン文はない。中文(チョンウェン)はあるけれど中国文はない。(はずだ。)

Bap_2  「次の日本文」と言わず、「次の文」「次の日本語」「次の和文」と言えばいいのだ。英検協会の人はその点、バカである。

 ついでに言えば、日本語の文に(横書きだからといって)カンマを使うのも嫌いだ。

 「そして, 朝が来た。」式のカンマ・句点型、もっとひどい場合は、

 「そして, 朝が来た.」のカンマ・ピリオド型もある。

 旧文部省の基準があるとかないとか聞いたことがあるが、そんなことはどうでもいい。私は使わないし、ひたすら嫌である。

 写真は、先日の中野・ボナペティートパパのもの。ここは、特にチーズがうまい。ボッコンチーノとかもある。

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ターンパイク。

Magamo_2   伊東のあと、箱根に戻る。

 途中、〈トーヨータイヤ・ターンパイク〉という道を使った。
 かつて、〈箱根ターンパイク〉と呼んでいた道路が、ネーミングライツの売買という形で変わったのだ。

 ターンパイク、はなんとなく、「山道」の意味だと思い込んでいた(だって、ターンしてパイクするんですよ。)が、「有料道路」の意味らしい。箱根の他に、この言葉を使っている道を知らない。

 それはともかく、道路は公共のものだから、名前が変わると混乱するのではないかと思う。
 もともと、ネーミングライツうんぬんが嫌な私は、思う。(野球場の名前をころころ変えるのもやめて欲しい。)

 ちなみに、このターンパイク、私道であるようだ。だからと言って、ねえ。

 一碧湖にも寄った。

 与謝野鉄幹・晶子の歌碑がある。(対岸なので見に行かなかったけど。)

 そのとなりの、昨年、ワイエスを見た、一碧湖美術館が閉館していた。経営難だろうけれど、見てもらえなくなった絵画はいまごろどこにあるのかな。

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ほっかわ。

Photo_4  宿は、北川(ほっかわ)温泉。

 昨年も泊まったところ。今回は、景色ゼロの格安の部屋。(そこしか残っていなかったのだ。)

 それでも、料理や温泉などは同じ。湯上りに、無料で生ビールをくれる。これが心をクスグル。

 誕生日に近いということで、金券やケーキのサービスもあった。

 ふつうに考えたら、宿は採算がとれていない。申し訳ない。これくらいやらないと、競争に勝てないのか。リピートしてくれればいいという考えなのか。すごいことだ。

 2日目朝、伊東を通過。

Photo_5 港の一角に、重岡建治という地元の彫刻家の作品を置いた公園がある。シュールでリアルで、いい感じ。

 松川という川沿いを散策。木下杢太郎が伊東出身らしく、彼のスケッチなどが飾ってある。

 東海館という、10年ほど前までは宿屋で、今は、耐震工事を施して文化施設として残っている建物を見学。おじいちゃんの家の造りだなあとか、昭和だなあとか言いながら、広い館内を回る。

 お金もかかっただろうに、こういうものを残して見せようというのは、本当に「文化財」の大切さを理解している人々なのだろう。これも、すごいことだ。

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文豪。

Photo  箱根湯本でトヨタ・ヴィッツを借りる。

 箱根神社にも、中国人観光客が観光バスで来ている。

 おしゃれな人も多く、外見では見分けられない。(そういうレベルの人しか日本に来ないのだろう。)

 昼は、元箱根の〈アクアパッツァ テラス〉で、ルッコラと生ハムのピザ。リコッタチーズがたっぷり乗っていて、リーズナブル。

 窓際の席は明るく、芦ノ湖の眺望もいい。玉村豊男ミュージアムがあるが、見ないで去る。

Photo_2 国道1号線を西へ。三島市の先、清水町の柿田川湧水群へ。
 水のすべてが40キロ離れた富士山からの湧き水であるという。

 水底の砂を揺らすので、水が湧いているとわかる。

 その後、伊豆半島の真ん中を南下して、修寺へ。

 修寺を拝観。ここにも中国人観光客がいる。その周囲は、なんだか寂(さび)れている感じだった。

Photo_3 寂れているとますます人が来なくなってさらに寂れてゆくのではないだろうか。

 かつて、文豪が来たと言っているだけではだめだろうなあと思う。

 文豪っていうのは、今でもいるのだろうか。村上春樹は文豪かなあ?

 そのあと、山を越えて、東伊豆へ出た。

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ケチャップ。

Photo_3 NHKドラマ「坂の上の雲」は4回目が終わったところ。

 ビデオを撮って(うちはまだビデオテープ。DVD録画はない。)見ている。

 CM抜きの90分は、民放ドラマ2回分以上だろうか。休憩が必要なのだ。

 「天地人」もかなり見たので、秋山好古役の阿部寛が、どうも上杉謙信に重なってならない。オヤカタサマー。

 こういう強引なキャスティングをさせてしまうほど阿部寛がすごいのか、他の俳優が長期間の拘束を嫌がるからなのか。事情はわからない。

 伊藤博文首相役の加藤剛は、「沈まぬ太陽」でも首相役だったような。

 小説の『坂の上の雲』は、子規の死で中断したまま数年が過ぎてしまった。そのころに子規庵に行ったんだった。これを機に再開するかな。 

 「崖の上のポニョ」というタイトルは、「坂の上の雲」のパクリであると、いまごろ気付いたしだい。

 写真は、新井薬師前駅前の〈駅前食堂〉の「から揚げチャーハン」。ケチャップがなくても十分にうまいのだけれどなあ。

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展望47。

 先日、「コスモス」1月号に書いた、穂村弘『どうして書くの?』についての時評を送ってもらいたいというメールをいただきました。

 (「コスモス」は、寄贈がかなり限られています。すいません。)

 ついでなので、ここに載せます。

 このココログというブログは、ニフティ会員だと広告なしで使えるのですが、写真は1メガバイトまでしか載せられません。ぼやけていてすいません。

 なお、過去の物の一部は「コスモス」ホームページにあります。
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ぞくぞく。

Photo  今日が終業式。

 インフルエンザ休校があったため、午前に職員会議、午後に終業式、という変則時程。
 あわただしくていけない。

 このごろ、浪人生がぞくぞくと調査書を取りに来る。
 少ない人で5通、一番多くて11通。(一校一通という大学も増えてきた。)

 みな、明日が試験でもいい、はやくこの生活が終わって欲しい、と言う。

 昨年は、現役生は試験当日まで(学力が)伸びる、と言って励ましたのだが(これは事実)、今年は追われる立場の浪人生をどう励ますか、言葉に詰まる。

 まあ、絶対的な学習時間が長いのだから、優位は優位のはず。

 東京に自宅があるのに、代々木ゼミのタワー21階に下宿している人のうわさを聞く。管理が厳しく、友人同伴の入室はできないとか、ときどき管理人が部屋に入ってきて、娯楽マンガが置いてあると没収されるとか。(その彼はスーツケースに隠していると聞いた。)

 そんなことで大学に入ってどうする?とも思うが、方法はいろいろあるのだろう。

 写真は、〈一六八〉のヤキソバ。年内に何度か出勤する予定だから、もう少し食べられるかな。

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お箸。

Photo  あるところで聞いた話。

  世界の人口の約30%が主に箸を使い、約30%が主にナイフ・スプーン・フォークを使い、約40%の人が主に手を使って食べる(手食)だそうだ。

 歴史的には、箸の方がスプーンよりも早いとも聞いた。

 いちおう、いくつかのホームページにあたると、たしかにそういうことが書いてある。

 考えてみると、フツウにお箸を使っている自分がちょっと不思議に思えてきた。

 とはいっても、おにぎりは手、カレーやチャーハンはスプーン、パスタはフォークで食べるのだから、上記の分類はかなり大雑把であることもわかる。個々人の統計をとったらおもしろいかもしれない。

 写真は、先日の出版記念会のパーティーメニューのひとつ。

 高齢の方々の多い会なので、和食を多めにしてもらっている。肉を少なめ、魚介を多め、というお願いもする。これはそれが反映されたものもいえる。お箸で食べたかなあ。

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物。

Photo  きのうは、英語科の忘年会。

 同じ職場で同じ職種の人というのは、世の中でも限られている。

 不思議な縁である。

 ある面では、一番理解しあっている人たち。(だからといって、すべてのメンバーと仲がいいわけではないけれど。)話は尽きない。

 まじめな教育論というよりは、バカ話に終始して、おもしろかった。というか、とりとめのないことばかりをしゃべっていたような気がする。

 ただ、60歳をすぎても、今と同じようなレベルの授業ができるか、という話Photo_2をしたのは覚えている。

 きょう、日曜日は、家で過ごす。

 昼食を、近くの〈まつおか〉でとり、その前の哲学堂公園を少し散歩。

 なにかの植物で、「物」と書いてあるオブジェがきれいに刈り込まれていた。

 11月には東洋大学によって、井上円了先生の供養?みたいなことが行われる。そのときにきれいにしたのだろう。

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「塔」12月号。

 「塔」12月号に、『アスタリスク』の紹介をいただく。ありがとうございます。

 わが「コスモス」の紹介欄は1ページ3冊、1冊450字弱。「塔」の手厚さはありがたい。

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どうもどうも。

Photo_3 「答案返却日」

 期末考査の答案を確認するための日。

 生徒はくちぐちに、ヤバイヤバイと言い合う。

 高瀬一誌さんの歌に、

・どうもどうもしばらくしばらくとくり返すうち死んでしまいぬ  『レセプション』

があるけれど、中学高校では、

・ヤバイヤバイがんばるがんばるとくり返すうち落ちてしまいぬ

ということに、なりかねない、というか、なる。

 午後、点数計算に入る。早くやっておいてもいいのだが、この日にずれ込んでしまった。

Photo_4 エクセルエクセルエクセル。

 教員になったとき、すでにエクセルは普及していた。これをソロバンでやるとしたらおそろしい。

 中1の分は、2学期中に行った31回のクイズ(小テスト)の得点と、英会話の得点、提出物の状況を合わせて「平常点」を算出。(提出物を重視。)

 それに、中間考査・期末考査の得点を合わせて、「学期点」を出す。それを、集中管理の成績入力端末に入力。

 高校3年生の分は、期末考査の素点、2学期点、学年点(3学期の授業は特別編成で得点はでない)をそれぞれ入力。欠席した授業の数も入力。

 こう書いてみると簡単だけど、けっこうややこしい。こういうことに向いている人いない人、いると思われます。ヤバイヤバイ。

 写真は、中野〈ボナペティートパパ〉のランチ。

 カキとウニとブロッコリのタリアテッレ。生パスタ。
 タリアテッレとフェットチーネの違いがわからない。

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『青の食単』。

Photo  松崎英司さんの第1歌集『青の食単(レシピ)(角川書店)を読んだ。

 ホテルモントレ横浜の日本料理店の料理長をされている人。

 経歴と素材の珍しさにひかれて読み始めたが、尾崎左永子さんのお書きのとおり、もともと「詩人としての資質と感性を具えている」人だと思った。

 きちんとした言葉の配置がある。

 とはいえ、特徴的なのは仕事の歌。

 じつにさまざまな食材を、じつにさまざまな手法で料理するものなのだ、と感心する。
 そこには、仕事とはいえ、素人が料理するのと大きくは変わらない、食材への気持ちがある。

 とくに生きている食材への気持ちは、料理人というよりも、人間としての真っ当な気持ちなのだと思った。

・九つの穴それぞれに立つ泡の小さくなりて蓮(はちす)が揚がる

 (小池光さんのレンコンの穴の歌の料理人版だ。)

・花豆の蜜煮の艶のうれしくて人肌の鍋は静かにしまふ

・飯台(はんだい)に三升の飯(いひ)広げたり寿司酢を切れば朝は動きぬ

・出汁(だし)を漉す頃合はよしといふやうな気配は常に右側より来

・活けるまま糠揉み込みてぬめりとるあな耐へられず蛸の目を抓(つ)

 わからない用語もたくさん出てくる。もっと注があってもよかったかもしれない。

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アナハイム。

Photo  昨日から3日間の採点日。

 松井秀喜がアナハイムに移籍するという。

 これを、電撃移籍、と報じているテレビ局がある。バカだよなあ。言葉のインフレだし。

 それにしても、プロ野球選手の年俸は高すぎる。
 松井だって今年は10億円を超えていたそうだ。それを直接・間接に負担するのは、消費者なのだよなあ。

 「コスモス」1月号が届く。

 〈O先生賞〉の座談会の記事がある。22ページの大特集。

 応募は120篇超。作品と座談会は私が取りまとめ、テープ起こし(ICレコーダーだけど、こう呼ぶ)は、田宮朋子さんにお願いした。記事編集はまた別の方々。お疲れさまでした。

Photo_2  私がトップ10に入れなかったご高齢のお二人が受賞。ちなみに、私のトップ5は、他の3氏と重なっていない。

 この号、O先生賞を含めて、目次に3ヶ所、私の名前がある。

 表紙裏(表2、表3という?)の「宮柊二作品をめぐる歌紀行」では、『山西省』と『幕間―アントラクト』(宮英子)の歌を引いて、短文を書いた。

 「展望」では、穂村弘さんの『どうして書くの?』を3枚半費やして書いた。

 写真は、新井薬師前〈メリメロ〉の、ラムのなんとか、とクリームブリュレ。

 いい店だが、暗くて写真が撮りにくい。シェフ一人でまかなっているので、出るのが遅い。この日はメインが出るまでに1時間35分かかった。これだけはどうにかして欲しいところ。

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杉崎さん。

Photo_2  「かばん」12月号をいただく。

 杉崎恒夫さんの追悼特集がある。

 たまに「かばん」をいただけると、楽しんで読んできた杉崎恒夫さん。今年4月に90歳で亡くなられたのだ。

 佐藤弓生さんによる100首選を読む。「かばん」誌上に約2400首を発表されたという。おそるべしである。

 第一歌集『食卓の音楽』からも引かれている。

・一度だけ自分勝手がしてみたいメトロノームの五月の疲れ

・かなしみよりもっとも無縁のところにてりんごの芯が蜜を貯めいる

など。手に入れたい歌集であるが、ちょっとむりだろうな。

・ひとつだけクロスワードを空けておくわれのいちばん嫌いなことば

・晴れ上がる銀河宇宙のさびしさはたましいを掛けておく釘がない

・いくつかの死に会ってきたいまだってシュークリームの皮が好きなの

・気の付かないほどの悲しみある日にはクロワッサンの空気をたべる

など、きりが無い。

 来春に刊行予定だという第2歌集楽しみだ。

 写真は、ふたたび、新大久保駅裏の〈ソムオー〉。シーフード辛味噌炒め。モウゴウイカ(たぶん)がたっぷり入っていて、すごくよかった。明日も食べたいくらい。

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みえる。

Photo  昨日(日曜日)の毎日新聞。

 「私が選んだ今年の歌集」という欄で、6人の方のうち、岡井隆さん、加藤治郎さんが、『アスタリスク』を挙げてくださっている。

 歌書の選出も多い中で、わざわざお選びくださったのは、とてもとてもありがたいことだ。

 それに、新聞にそういう記事が載っているよ、と教えてくださった、「コスモス」の先輩にも感謝しないといけない。。(今日は、そのあと、同僚のひとりに教えてもらった。)

 歌壇のギョーカイ誌は3誌購読しているが、新聞は1紙しかとっていない。読み落としていて、ずいぶん後になってから知ることもある。

 新聞の記事(新聞歌壇を含めて)は、短歌雑誌と比較にならないくらい多数の人に読まれているはずだが、意外に歌人同士は情報を共有できていないのかもしれない。

 昨日、三重県の方お二人が、歌集の批評をされたときのこと。

 「~~してみえる」という尊敬表現を使われているをおもしろいと思った。

 「食べて見える」「読んでみえる」は、それぞれ、食べていらっしゃる、読んでいらっしゃる、の意味らしい。上品な言い方で、うらやましかった。

 お二人のうち、一人は静岡のご出身。ご結婚後に方言を身に着けたようだ。おもしろい。

 写真は、〈一六八〉のブロッコリと豚肉炒め定食。これでもか、というほどにブロッコリーが使われている。いい露地ものが入ったのだろうか。

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おおとり。

Photo_2 年に2度の「コスモス会員著者・合同出版記念会」へ。

 東京駅徒歩5分の八重洲富士屋ホテル。設営担当者なので、早めに着く。

 18冊の歌集をひとり12分づつの割り当て。
 それだけで3.6時間の計算。

 各地域の支部などでもっと細かいコメントをやりとりしていることも多いが、やはり批評会は批評会。話し手も聞き手も緊張する場。

 自分の歌集が大人数の前で10分以上俎上に載せられる経験は、貴重である。

 歌集のダイジェストを一気に聞ける(高野氏の言葉)のも貴重。

 私は、津金規雄さんの『時のクルーズ』10月2日の記事参照)を担当。

Photo オオトリであった。話し始めたときには、すでに全体の時間が超過していたが、私も超過。

 その後、部屋を移して祝賀会。ここは司会。

 最高齢90歳・最年少30歳の著者のひとりひとりから、心のこもったスピーチをいただく。

 その後、また移動して、さらに祝福。歌の縁は不思議で楽しい。おつかれさまでした。

 写真は、昨日の井の頭線の線路と、井の頭公園。

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97歳。

Photo  東京では、昨日一日中の雨から一転して、快晴。

 昨日11日が宮柊二先生の命日。1912年生まれだから、ご存命なら97歳ということだ。

 父方の祖父の命日が3日、ジョンレノンの命日が8日。関係ないけれど。 

 午後、吉祥寺駅下車、エディ・バウワーで買い物して、三鷹台の「コスモス」事務室まで散歩。

 手袋が要らないくらいの(というか、要らない)暖かさ。井の頭公園のフリマのような小物売りや似顔絵描きなどもにぎわっていた。

 この神田川沿いの道は、宮先生の散歩道だったそうだ。車椅子でもお出かけだったと聞く。おだやかで静かな住宅街である。

 写真は、新大久保駅裏のタイ・ベトナム料理〈ソムオー〉の定食。

 生春巻きと、鶏肉のレッドカレーと、ガパオなどが付いている。どれも、しっかりと味がついている。

 ただのおばちゃんに見える厨房の人々が実にいい仕事をしているわけだ。コストパフォーマンスの高さおそるべし。

 新宿や渋谷の小奇麗でちゃらちゃらした店には負けない。来る人たちもそれを知っているのだろう。いつも適度に混んでいる。

 年末年始も無休で営業するという。こういうお店にがんばってもらいたいものだ。

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怒りつつ。

 草田照子さんの『聖なる時間』には、

・怒りつつふくれ切られし河豚ならむ花びらのごとき身の歯ごたへは

Photo・はがれゆくごとく何かが積もるごと人逝きて残るわれに月光

 (3句目は、ごとく、の誤植ではないですよね?)

・父の魂(たま)わが胸にゐて死なざればわれと巡れる八重山諸島

・人体は花かもしれずいや花だ オキーフ九十八年の生

・きんぎんの大麦小麦むぎのあき老いてかがやくおほむぎこむぎ

などの歌もあった。

Photo_2 どれも、やさしくおだやかに、そして的確に〈生きる〉ことを見つめている。

 短歌はこういう感覚をつかむのがうまいのだ。いい歌集だった。

 写真は、先日の、新井薬師前〈メリメロ〉の、「鶏の白レバとドライプラムのムース」と、牡蠣のなんとか。

 メインには、カスレというフランス南部の料理を食べたのだが、写真は失敗。

 小さな駅の近くで、静かにゆっくり食べられるのもいい店だ。

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『聖なる時間』。

0001  草田照子さん第5歌集『聖なる時間』(角川書店)が届く。

 表紙の挿画はカリグラファー・ひがしはまねさんの作品。

 そういえば、今日は高野公彦氏の誕生日。68歳となられる。

・刃のごとくひかりのごとく火のごとく水のごとくに高野公彦

が、集中にある。言い得ていると思う。

 この歌集には、叔父、夫の病気と死が色濃い。その周りに作者の日常のあれこれがあり、作者自身ももう若いだけではないことを自覚してゆく。

 読みすすめるのは辛いけれど、そこに、フィクションではないひとりの人間の生の姿が現れるのが、短歌のすごいところだ。

 クライマックスは、歌集後半にある。

・舌もつれ兄と父の名混乱す夫のなづきはどしやぶりならむ

・朝刊の届くは三時半眠れざる夜はしづかに取りきて読めり

・アイスクリーム君が食べしと死の四日前に記せり読むたびに泣く

・ただわれのために調理をすることのかなしも一人食むことよりも

・二、三枚きみの知らない洋服が増えたりさうして時間を遣りぬ

 など、抽出すればこうなるかもしれない。

 が、こういうテーマは、歌集の濃淡を伴って読まれるべきものであるだろう。これだけでは良さを伝えられない。やはり、歌集という体裁は必要なのだ。

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トレーニングキャンプ。

091206_12120001_0001 中1の英語は、最後の2回で作文を書かせる。

 「夏休みに家族と○○へ行きました。そこで○○を食べました。おいしかったです。○○をしました。おもしろかったです。」というような感じ。
 日本語で考えると幼稚だが、いざ、英語にしようとすると、簡単でない。

 たとえば、「臨海学校に行きました。」を英語にする。

 I went to a school near the sea. ではどうしようもない。

 「クラスメイトと千葉県の富浦に行きました。そして4日間水泳の練習をしました。」 I went to Tomiura, Chiba, with my classmates, and practiced swimming for four days. と、説明的に書けと言う。

 「合宿」という単語もめんどくさい。training camp とある辞書や、翻訳不能と書いてるものがある。

 「天体観測した」を「夜、たくさんの星を見た」に、「岩魚の塩焼きを食べた」を「川の魚を食べた」に直させる。

 また、ほっておくと、「買い物に行きました。」「おいしいものを食べにゆきました。」だけで終わってしまう。それがふつうの日本語の会話である。

 それを、何を買ったのか、何を食べたのか、を具体的書け、と伝える。そのあたりの具体性が日本語・英語の違いかもしれない。短歌の添削にも似ている。

 書いているとキリがないほど。でも、こういうタスクは、表現する意欲を感じておもしろい。何のために、ふだんからの英語の学習があるのかをわかってもらえれば、なお良い。

 写真は、先日の〈オリエントスパゲティ〉のもの。「ウニのクリームソース、フィットチーネ」。注文が殺到していた。

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ぴくぴく。

Photo_2  知人のジュエリー展を見に、下北沢へ。

 10人くらいのグループの展示会。

 ひとりひとりが自分のデザインを手作業で形にしている。あれこれと手法があって、銀を細工したものだという。

 道具を見せてもらったが、実に多様。同じように見えるペン型のやすりでも、すこしづつ違うらしい。まさに職人の世界。

 規模とレベルの差はあれ、りっぱなプロの人たちだ。

 こういうのを見ると、世の中には、職業以外に、いろんなことをやっている人がいるのだなあと(自分はさておき)思う。

Photo_3 近くにあった、〈とらふぐ亭〉へ。

 河豚というと、勤務30年みたいな年配の和服の女性が給仕してくれて、たーんと支払うというイメージだが、ここは違った。

 店の入口の水槽からとってきたのだろう、まだピクピクと動いているフグの身を鍋に入れた。じゅうぶんにうまい。

 そのスジの人からみると、虐待なのかもしれない。

 静かなできれいでゆったりした個室で、統一感のあるコース料理を食べて、居酒屋並みのお値段。これは、チェーン展開が拡大するわけだ。

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恐竜の雌。

Photo  夕刻、片岡絢さんの『ひかりの拍手』9月23日の記事参照。)のミニ批評会。

 あらためて、おもしろい歌集だと思う。

 瞬間を思う心とか、自分に正直な文体とか、社会システムの常識を内部から告発するとか、という言葉が浮かぶ。

 強引なところがよく、例えば、

・恐竜の雌のころみた川べりの雄恐竜が忘れられない

なんて、歌がある。

 空母搭載の軍用機が助走もなくいきなり飛びたつ感じ、瞬間湯沸かし器みたいな感じ、と思った。

・繰り返し聴くモーツァルトの曲がありいつか彼にはお礼がしたい

の「彼」は、モーツアルトか現存の人間か、という話もあった。

 時間のスケールの大きさというか、とらわれのなさがいい片岡作品だから、自動的に、モーツアルトだと判断できる。

 考えると、理屈っぽいところもあるのだが、理屈を感じさせる前に歌が終わっているのかもしれない。

 写真は、ある方からいただいた柿。紅葉も入っていた。ごちそうさまです。

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今年の10冊。

Photo_3 角川「短歌」の「短歌年鑑」が届く。

  特別座談会「今年の秀歌集10冊を決める」に、なんと『アスタリスク』が入っている。

 大島史洋さん、穂村弘さん、小島ゆかりさんのノミネートで、馬場あき子さんも褒めてくださっている。

 光栄なことであり、とくに、この4人のメンバーに選ばれたことがうれしい。

 また、「年鑑」では、「作品点描」として、加藤治郎さんに文章をいただく。

「この歌人に乱調期はなかったか。何か波瀾が欲しいと思うのである。」

とおっしゃられている。本人としてもそう思っているのですが、なかなか。

 私も、「作品点描」(大辻隆弘さんから高島裕さんまでの14人)を書いた。けっこう大変なのだが、こういう場を与えられていることはうれしいことである。これからもがんばろう。

 『アスタリスク』は残部僅少(?)らしいけれど、まだあるようです。六花書林にお問い合わせください。

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『“り”の系譜』。

Photo  福士りかさん『“り”の系譜』(津軽書房)が届いた。

 ずっと津軽にお住まいだが、よく会うから、距離を感じない人だ。

 私立教員の激務をこなし、ご家庭のこともやられ、いつもお忙しそう。
 だが、ふらりと東京に来て朝風呂をつかって、〈上野発の夜行列車〉でふらりと帰ってゆく(というイメージ)。

 今回も、弘前の出版社から上梓するという姿勢からわかるとおり、故郷の色が濃厚。ストレートだがやさしい物言いは、歌は人だなあと思わせる。

 しかし、歌としては、次のように追い込まれた方がいいと思った。

・三厩村宇鉄大久保造船所間口二間は海に真向かふ

 (峻厳な秀歌だ。もうミンマヤ村という自治体は無いようだが。)

・一日の化粧落とせば母に似てしばし向き合ふ四十の母と

・水をこぼし御飯をこぼしぽろぽろと記憶をこぼし祖母は泣きたり

・弟の妻が作れるお煮染めの味よし すこし老いた気がする

 (家族詠がとてもいい。とくに、祖母との日常は大きなテーマ。)

・胸のあたりしんとしみ込む燗の酒けふをねぎらひ明日を励ます

・立牢といふ牢おもひ朝夕の満員電車にねぢれつつ揺る

 「立牢」の歌は、福士さんが、東京に内地留学していたころの作。十分に充電されたでしょうか。

 全体的にもっとエッヂの立った表現(穂村さんの言葉)を見せてもいいかなあという気もした。
 もしかしたら短歌を作らない読者を意識してしまっているのかもしれないとも思った。

 いつまでも、「棧橋」の相川七瀬?でいてくださいね。

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ゴーヤー。

Photo_5  中1の授業は、中2の教科書に突入している。

 週5時間(+英会話1時間)あることを考えると、遅いペース。

 毎週のNHK基礎英語クイズ(小テスト)やリスニング教材などなどを織り込んでいるので、こんなもの。

 ゆっくり確実にである。

 その中2の教科書の始まりは、沖縄訪問記。

 ゴーヤーを知らないベトナム人に、胡瓜に似ているけど苦いんだ、なんて説明がしてある。

 生徒に聞くと(すぐに聞く)、今までに食べたことのない人が1クラス5人くらい、年に5回くらいは食べる人が10人くらいだった。

 私は大好きで、ふつうの野菜炒めにもカレーにも入れる。生でも食べる。

 「Silent Night」(聖し この夜)も歌う。

 サーイレン・ナーイ、ホーリ・ナーイ、で始まる歌。

 訊いてみると、この歌を知らない生徒がクラスに7~8人くらいいる。イマドキの公立学校では歌わせないのか。

 まあ、自分でもどこで覚えたのか忘れたけど。

 写真は、通勤路の戸山(とやま)公園のいちょう。好きな樹である。

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タージマハルビール。

 Photo中津昌子さん『芝の雨』のつづき。

 アメリカ滞在の歌も、なかなかいい。

・朝の空あまりに青しこの国の民にあらざる足もて歩く

・クリスマスここだけ開いてゐる店のタージ・マハルビール冷たし

 (クリスマスはみんな家に籠もるのですよねえ。閑散としたインド料理店の雰囲気が、冷たし、という語彙から読み取れる。)

・頼まれて歌つてみせる〈君が代〉は狭く開きたる口より漏れる

Photo_2 (私も歌ってみたことがあったなあ。歌われたこともあったけど。)

・ある夜は母語の冥さに入り込みなにものをかの手を引いてくる

 どれも、よくわかるわかる。旅行者にはわからない外人である感覚がひりひりと伝わる歌だ。

・ウォールデンいつか訪ねむみづうみは沈黙ふかくわれを迎へむ

 という歌もあった。詞書に、ソロー『森の生活(ウォールデン)』が引用されている。 実は、ここ、その価値もわからずに訪ねたことがある。

「広辞苑」によると、ソローという人は、「故郷コンコードのウォルデン池畔にひとり簡易生活を送っPhoto_3た」とある。レキシントン・コンコードの戦いのコンコードである。

 ボストンの近くのケインブリッジに住んでいた友人が、連れて行ってくれたのだった。

 写真は、中津さんとは無関係に、昨夜、食べた〈一六八〉のあれこれ。

 ジャガイモ千切り炒めは好物。中段は、カキの黒胡椒炒め。これは絶品。

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『芝の雨』。

Photo_2  中津昌子さんの第4歌集『芝の雨』(角川書店)を読む。

 だいぶごぶさたしている中津さん。お元気ですか。

 ご主人の赴任に伴ってアメリカ東部に行かれたり、しばらく住まわれたりしたそうだ。

 劇的でないしシーンを切り取ってそっと提示するような歌い方である。

 それは、周囲の支えや内容の強さに頼らない、謎のシーンとして、ややもやもやした感じを残すこともある。良さがわからないときは平凡な歌に見えてしまうが、はまるときは、ものすごくはまる。

 リズム的には、やや苦しげで、つねに重りを引きずっているよう、まったりとした印象。玄人好みの感じだ。

・蓮華田のおもては揺れてこの世へと生まれくるものなべて濡れをり

・たとへばジョージア・オキーフの花 真鍮のノブを回したところに待つは

・テーブルの半ばまで射す朝の日の届かぬところ塩こぼれをり

 (これなんか、茂吉的で、通好みの歌だろう。いい。)

・死者もなほ列なす者は声もたずアーリントンの青すぎる空

 (ワシントンDCにある、国立墓地。私もJFKの墓などを見に訪ねたことがある。厳粛でいいところ。戦没者の墓地でもある。兵士の新しい墓はショッキングである。)

・じつとゐる鯉をかかへてをることの声をもらさぬはつなつの池

などなどが、前半でいいと思った。

 いい海外詠もたくさんあるので、続編で書き留めたい。

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しゃばけ。

Photo  畠中恵『しゃばけ』(新潮文庫)を読んだ。

 中1の〈読書課題〉として紹介されていたから。

 生徒は、読んで何か書くわけではない。その代わり、内容真偽問題が期末考査に出題される。

 範囲となれば生徒は読む。読むうちに、本のおもしろさに目覚める、という仕組みである。(私も紹介されたら読むようにしている。)

 中間考査の対象は、『しゃべれどもしゃべれども』(佐藤多佳子)であった。これは未読。

 280人以上の学年なので、課題が発表された日のアマゾンの文庫ランキ ングは1位になってしまうという。

 保護者会などで、どうしたら息子が本を読むようになりますか? と質問されるたびに、親御さんが本を読んでいる姿を見せればいんですよ、と答える。

 そうすれば、今は読まなくても、大人になったら読むかもしれない。

Photo_3 写真は、中野〈デルソル〉のもの。

 イタリア風居酒屋というのか。窓際が雑然としているのが、かえって落ち着く。

 オリーブオイルは、2リットルで1832グラムと表示されていた。そんなに軽いのか。

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