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ありとう。

Photo_4  きのうは、ひさびさに〈マリーンズ・ミュージアム〉を見た。

 東京球場のころからの資料などが展示されている。なかなかおもしろいところ。

 オリオンズ後期の低迷期はどうしようもないが、それでも、プロ野球というのは一級のエンターテインメントであったと思う。

 写真(→)は、ちょうど30年前のもの。

 有藤道世は、どういう存在だったのだろう。

 派手に活躍した記憶はないけれど、大きな怪我をせずに、地味に長く選手生活を続けて、結果として大打者と呼べる一人になった。

 まさに職業として野球をやってきた匂いが強い。

Photo_5  いまのサブローに似ているが、もっとすごかったはず。

 下の写真(→)は、「マリーンズ八重泉」(ヤエセンは泡盛。どういう種類の八重泉かは不明だが。)

 むりやりに入団させてしまった、大嶺祐太への罪滅ぼしの気持ちもあるのだろうか。球団は石垣島に手厚い。

 泡盛にこんなラベルをつけてどうする?と思うけど。迷って買わず。

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コメント

長文のコメント、ありがとうございます。
牛島、すごかったのを覚えています。コレがセリーグの一流のレベルかと思って、なぜか悔しかった記憶もあります。

投稿: おおまつ。 | 2009年9月 1日 (火) 23時45分

有藤さんはロッテの看板を背負って20年近く打ち続けたのだから敬服に値します。パ・リーグ(つまり、巨人と戦わないリーグ)ゆえに世間的には注目度が低かったですが、バッティングのスキル、チームに対する貢献度は計り知れないものがあったでしょう。サブロー、福浦、初芝。誰も有藤さんには敵わないように思います。
ただし、監督としては向きませんでした。記憶に残るのは10.19のときの抗議くらいしかありません。あの抗議は当時近鉄ファンはもちろん、ロッテファンからもブーイングがあったようですが、たぶん後先をあまり考えずに飛び出していったものと思います。戦略を練ったりするのはあまり得意ではなかったのではないでしょうか。
落合が抜けた(つまり、有藤監督が誕生した)あとのロッテは惨憺たる成績です。でも、打線に破壊力こそないものの、高沢が首位打者を取ったり、抑えは牛島がいたり、村田兆治は不動のエースとタイトルホルダーを擁していたのですから、いかんせん監督の指揮が<?>だったのかと思います。
名選手必ずしも名監督ならず、という好例として鈴木啓示、田淵幸一の各氏とともに記憶に残っています。

投稿: 村田馨 | 2009年8月31日 (月) 23時13分

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