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舞妓/ケイスケ。

 なんだか、もたもたとして過ごす。雨が降っていて寒いから、というのはいいわけになるだろう。幸綱さんの最終講義も行かずじまい。

 DVDで「舞妓 Haaan!!!」を見る。(監督は水田伸生。)http://www.maikohaaaan.com/index.html

 官藤官九郎のハメを外した脚本がいい。インド映画のような踊りがえんえんと入ったり、ありえない設定が突き抜けている。

 日本映画の可能性は、「おくりびと」のようなちんまりとしたドラマ。「亡国のイージス」のような危機管理もの。そしてこういうしっかりとナンセンスなコメディではないだろうか。

Photo 阿部サダヲ演じる主人公の役名が「公彦(きみひこ)」であった。きみちゃんなんて呼ばれている。

 過去に、公彦という名の生徒は二人。一人はキミヒコ、もう一人はマサヒコ。

 ちなみに、晃作も一彦も和宏もいなかった。柊二も佐太郎も佐美雄もいない。賢と光と隆と寛はいた。

 宏志君は今の高校三年生にいる。とてもいい生徒である。

 高田馬場の「二代目ケイスケ」で〈海老そば+ワンタン〉を食べる。

 「ローストした甘エビの頭とトンコツなどでダシを取り、白醤油で上品にまとめている。」という。偽りなし。鶏チャーシューも美味。

 球を斜めに切ったような器(香が逃げないようになっている)や、巨大なレンゲもおもしろかった。

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クレー展。

Photo_2 渋谷のBunkamura ザ・ミュージアム(変な名前だ)に、「20世紀のはじまり ピカソとクレーの生きた時代」展を見に行く。

 デュッセルドルフ(ドイツの西の端の方ですね)のノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館、というところが改修のため休館なので、所蔵品の一部を日本に持ってきて、巡回しているのだ。

 64点のうち、クレーが27点。ピカソが6点。ブラックやマグリットなどもあってうれしかった。

 それでも、クレーとピカソ展にはならない。ピカソは偉い。数点でも存在感は圧倒的であった。

 企画者の明確な意図のもとに編集された展示である。個々の作品に詳しく解説が付いているのもいい。キュービズムから抽象画への変遷などの説明もありがたかった。

 クレーの時代的変遷についても解説されていて助かる。私は、クレーの具体と抽象のバランスがとても好きだ。幼稚にみえるようなものもあるけれど、そこに画家の素朴な魂を感じるのである。

 刺激されるとか感銘を受けるとかいうふうでなく、なにか心が「くすぐられる」感じが、いい。 

 渋谷は疲れる。

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翡翠の連。

Photo_2 蒔田さくら子さんの『翡翠の連』(角川書店)を読む。

 第10歌集である。蒔田さんは1929年のお生まれ。

 これだけのレベルの歌を揃えるのはたいへんな技術だと思う。それぞれが派手な歌ではないし、大きな主張や人生の岐路を詠むものではない。

 しかし、ご年齢からじっくりとにじみ出る見立てなど、機知に偏らず知識に偏らず、みごとな人間像の見える「歌」となっている。

 短歌というものの奥深さ、歌を人生の伴侶にしてこられたことの恩恵などを感じた。心が豊かになる歌集であった。

・感情は殺さずしばし生き埋めにしておくと撫づ胸の凹凸

・忘れたきことあらばかうして忘れよと身を削ぐごとく花零すなり

・身の旺(さか)り時の盛りを断たれける男鹿にあらむ剥製の首

・古備前のこのよき壺は花を容るるためにはあらず在るためにある

・すこしづつ力が抜けてゆくやうにうすれゆく雲あれはわたくし

・頬杖をしばしばつきてゐたりしは憂ひの嵩を支ふるに似る

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タタン。

Photo アソウ某が、オバマ大統領と通訳なしで電話会談したそうだ。

 英語のほうが、漢字の読み間違いがなくて安全かもしれない。情報公開の対象にはならないのかな? 

 ひさびさに、西落合のフレンチ、〈エシャロット〉へ。自転車で出かける。

Photo_2 (自転車は「じんしゃ」でなく「じんしゃ」である。)

 プリフィックスコースの先駆けの店。

 以前はよく来ていた。割安だけれどテーブルが狭くて、いまいち落ち着かないので足が遠のいていたのだ。

 狭い店内がほぼ満席。予約のない人をPhoto_3断っている状態。

 少し値上がりしていた。前菜のカキも以前は3個付いていたような気がする。子羊もややボリュームが減ったかもしれない。思い込みかな。

 味は変わっていない。

 デザートのタルトタタン(焼いたリンゴを重ねてあるケーキ)まで満足して食べる。

 タタン、はホテルの名前だとウィキペディアにある。本当かな?

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大家新年好。

Photo_3 6年間の最後の授業があった。

 12月に、普通授業の最後はあったのだが、今日は、特別編成の授業を含めた最後。

 今の生徒たちを前に、教室で英語を講じることは、もう、ない。

 考えてみれば(みなくても)、学校というのはすごい(強引な)システムである。

 登録をしたお客さんたちが、指定された時間と場所に、定期的に(いやでもなんでも)おおよそ来ているのだ。欠席の場合には特別の事由がある。

 そんなこと、他の仕事ではありえないだろう。レストランは料理がまずくなれば客が減り、プロ野球はチームが弱くなれば客足が衰える。

 学校は、お客さんに生活の場を与えているわけだし、あれこれあっても、とりあえずは、お客さんは来つづけるのだ。

 (その代わり、売れれば製品やサービスを増やして収益が急増するということもない。お客さんの数は毎年一定である。)

 写真は、「コスモス」台湾支部の方からの年賀カード。1月初めにいただいて飾ってある。

 昨日が中国では春節だった。年によって、一番大事な行事の日付が違う。そういうアナログ感覚はとてもいい。

 右上から縦に、「年年如意 歳歳平安」「大家新年好」(大家はタージャー。みなさん、の意味。)「一元復始 萬物更新」とある。

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ねぼけ。

Kue 25日は法然上人の御忌(ぎょき)である。忌日に「御」がつくのだから、えらいのだ。

 北原白秋の誕生日(1885年)というのも思い出す。 

 夜、あるお祝いの会で、新宿野村ビルの〈祢保希〉へ。

 ネボケと読む。高知料理。

 わざわざ地上49階に登って、食事をしなくてもいいだろうとは思う。

 でも、眺めのいい角部屋で(まさに絶壁)、高層ビルに囲まれて方位感が無くなるのもおもしろかSuigeiった。

 クエ鍋。九絵という魚をはじめて食べた。関東ではそれほど食べない。

 大きくぶつ切りにしてある。それなりに脂がのっていてうまい。

 部屋は、畳の上の椅子席。その方がご高齢の方々には好評なそうだ。

 朝日新聞に、アラフォー(アラウンド40)の次は、アラフィー(50)で、次がアラ還(還暦)、というところまでは定着しつつあって、続いて、アラ古希、アラべい(米寿)、アラ白(白寿)となるのかな、というのがあった。

 へんなことを考える人がいていい。

 九州では、クエのことを、アラと呼ぶらしい。(というのが落ち。)

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銀河の水。

Photo  駒田晶子さんの第一歌集『銀河の水』(ながらみ書房)を読む。(おくればせながら。)

 駒田さんの作品には、なにか一方的に親しいものを感じていたが、その理由がまとめて読んでよくわかった感じがした。

 それは、幸綱さんが、高野公彦、小池光の言葉をひいてまとめている「自然体に本質あり」というところだろう。

 短歌とはさまざまな関わり方があるけれど、ややこしいことを考えて身構えず、すんなりと自分を短歌形式に反映させているのがとてもいい。

 これを、無防備だとか、ひねりがない、とか言う人がいるかもしれない。でも、それが駒田さんの長所であると思うのだ。(もちろん、作品化の前には熟慮あっての発表に違いないのだが。)

 この歌集、収録年数がやや長い(20歳~34歳)。そこには、実家にいるときから、お母様のご病気、ご逝去、自身の出産、子育て、と人生の太さを感じることができる。

 全体に、老いる意識、死ぬということの具体的な意識があるのも、この世代にしては説得力がある。そうならざるをえなかった環境があったからだろうか。

 後半は特に、ざっくりとずばりと、ものごとの核心を突く歌がいい。思い込みもあるだろうが、大口調に近い。あるいは、お互いに影響されているのかもしれない。

 特にいい歌を絞るのは難しい。ざっくりとした感想ですいません。

・仕事終われば若竹煮出来ていることのやさしさはときに苦しかりけり

・誰にでも吠える犬だが今晩も吠えられてわれは寂しくなれり

・背を丸めて紅茶を注ぎいる母のもうすぐいなくなるということ

・ちいさな靴ちいさな服ちいさな指輪母のものすべてわれに合わざり

・ベビースプーン右手左手に持ちかえる道具を持たされてかなしいか

・葉脈を透かす光よてのひらをかざせば死後に音をもつ骨

・もうわれの桜の花は散りおわり若葉のかげで憩う人あり

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録音。

Photo  「オバマ大統領」、、、と書いて、その事の重大さに気づく。

 これまで2ヶ月半ほど、プレジデント・エレクト(次期大統領)だったものが、機が満ちてプレジデントになったのだ。

 アメリカの場合、任期が切れても、なんとなくプレジデントと呼ばれつづけるから、この先ずっと「二十五世本因坊」みPhoto_2たいに、「プレジデント・オバマ」でありつづけるのだろう。

 「コスモス」の先輩のブログhttp://plaza.rakuten.co.jp/noriko58/のコメントに、就任式のときのヨーヨーマらの演奏は、本当に生演奏だったのか?と疑問を書いたところ、予想が当たってしまった。

 ニューヨークタイムズに録音だったと書いてあったようだ。朝日新聞にも出ている。まあ、どうでもいい。

 それよりも、バラク・オバマの半分は白人だ、と いうことを常に思っている。

Photo_3 今日、土曜日はセンター試験を基にしたデータを生徒に配る日。

 いろいろある。足切り、という言葉の是非はもう問題にはならないみたいだ。

 昼は、大久保通りの〈オモニ食堂〉へ。

 イカ炒め石焼ビピンパ。おいしかったけど、ちょっと高い。おかずもさみしかった。水のボトルはどこでも焼酎の広告入りである。それも文化。

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つきさっぷ。

Photo  樋口智子(さとこ)さんの第一歌集『つきさっぷ』(本阿弥書店)を読了(遅ればせながら)。

 1976年生まれ、札幌在住、視能訓練士であるという。「りとむ」の歌人。

 ああ、歌集と言うのは人柄がこんな出るのだな、とまだお会いしたことのない樋口さんを思い浮かべてしまった。こういう歌を作る人が日本のどこかにいてくれるというのは、短歌に関わる喜びである。

 やさしく、淡く、おだやかで、素朴な印象。メルヘンチックともいえようか。ややこしい戦略的な歌とは対極にあるようだ。

 北海道生まれ、育ち、という風土がかもし出したおおらかな感覚なのかもしれない。

 と同時に、厳しく見れば、歌を突き抜けた歌たらしめる、もう一押しの具体、物質感が欠けているようにも思える。感覚を伝えるリアルさというのか、表現面の甘さといえるかもしれない。(初期のころの破調と、「~へと」という語法が目に付いた。)

 いい歌をあげるといろいろある。

・晴天のズル休み 少し良心が痛んだことに安心をせり

・玄関の靴は歩幅のままにある遠い旅路の途中のように

・ちかちかと眩しい日射しに向かいゆく〈ラーメン大将〉左に曲がり

・シーソーは上がりっぱなし日が暮れて闇がどしりと向こうに座る

・氷結し川が言葉を失くすとき橋はようやく語り始める

・それぞれの風の終点いくつもの形を見せて黄葉つもる

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ときや。

Photo_4 研究日。午後、新宿のハイアットリージェンシーへ。

 駿台予備校のセンター試験分析会。約40万人(受験者の75%)のデータを集めての分析。

 あれこれややこしい分析ののち、行きたい大学へ強気で願書を送るのが大切だという結語に至る。

 センター試験の結果しだいで志望を変えるようではどうせ受からないという。会の意義自体を疑うけれど、まあデータはデータ。お疲れさまである。

 10年前、20年前と違って、二次試験での逆転は少ない。定期テストとセンター試験と二次試験の相関関係はかなり強い、のが現実である。日ごろの努力をしたヤツが報われるという仕組みだからそれでいいのである。学校の公式発言に嘘はない。

 終わって、河合塾、代ゼミの同様の会に行っていた教員と落ち合って話す。えんえんと。各予備校とも、寝ずに判定をつけていているのだが、その基準は結局のところ、長年のカンですね、というしかないようだ。

 〈時屋〉のどらやき。ドラえもんの好きだったと設定されているらしいお店である。なるほどうまい。 焼き印の文字のアナログ感もいい。

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漢陽。

Photo  ちらりと課題英作文の授業。

 職員室に、ぽつりぽつりと生徒が赤本(大学入試過去問題集)や青本(その駿台版)を持って、やって来る。

 それまでやる気のなかった(ように見えた)生徒や、私に反感をもっていた(ように見えた)生徒もいて、数年ぶりに話をすることもあった。

 ここから食べ物ブログ。

 昼は新大久保の〈ハンヤン〉(漢字でで書くとた ぶん漢陽)で。純豆腐チゲ。

Photo_2 純豆腐とは、本来、固めていない豆腐(おぼろ豆腐)を指すようだが、慣用的に、鍋に入れる絹ごし豆腐でもあるらしい。

 アサリやイカやネギや味噌の味がしっかりと効いていて、本当にうまい。

 途中、おかずのコールスローサラダを混ぜPhoto_3てみると、まろやかでいい味になる。サラダのお代わりをもらい、思い切って全部投入してみた。それくらいの穏やかな味でちょうどいい。

 味噌汁に牛乳を入れるみたいな異様な食べ方なのだろうけれど。(まあ、豆乳鍋とか、牛乳鍋があるんだからいいかな。)

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剪定。

Photo_3 勤務校の楠を、クレーンを使って剪定している。

 なかなか大掛かりである。

 センター試験の自己採点結果は、ウチのクラスは好調。自分のことを考えれば信じられないような数字をたたき出して。(794点以上が5人もいた。昨日の記事を訂正。)

 午前。「早慶課題英作文講座」と大げさに称して、ちらりと授業。早稲田の政経は、昨年、突如こういう形式のものを出題したので、他の学部も侮れない。

 過去問をわざと外して、類似の問題を探す。鹿児島大学、立命館大学にいい問題がある。

Photo_2 「体育」の授業もやっていた。都合で、3学期に補習をしなくてはならない生徒のために開講しているのだ。

 推薦で合格してしまった生徒や、物好きな(と言わざるをえない)生徒ら、15人ほどでサッカーをやっていた。

 今日のランチは、〈一六八〉の肉団子刀削麺。この店、麺の量が日によって違いすぎる。今日は少なめだったかな。

 あと数時間で、ブッシュ・ジュニアの暗黒時代は終わる。少なくとも、オバマになって悪くなることはないだろう。(と庶民は期待するだけだ。)日本は軽視されちゃうかもしれないけれど。

 麻生某の代わりにアル・ゴアというのはどうだろうか。麻生某に東大生の娘がいるというのを今日はじめて知った。

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ガパオライス。

090119_12000001_0001 090119_12000001_0001_2  センター試験の翌日。

 高3の生徒たちは(基本的に)登校。試験の得点を5枚連写の用紙に記入する。 

 1枚目は学校、2枚目は駿台、3枚目は河合塾、4枚目は代ゼミ、5枚目は生徒、にそれぞれ行く仕組み。

 それをもとに、各予備校は足切り点予測を出す。40万人以上のデータを数日で処理する。予備校の担当者は徹夜なのだろう。

 私は担任として、クラスの生徒の得点を入力し、情報処理担当者に渡す。昼過ぎには学校の平均点が出る。うちのクラスは800点越えが4人もいて驚く。

 結果が悪くて職員室に来て泣いている(ほんとうに物理的に)、生徒もいれば、今日はみんなでカラオケに行きます、というのんきな集団もいる。

 そんなやつらをしりめに、昼食は、新大久保の〈ソムオー〉へ。http://www.somoo.net/

 「トムヤムクンセット」は手抜きのないうまさ。液体のすべてに味が染みている感じ。
 「ガパオライス付き」というのだが、ガパオとは、バジルのことだから少し変。本来「鶏肉のガパオ炒め」というべきだろうか。タイ語ではそういうのだろうか。理屈はおいておいて、満足。

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生きる。

Photo 午前、マンション(18戸)の理事会。

 理事は4人。職業も生活状況も知らない人たちと、同じ長屋に住んでいるというだけで、あれこれと議論する。大規模修繕計画にもぶつかってややこしい。現代人的問題だろうか。

 がんばって議論をリードしてくれる人がいて、なんとか2時間で終わる。

 昼。中野の〈オリエントスパゲティー〉へ。

 たらこスペシャル。タラコスパゲティに、納豆、キムチ、イカ、しそ、きのこが少しづつ乗っている。私の好きなものが用意されているわけで大満足。同じ嗜好の人が多いということだろうか。

 寿司に日本から見ると異様な現地的なあれこれが乗っていてのは、こういう風景だろうか。

 午後、原稿書き。短い原稿なのにあれこれを迷う。

 その後、黒澤明監督『生きる』をDVDで見る。

 余命半年を間接的に宣告された志村喬があれこれあってあれこれをやりとげるストーリー。セリフが聞きづらく、途中から日本語の字幕をつけて見る。

 じわじわと迫ってきて、言葉にはできない感情のせり上がりを感じた。

 「天地人」を見る。静かな回。

 写真は、スターバックスコーヒーのオレンジケーキ。後ろは、240ミリリットル入るプラスチックマグ。なかなか便利。

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ウヤミヤ。

Photo センター試験1日目。(そのために勤務先は臨時休校。)

 中学1年生のときから付き合っている(あの、か弱かった)(センセイと言えず、チェンチェーとか言っていた)生徒たちが、今日、センター試験を受けていると思うと泣けてくる(泣かないけれど)。

 韓国では、センター試験だけで国立大の合否が決まり、いわゆる個別試験はないらしい。

 メールで泣き言を言ってくるやつもいない。さびしいような、心強いような感じである。

Photo_3 「国語」の始まった1時半ごろに自宅を出る。

 自宅から中野駅まで20分の散歩。吉祥寺駅から「コスモス」事務室まで、井の頭公園を通って神田川に沿ってさらに散歩。

 途中、カフェ〈野田〉で一休み。

 「英語」の始まった3時35分過ぎに「コスモス」事務室に到着。宮英子さんが、「うやむやになる」と言うところ「ウヤミヤになる」とかおっしゃる。だじゃれなのだ。

 いろいろと実務、さんざんと討議ののち、夕食。「美たか庵」にて。写真は鯵のフライ。

 自分が試験を受けたわけではないのに、なんだか落ち着かない。明日は、数学と理科。

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わるいやつら。

Photo_2 松本清張『わるいやつら』(新潮文庫、上下)。書店のディスプレイに誘われて買ってしまう。

 清張作品売り上げ第3位ということだけある。引き込まれた。

 文庫で1000ページ。そのすべてのページに主人公が登場し、語り、思う。

 一幕物というのか、長い短編小説というのか。ねっとりと一気に読ませる体裁だ。一冊の執念のようなものにも圧された。

 現在の小説は(とくにミステリーは)もっとややこしく作ってあるのだろう。くるくると場面が変わるのだと思う。

 初出が1960年の「週刊新潮」。だが、そのプロットも乾いた文体と言葉遣いも、古びていないようだった。

 もちろん、ところどころに時代を感じる言葉がある。49年前なのだ。

 「頼信紙」もその一つ。歌人は、

・カフカ忌の無人郵便局灼けて頼信紙のうすみどりの格子 『水銀伝説』

という塚本邦雄の歌を思い出してうれしくなるだろう。あの、ちなみに『水銀伝説』は1961年刊。

 電話をかけるとき、交換台を呼び出したり、遠距離通話の「申し込み」をしたあと、1時間も待たされるというシーンもある。まだるっこしく、プライバシーを保ちにくい時代だったんだなあと思う。

 巣鴨拘置所とか、中野刑務所も登場する。

 中野刑務所跡は、公園になっている。わが家から徒歩15分くらいのところだ。そこから全国の刑務所に送られたらしい。

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最近の広告。

 景気の悪さを一番に感じるのは、新聞の広告である。(ウチは主に朝日新聞。)

 こう言ってはなんだが、安っぽいものが増えている。

 大企業の、見るだけで刺激を受けるタイプの広告が減って、ニッチな感じの商品を具体的にピンポイントで狙う広告が多いような気がする。

Photo 通信販売が激増のようだ。作務衣、カツラ、望遠鏡、セーター、落語や昭和歌謡のCD、ちくのう症の薬などなど。

 他には、格安ホテルや中古のもろもろを引き取りますというものなど。

 こういうものは、かつては土日版にあったもので、平日の朝刊に載るものではなかったと思う。

 テレビでも、以前にも増してパチンコのCMが増えたようだ。規制緩和とか、客層の変化とかもあるだろう。なにか異様である。サラ金のCMも復活してきたか。内田有紀の顔が見られるのはうれしいのだが。

Photo_2 写真は、新大久保の〈モイセ〉の納豆チゲ

 しっかりとしたアサリ味。豆腐やじゃが芋やネギがあり、チゲとしてのバランスを壊さないくらいに納豆がほんのりと主張している。

 おかずには、きんぴらごぼう風のものもあった。たっぷりと野菜を摂取できる。

 韓国人は、どの程度、納豆をたべるのだろうか。それもどうやって。ご存知の方はご教授くださるとうれしいです。

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水上おやこ。

 「歌壇」2月号に、歌壇賞の発表が出ている。

 「コスモス」「棧橋」の仲間の、水上(みなかみ)比呂美さんが次席、娘さんの水上芙季さんが候補作品に入っている。

 受賞しなくて残念でもあるけれど、355篇もの応募のうち上位に入ったのは(いつもの作品を見ていれば当然のような気もするけれど)うれしくもある。

 水上比呂美さんの歌は、ときに才気が見え透いてしまうところがあったり、普通でない世界を読もうとしやり過ぎてしまって、目がちかちかすることもある。

 良いところはその裏返し。これでもかと繰り出してくるさまざまな、きらきらした状況を楽しめる。だが、正直に言うと、

・見下ろせば夏の広場に立つ人ら白くひかりて蚕のごとし

・多摩川の堤に雲を見やるとき前のめりにてさびしさ来たり

くらいに穏やかなほうが好みである。

 水上芙季さんの作品では

・ああ電話ボックスが欲し片恋の君にはじめて電話するには

・コピー機が印刷するを見てをりぬ 号泣なんて一生しない

・人間が造りしものに番号あり例えば〈調布2号踏切〉

・このビルの建設着工日を言へるその日は君の誕生日ゆゑ

など、日常のど真ん中から素材をとって正面からものを見ている。しかし、独自のざっくりとして冷静な把握があっておもしろいのだ。

 コピー機はコピーはするけど、「印刷」はしないと思うけれど。

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フィッシュ。

Photo センター試験対策の授業を2コマ。

 1コマ50分だから、あれこれとはできない。試験直前に学校で友人や教員の顔を見て安心するのが主目的なのだ。

 なので、発音・アクセント問題に特化して、少しやった。

 改めて言うほどでもないが、英語の発音とつづりの関係のいい加減さには腹が立つ。

 英語学の教科書には、gheti と書いてなんと読めるか、というクイズが出てくる。

 答えは、フィッシュ。laugh(ラフ) などのフ、 women(ウィミン)のイ、station などのシュ、を組み合わせるとそうなるというのだ。

 音読み、訓読みがいくつもある日本語を使っているから、慣れているけれど、世界の言語的は、もっと文字と発音が一対一で対応しているものなのだ。ハングルだって、中国語だって(方言は別として)そうだろう。

 昼は、新大久保駅裏の〈クンメー〉へ。

 ランチメニューの構成が変わって、小さいスープヌードルが付くようになっている。カオパットマンクンムーカディアを食べる。「エビ味噌チャーハンと豚のニンニク炒め」。

 味は文句なしだが、チャーハンも豚炒めも作り置きらしく、熱くなかったのが残念。 

 

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キルケニー。

090105_23460001  午後、竹橋の日本教育会館へ。

 「コスモス」の選者会議。全国から約20名の選者が集まる。1時から5時までじっくりとやる。

 初めての参加。またひとつ、「コスモス」の裏側に入った感じ。なかなかおもしろかった。

 だが、議案がそれぞれ多数決をとったり、任命して終わりという性格のものではないので、時間がかかった。

 懇親会、2次会(三幸園)を経て帰宅。餃子を食べすぎる。

 写真は、キルケニーというアイルランドのエール。(後ろはカール。)

090105_23480001_2 どこかで飲んだ記憶があるのだが、日本で売っているとは知らなかった。それもサッポロビールが販売しているとは。http://www.guinness.com/ja_jp/beer/kilkenny/

 ギネスは有名だけれど、キルケニーのクリーミーであっさりとした感じも好き。そもそも、日本人にはもっとエールを飲んでほしい。

  いつかギネスのパックについてきたパイントグラスで飲む。デザインが藤井フミヤだそうだ。

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タンメン。

 天気のよい日曜日。

 正月にさぼっていた、「コスモス」の選歌に没頭。

 昨夕は、7年前の卒業生の同窓会が学校のカフェテリアであった。

Photo 400人近い卒業生のうち、30人くらいが参集。永年幹事のK岩君とY野君のお陰である。

 なぜか理系の卒業生が圧倒的多数。こういうものは友人どうしのつながりが大きいから、来ないクラスは一人も来ていなかったりする。

 在学中はいろいろあれこれしかじかあっても、25歳になるとみなまともな大人になっているものだと感心する。在学中はヤンチャだったけれど、苦労して医学部を出ようとしている人もいて、うれしかった。

 私が彼らを中1で担任したのは26歳のときだったなあ。

 現役の生徒なのか、卒業生なのか、あるいは自分の同級生だったか、名前をあげられて、しばし混乱することもあった。

 写真は、〈一六八〉の「野菜タンメン刀削麺」。

 メニューにはないけれど、「野菜タンメン」があるのだから、難しくない。

 ちなみに、タンメンは関西にないらしい。「塔」の方々にも聞きました。

 では、タンメン風のものはあるのでしょうか? 刀削麺は普及してますかな? 刀削麺はなぜか東京でも広まっているようです。

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178通。

 昨日の東京は寒かった。今日はまあまあ。

 寒いという発言は、理屈をこねるとおもしろい。その人の基準になる場所や時間がどこにあるかということなのだろう。

090109_13330001_0001_2 今日も、会議室にこもって、調査書の準備を続ける。受け渡しもある。合計178通。一人平均4.7通であった。(受験機会はもっと多くなる。)

 A3の用紙を3回づつ折る。右手の人差し指と中指にはあらかじめバンドエイドを貼っておいた。

 お昼は、新大久保駅裏の〈ソムオー〉へ。タイ・ベトナム料理の店。

 〈スキヘン〉を食べる。

 運んでくれた店員さんは、すきやき風炒めでーす、と言っていた。が、タイ風ピリ辛春雨入り野菜炒め、と呼んだほうがいいかもしれない。(スキは日本のすき焼のスキに由来する。)

 セロリがたっぷり入っていて、いい香りと食感をだしていた。(私はふだん生のセロリは食べない。)

 他の国では、思わぬ物を炒めたりする。中華料理のトマトや、東南アジアのバナナなんかがその例だろう。

 野菜をたっぷりと食べたいときにはタイ料理はいい。

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バベルの塔。

Photo  夕方、用あって四谷へ。

 ついでに、J智大学とイグナチオ教会に寄る。

 在学中はなかった17階建ての新2号館に潜入。以前は別の校舎にあった外国語学部の研究棟も入っている。

 英語学科に行ったが、知っている先生には会えなかった。それでも、部屋のドアの名前を見るだけで当時に戻るような不思議な感じがした。

 以前あった研究棟は、タワー・オブ・ベイベル(バベルの塔)とひそかに読んでいたのだった。

 さらについでに、しんみち通りの〈エリーゼ〉に寄る。

 ふつうの洋食屋なのだが、在学中に、(1年に15回として)50回以上は来たことのあるところ。http://r.tabelog.com/tokyo/A1309/A130902/13000971/

 こういう昔からのお店が堅実にやっているのはとてつもなくうれしいことだ。

 好物だった〈ビーフトマト定食〉(写真)を食べる。

 トマト缶詰味の洋風牛皿というところ。1限(9時15分~10時50分)のあとにブランチとしてよく食べたことを思い出した。当時としては高級品だったのだが。

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調査書。

Photo_2 今日から3学期。

 久々に6時過ぎに起きる。外は暗い。

 高校3年生は、今日から3日間、センター試験予想問題模試、のようなものを受ける。

 希望者が教室に集まって問題を解き、自己採点するだけ。だが、多少でも緊張が和らぐならそれでいい。

 担任は、事務局が発行した調査書に捺印して、封筒に詰める作業を開始する。

 以前は、学部ごとに必要だった調査書も、今では、早稲田大、慶応大、青山学院大などは、「入試係」に1通送るだけでいい。(こういうことも6年に1回なので、疎いのだ。)

 このごろ、大学入試の考査料はコンビニで支払える。と、驚いていたら、直接に申し込みのできる大学も1校だけどあるという。

 昼は、やはり久々の〈一六八〉へ。海鮮刀削麺。的確な塩味が最高である。

 この店、メニューに小さく「普通のラーメンもあります。」と書いてある。それを頼んでいる人を発見。厨房には、プートン(普通)ラーメンイーガ(1個)、と言っていた。

 何をもって普通と言っているのかなあ。

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玉の輿。

Photo  午後、総武線両国駅下車、「江戸東京博物館」に行く。

 特別展〈珠玉の輿・江戸と乗物〉を見る。

 メインは、篤姫が婚礼のときに乗ったという輿。

 これがなんと、ワシントンのスミソニアン美術館から来ている。ガラスケースの中の展示。

 その隣に、本寿院(徳川家定の生母)の輿がある。博物館の所蔵。ガラスケースなし。おもしろいものである。

 他にもいくつかの輿や籠が展示されていた。原寸大の内部写真を貼った空間の中に入って、その様子を体験できるのもある。なかなか工夫してある。

 男性用の輿は質素、女性用のものはきらびやかである。

 本来、「輿」とは箱の下に棒が渡してあるもの、「駕籠」が箱の上に棒が渡してあるものだそうだが、混用はどうにもならないようだ。

 いくら豪華な輿であっても狭苦しくて、現在の自転車ほどにも快適ではないだろうと思う。大名たちも、できるなら軽装で歩きたいと思ったのではないだろうか。

 せっかくなので、常設展も見る。広々としていていい博物館である。ハコモノ行政も使いようであるかもしれない。

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象引。

Photo 半蔵門の国立劇場に歌舞伎を見に行く。

 11時ごろに到着すると、獅子舞をやっている。バリ島のバロンダンスみたいだ。

 開演は11時半。終演が4時。

 なぜ、歌舞伎は(とくに国立劇場は)早い時間にやるのだろう。

 主な客層である、妙齢のご婦人たちが明るいうちに家に帰って夫君に夕食を作れるようにしているのか。

Photo_4 最近は、国立劇場のチケットもインターネットで買えるようになって便利である。

 ①「象引」。市川團十郎が半年ぶりの復帰。問題なく元気。はりぼての象が登場して、実際に中に人が入って見えを切ったりする。 単純に楽しめる愉快な劇。

 ②「十返りの松」。中村芝翫を中心とした舞踊。箏もよかった。ああ、日本人だなあと思う。

 ③「誧競艶仲町」。いきじ・くらべ・はでな・なかちょう、と読む。少々入り組んだ話だが、テンポよい芝居。

 この3つに、三津五郎、福助、橋之助が出づっぱりである。これを1月3日から27日まで、1日の休みだけで24回もやるのだから、すごい。福助の良さはしろうとでもわかる。

 同じ授業を1ヶ月に24回もやったら、それなりに練り上がってくるものはあるだろう。あるいは、退屈でおかしくなってしまうかもしれない。

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定本波濤遠望集。

Photo  新年最初の月曜日。

 だが、もう少し猶予がある。午後、中野駅まで20分の散歩。TSUTAYAで「デスノート」を借りる。とりあえず、前編だけ見る。

 田谷鋭『定本波濤遠望集』(雁書館)を手に入れた。収録時期としては第2歌集にあたる。装丁は高野公彦

 雁書館が廃業した後、京都の三月書房が一部を引き取って半額で売っているのだ。http://web.kyoto-inet.or.jp/people/sangatu/tanka/gan-tokka.htm#雁書館の特価本

 隅が焼けていたり、ヤニ臭かったり、雁書館的だが、1984年発行の初版本が残っているところが驚く。

 内容は、さすがの田谷さんの歌。時代を的確に反映させて、うつむきがちに個を見つめるという感じ。

 貧という言葉を繰り返し出したり、やたらと雨を降らせたりするなどの湿潤性が今からすると、鼻につかなくもないが、やはりしびれる。

 そう表現せざるをえなかった田谷さんの人生を思うと泣けてくるのである。少しあげてみる。

・トラックの灯の薙ぎしとき夜の地(つち)にかまきり一つあゆめるを見つ

・隔絶せる生活のにほひ帯びて佇つ朝の吊革に隣れる男

・一つ傘にあまき声して娘(こ)と母と行けりわが知らぬ柔媚の世界

・かの本を買はんとこころ決めしより拠りどころある思ひにあゆむ

・アイロンの鉄(かね)ふるる音、妻居れば夜の部屋に絶えずものの音(ね)立ちて

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有隣堂。

Photo  昨年からだろうか、年賀状が連日届く。

 以前は、元日は配達のみ、二日は収集のみ、という決まりになっていたような気がする。

 ところが、今日は日曜日なのに、届いている。これが民営化に向けての(もう民営化したのか?)努力ということか。

Photo_2 これまでミクシー年賀状は無し。

 用あって厚木へゆく。小田急線の本厚木駅下車、バス。

 帰りががけに、有隣堂書店でついつい松本清張を買う。

 文庫のブックカバーの色が10色から選べる。30年以上前からのサービスだそうだ。http://www.yurindo.co.jp/info/color_cover.html

 小田急の駅ビルの中のアフタヌーンティールームで食事。都心の店舗よりも価格設定が安いという。そういうものか。

 「柚子パルメザンとかぼちゃのラグーソースパスタ」と「りんごのチーズケーキ」を食す。 

 帰宅して直江兼続の再放送を見る。

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街場の教育論。

0002_2 T野公彦氏宅へ、新年の挨拶にゆく。

 おせちとお酒をたっぷりご馳走になり、うだうだと時間を過ごすだけなのだが。いやいや、それが大事なのであります。

 内田樹『街場の教育論』(ミシマ社)を読み終えた。

 なんとなく手にして、読み進んでしまった。勤め先の神戸女学院大学大学院のゼミの講義録を基にした本。

 教育論をホネにして、ウチダ先生の哲学で肉付けされた、脱線の多くておもしろいお話である。

 さすが、乗っているウチダ先生。切れ味よく、名言が続々と出る。文脈を無視して抜き出してみる。

・教育というのは「差し出したものとは別のかたちのものが、別の時間に、別のところでもどってくる」システムなのです。

・それは教育の本質が「こことは違う場所、こことは違う時間の流れ、ここにいるのとは違う人たち」との回路を穿つことにあるからです。

・彼らが大学に求めているのは「巻き込まれる」ことなんです。

・「学び」とは「離陸すること」です。

・教養教育というのは、要するにコミュニケーションの訓練だということです。

・人間は学んでいるときには、自分が今、何を学んでいるのかよくわかっていないのです。自分がどこへ向かっているのかわからない。それでいいんです。

・教育者は社会的に「ねじれた」位置にいるのがつきづきしいのです。

・「私には師がいた」というのが、教師が告げるべき最初の言葉であり、最後のことばなのです。

・今の国語教育で一番軽んじられていて、かつ、一番重要なのは、「音楽性」ということだと思います。

きりが無いので、この辺にします。

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市松もよう。

Itimatu  元日。例年のように、近くの新井薬師を参拝。

 例年よりも混雑している印象。不況だと参拝者が増えるという。テレビでCMをうっていた影響かもしれない。

 夜、借りてあったDVD、「模倣犯」(宮部みゆき原作)を見る。ちょっとやり過ぎの感じ。不思議な映画。原Photo_3作を読まないとわか らないのかもしれない。△。

 二日。原稿の催促が(メールだけど)来ている。なんで正月からと思うがしかたない。とりいそぎやる。

 午後、DVD「天国と地獄」(黒澤明監督)を見る。現在にも通用する緊張感にみちた作品。◎。

Buta  夕方。近くの〈メリメロ〉に食事にゆく。http://air.lizz.jp/merimero/ 

 三が日は営業。4日~8日を休みにするという。14席満席。

 正月らしいメニューもある。市松模様のテリーヌと野菜、ニョッキ、サラダポークなど。

 帰ってきて、DVD「陰日向に咲く」(劇団ひとり原作)を見る。日本映画のいいところが出ていると思った。俳優もいい。◎。

 年末の助走が長かったせいか、まだ二日だというのに長く感じられる。

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太鼓の空間。

0003  明けましておめでとうございます。今年もよろしくおねがいいたします。

馬場あき子さんの第22歌集『太鼓の空間』(砂子屋書房)をいただく。

 おお、もう第22歌集なのか、という感慨はある。

 だが、読めば読むほど若々しく、軽妙にものごとに本質を突く歌は健在。

 プロの歌として、一首の読みどころがくっきりとしていて、安心して楽しめる。だから22冊目でもまったく飽きないのだ。

 それは、一首の中の〈間〉のようなものでもある。短歌の真髄(単に意味でなく、単に音でなく)の喜びに触れさせてくれるのだ。

 どこにでもある話を、作者の領域内に自然にぐいいと呼び寄せる感じであって、苦労して言葉を搾り出している痕跡を残さない。

 人も小動物も昆虫も、それぞれの生き死ににゆるやかに溶け込む気持ちになる。かすかな笑いとかすかな生きることの翳りを見せつつ、肯定的な(つまり、いつも馬場さんご本人からもらう元気のような)気合いと許しを受け取ることができる感じなのだ。

 どれを引いてもすごい。ああ、短歌の列につながっていてよかったなあと思わせてくれる馬場さんである。

・朝の鏡に真剣におのれを見ることもなくなりて怱忙のひとひはじまる

・さまざまな駅の時間の中にある昼のカレーのほのかなあはれ

・隠岐びとはしやもじ手にして踊るなりきんにやもんにやといふよろこびを

・少しもがいて死ぬ冬の蜂しはしはとまゆみの落葉はふりかくせり

・柳葉にしがみて揺れる蝉殻の中に風ありかすかなるかな

・乱れ菊明るき午後を父なくて母なくてなぜにこころ安らぐ

・まつしろに化粧をすればつくづくとじゆごんのやうなをんなのわたし

・父の背に眠りゐし吾の深処(ふかんど)の記憶にひびき獅子の笛鳴る

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