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短歌の友人。

Photo  穂村弘『短歌の友人』(河出書房新社)を読む。

 純粋にタイトルだけをみると、小説の題名に見えなくもない。

 穂村さん(か出版社か)としては、これはエッセイやコラムではありません、短歌の本ですよ、とはっきり示したかったのだろう。

 2001年以降の論をまとめたもので、ああ、穂村さんはこんなこと言っていたなあと懐かしく思うところも多い。

 棒立ちの歌、武装解除、生の一回性、酸欠世界、モード、言葉のフェティシズム、言葉のモノ化、などなどのキーワードで明確に論を進めていく。

 中心になるのは、「〈リアル〉の構造」、「リアリティの変容」の章だろうか。実感という言葉も繰り返し登場する。吉川宏志さんの『風景と実感』と同様、今の短歌の問題は、実感とは何かに行き着くのだろう。

 今橋愛さんや飯田有子さんなどの、東直子さんよりもずっと新しい感覚の歌人を盛んに取り上げて、彼らの歌の魅力を説明しているところも特徴的だ。私としては、定型を外れてまでその感覚を表出するのは、その必然性とか切実さはわかるのだけれど、それでは「短歌」のルールをはみ出しているのではないかと思う。

 また、高野公彦、小島ゆかり、吉川宏志は繰り返し登場する一方、論ずるに価すると私が思う歌人がまったく飛ばされていたりする。伊藤一彦、栗木京子、小高賢、大口玲子、横山未来子などをどう読むのか知りたいところだけれど。

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ブルックス。

Photo_2  いつのころからか、職場で「ブルックス」のコーヒーを飲んでいる。さいきん新聞広告を盛んに打っている会社である。

 英語科職員室には、給湯器・給茶機(日本的ですね)はあっても、コーヒーメイカーがない。粉を買っていって、ペイパーフィルターでせこせこと淹れていたときもあったのだが、やはり面倒くさい。

 そこではまっているのが、ブルックス。広告にある1袋19円のものは、まあお試し用。今は、1袋40円弱のものをセットで買っている。

 挽き立てを密封しているらしく、自宅のコーヒーメイカーのものよりも香りがたってうまい。

 手元にある「グルメコーヒー6種セット」の原産地を見ると、ケニア、グアテマラ、タンザニア、インドネシア、アメリカ(ハワイ?)である。それぞれなんとなく味の違いはわかる。

 現地の生産システムのことはどうだが。ひどく搾取していないことを望むけれど。

 ブリックス(BRICs)は、ブラジル、ロシア、インド、チャイナであったか。

 

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木俣修研究。

Photo_2  「木俣修研究」の創刊号(外塚喬氏編集)をいただく。

 木俣修は、宮柊二の兄弟子であるから、私にとっては大叔父のような存在。だが、その作品をまとめて読んだのは一昨年に、ある雑誌から「木俣修の老い」論の依頼をもらったときだった。50歳くらいからの作品を必死に読んで書いた記憶がある。

 今回、篠弘さんが同じテーマで論を書かれていて、私の感じたことと近い気がした。

Photo_2  宮英子さんもエッセイを寄せておられる。富山時代に木俣氏のお宅を訪ねたという話。「(宮柊二との)無謀な結婚は止めた方がいい、と説教された。」うんぬんとある。だれだって当時はそう思っただろうなあ。

 夕刻、新井薬師前の〈四文屋〉で焼きトンを少々、マッコルリを少々。

 レバだのナンコツだのコブクロだののと食べた末に、串焼きのカボチャを食べた。これがうまかった。こんなうまいものが地上にあるのかという感じ。年上の女性のひざまくらのような味がした。なんてね。

 そうそう。「コスモス」のホームページが更新されていた。宮里信輝さんの地道な作業。継続は力である。こういうのを、サステナブル(持続可能な)というのだろうな。

 ここから、「展望」をお読みいただくことができる。ありがたい。http://www5d.biglobe.ne.jp/~COSMOS17/page069.html

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風景と実感。

Photo  昨日、評論集が立て続けに2冊届いた。(この2冊が同じ日に届かなくったって、いいじゃないかと思うけど。)

 吉川宏志さんの『風景と実感』(青磁社)と、穂村弘さんの『短歌の友人』(河出書房新社)である。

 同時に2冊を読み始めることはできない。なんとなく(この、なんとなくにも複雑な脳の作用があるのだろう)、吉川さんの方から読み始める。

 表紙に、内田樹の言葉が印刷されている。内田氏は教育の分野でも話題になる、身体論の人。

 冒頭に書き下ろしの論がある。「言葉が〈なまなましさ〉を帯びるとき」というタイトル。リアリティや実感という言葉についての論考である。

短歌をつくるということは、「声」を文字という記号であらわすという不可能性への挑戦であり、また逆に歌を読むということは、書かれた記号から作者の生(なま)の「声」を聴き取るという超越的な行為なのである。(p. 20)

短歌の「リアリティ」というものは、作者を信頼できるかどうかで、大きく左右されるのである。(p.25)

など、すごい言葉がつらなっている。時代に残る一冊になると思う。

 その後は、「塔」に連載された「短歌の風景論」等につづいてゆく。近代短歌からの引用が多く、よく読み込まれているなあとただただ感心するしかない文章がつづく。

 じわじわと読んでゆきたい。

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ハンドボール。

 鈴木竹志さんが、ホームページ「竹の子日記」http://www2.diary.ne.jp/user/166872/でこのブログを紹介してくださった。感謝であります。

 ハンドボールが話題になっている。

 小島ゆかりさんの次女(なおさんは長女)は高校時代にハンドボールをやっていたと聞いた。

Photo_3Photo_4 ハンドボール部には入部希望の新入生がほとんど来ないらしい。そこで彼らは、バスケ部を見学している新入生をスカウトにゆくのだそうだ。

 バスケ部は人数が多すぎて運動にならないしレギュラーにもなれない、と説得された新入生は、ハンドボール部で活躍の場を見出すという。なかなかうまくできていPhoto_5る。

 ちなみに、勤務校には、ラクロス部、ラグビー部、アメフト部、弓道部はあっても、ハンドボール部はない。

 夜は、いつもの〈コパン〉にて。

 ピクルスうまし、アンチョビ入りマリナーラピザうまし、フェンネル入り自家製サルチッチャ(ソーセージ)とポルチーニ茸のパスタうまし、リコッタチーズとヘイゼルナッツのケーキうまし。なんだか名前を聞くだけでくらくらするが、実際にうまいのだ。

 やっぱり私はクサイ物が好きらしい。

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塔。ジーマミー。

Photo  「塔」1月号では、「塔の働く女性の歌」を特集。

 真中朋久さんが、「働く女たちの歌」という評論をお書きになっている。

 「塔」創刊年の復刻号と近作を読み比べたりして、読み応えがある。引用された作品がどれもいい。そもそも、私自身が職業詠には力があると思っているからかもしれない。すぐれた視点の特集であった。

 じつにさまざまな職業がある。

 職業とは、人と人が出あう場面でもあるのだ。

と真中さんは言う。ごく当たり前のことだけれど、まったく同感。短歌の世界だけに限定されると、(教員や編集者は多いけれど)その他の職業の分が悪い。それに歌になりにくい素材もあるだろう。

 他にも、さまざま職業の女性が小エッセイを書いている。ふだん話を聞けない人たちの一言一言はおもしろかった。

2008_1_26_003  昼過ぎに学校を出る。高田馬場に先月開店した沖縄料理店〈やんばる〉でランチ。ジーマミーそば。

 ジーマミー=地豆=ピーナッツ。ゴマでなくピーナッツのタンタン麺。ただし、辛味は抑えて調理してもらった。味も雰囲気もいいお店。がんばってください。

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あをによし。鞍山。

Photo_2  研究日。

 ゆっくり起きて、録画してあった、ドラマ「鹿男あをによし」の第2回を見る。

 原作は万城目学(まきめまなぶ)の小説。荒唐無稽でスケールの大きいストーリー。ドラマはドラマとして別物のおもしろさがある。主演の玉木宏もいい。

 原作では男性の同僚教師をドラマでは綾瀬はるかが演じていたり、同じ下宿に住んでいたり。その他、原作にないエピソードが加えられたりする。あまりドラマの原作を読まないので、こういう違いを発見するのはおもしろい。

 私自身、中学生のときに剣道部にいた(ちなみに初段)ので、剣道の描写はよくわかることも楽しみのひとつ。

2008_1_25_001_3   昼は、中野の〈鞍山〉(あんざん)の焼きソバ。ニラやホタテの貝柱がたっぷりと入っていて美味。

 ただの中華屋だと思い込んで敬遠していたのだが、いくつかのブログで、中国人シェフのお店として推薦されていた。口コミは当たる。夜にじっくりと味わいたいお店を発見した感じ。

 日本語の注文が、中国語になって奥に伝えられるというシーンはどこで見ても楽しい。例えば、チャーハンはチャオフンみたいになる。とすると、出てくる料理はチャーハンなのかチャオフンなのか、考えたりしてしまう。

 

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路上。横山未来子論。

Photo  「路上」109号を鈴木竹志さんからお送りいただいた。鈴木さんによる横山未来子論8ページが載っているからだ。

 論では、まず、横山さんの歌は孤独であるとし

孤独の城を造り出しているかのようである。

と述べる。その理由として、ほとんど固有名詞と作者に関わりのある人が詠まれていないことをあげる。

 確かに、横山さんの歌の純粋で詩的な感じはそのあたりにある。ページを費やして力説するほどのものでもなく、歌集を読めばわかることだと思っていた。しかし、そこをあえて、使用された固有名詞の数を数えてまでして指摘したことは有意義である。

 それよりも、指摘されて初めて気がついたことは、

第一歌集と第二歌集には「きみ」はずっと詠み続けられているのに、第三歌集には「きみ」は全く詠まれていない。その代わりこんどは頻繁に「われ」が詠まれるのである。「きみ」の代わりに逆に「われ」がアイデンティティを保障するのである。

という件であった。

 その転換の理由を鈴木さんは詳述していない。が、このあたりに、横山短歌の秘密がありそうだし、その指摘は鋭いと思った。

 この号には、他にも佐藤通雅さん御自身の宮柊二初期論や竹山広もある。巻頭のつぶやくような400字日記も示唆に富む。読み応えのある個人誌だ。購読をやめてしまったが、やはり再開したいと思った。

 ただし、120号で区切りをつける、と佐藤氏がおっしゃっている。まだまだ先のようだが、それまでがんばって欲しい。

 

 

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雪。

 東京は朝から雪。予想よりも多く降ったのではないだろうか。

2008_1_23_002 過去には、雪のために交通機関がマヒすることを恐れて、午前中で授業を打ち切りにしたこともある。生徒たちはそういうことを知っているから、妙な期待をする。台風のときも然りである。ヒヨワな体制というかのか安全第一というかはわからないけれど。

   夜は、同期の同僚の一人と〈栄寿司〉に行く。二人だけで食事をするのは5年ぶ2008_1_23_012りくらいだった。

 お互い、もう13年目も終わるねえと話し、これから先も教員としてのモチベイションを維持するのは大変だねえ、と話した。

 このまま制度が変わらず、こちらの意思が変わらなければ、あと30年近くあるのだ。とてつもない。

 ホタテ焼きや鮟肝がいつもどおりうまかった。

 酒豪の相手に合わせて、普段は飲まない久保田千寿という日本酒まで飲んだ。楽しい一夜であった。

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できるできる。

 昨日の読書会は、『安立スハル全歌集』の4回目。これで、個人的には、3回通読が完了したことになる。毎回、ゆっくりと読み、読みつつ自分の作品を作った。

 遺歌集であり自選でないので、重複する内容の歌もちらほらある。やや理屈に傾くうたもある。しかし、落とした歌がないからだろうか、思い切った歌、ヘンなパワーのある歌も混じっているのが良い。

・年とつてをらぬ証拠にできるできる両手ひろげて片足で立つ (69歳のときの作品)

・眠る母が確かに息をしてゐること見届ける慣ひいつか身に添ふ

・あたらしい私を見むと出て歩くこの世は自分を見に来たところ

2008_1_21_to_008_22008_1_21_to_001_3  一首目のような、年齢と老い意識の高い歌が増えてくる。ずいぶん悲しいうたである。また。三首目のような宗教的哲学的なスケールの大きさもある。突き抜けた歌柄の人だったのだろう。

2008_1_21_to_005_3   会の後、新宿東口駅ビル内の沖縄家庭料理の店〈ナビィとかまど〉で食事。

 好物の、ドゥル天(田芋の沖縄風フライ)、お麩の炒め物、ヘチマ入りの炒め物などで盛り上がる。アロエの刺身も食べたなあ。

 泡盛は〈菊の露〉。満足しました。

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訃報。

 千葉ロッテマリーンズの清水直行投手(32歳)の奥さん(32歳)が亡くなった。

 7歳と6歳のお子さんがいたそうだ。直はそういう奥さんの数年来の体調不良もあって、とくに昨年は野球に集中できなかったのだろう。ふがいない投球を責めて悪かったといまさらながら思う。

もしかすると、入院中の奥さんの調子がかなり悪かった直後の試合を私が見たのかもしれない。

 投球とは(とくに彼のような、技術と精神とのぎりぎりのところで勝負しているような投手には)、プライベートと仕事を切りはなせるようなものではないだろう。人間そのものが一球一球に出るのが彼のようなピッチャーの姿である。

  だからこそ、チームにも詳細を告げなかったという清水直行の姿に打たれる。直行の気持ちを考えるととても辛い。

 詳細はわからない。でも、マリーンズはあなたを必要としている。奥さんのためにも、4月に照準を合わせて(無理なら、いつまででも待つけれど)調整して欲しいと思う。

 本当に心から哀悼したいと思います。合掌。

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「棧橋」93号。

2008_1 センター試験2日目。毎年このころが一番冷え込みが厳しい。夜は雪の予報。

 昨日、関東の冬は乾燥していて寒く感じると、「コスモス」のK原さんがおっしゃっていたが、どうだろうか。

 昼は、厚木産無農薬白菜と鎌倉ハムのトマトソースのペンネアラビアータを作る。(地名をつけると少し偉そうだ。)

 「棧橋」93号が届いた。

 今回の96首詠は宮里信輝さん。宮里さんらしい、理知的でユーモアのある歌群である。

 私は、12首の他、現代短歌論と合評を担当した。とりあえず、作品を載せてしまおう。やや斜めってる。

Photo_4 

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オホホ。

 センター試験1日目。勤務校は、校舎貸しのため臨時休業。

 私の担当の高2は、各地の予備校で、「同日体験受験」をしているはず。

2008_119_001 つまり、公表されたホンモノの問題を使っての模擬試験。例えば、東進ハイスクールでは、午後3時半に「公民」が始まって、「英語リスニング」が終わるのが9時40分。ご苦労なことである

 午後、三鷹市井の頭の「コスモス」事務室へ。途中、〈カフェ野田〉でアールグレイを飲む。ここは、コーヒーもうまいが、ティーも丁寧にいれてくれて、うまい。

 編集会では、宮英子さんが、りっぱに召人を務められたという話題で持ちきりになる。当日は、朝7時半に着付けの人がご自宅にみえ、その後宮内庁からお迎えの自動車(馬車じゃないのよ、オホホ(英子さん談))が来たそうだ。

2008_119_0022008_119_003  大役のために、年末からずっと自重されていたので、当日の夜は「飲み過ぎちゃったのよ、オホホ。」とおっしゃられていた。

 7時くらいまでいろい2008_119_004_2ろと実務・ 相談事をして、〈美たか庵〉へ。お店の方からも、召人の話題をいただく。

 いつものメニューをいつものように食べる。

 写真は、ありポジのようにも見えるが、そうではない。

 

 

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フンギ。

2008_115_18_001 研究日。

 かなり冷える。5℃以下だろうか。だが、寒いのは嫌いではない。25℃よりも5℃のほうが気持ちが引きしまっていいくらいだ。それに、もっともっと寒い地方に多くの人々が暮らしているのだ。ウイスコンシン州で過ごした22歳の冬を思い出すまでもない。

2008_115_18_007  寒いけれども、昼は、なんとなく中野の〈ボナペティートパパ〉へ。先日、3人で4本のワインが空いた店だ。

 ピッツァ・フンギ・ビアンコ、つまり、茸の白い(トマトソースでなく、チーズたっぷり)のピザなど。一見、これがすべて自分の胃袋に入るのかと想像すると怯んだが、難なく食べられた。おいしいというのは、食べ飽きないということかもしれない。

 東急ストアで、照り焼き用の鰤など買う。

 こんなに山盛りの商品が本当に売れるのかと思うくらい豊富な品揃えである。日本にもいろいろと社会的・経済的な問題があるけれど、そういう厳しい現実をすべて隠蔽しようとしているのだろうか。

 フードマイレージだとか資源問題だとかを考えていては買い物はできない。

 鰤(ブリ)の「師」は、師走の師であると、友近がテレビ番組で解説していた。旧暦の師走、すなわち今頃が旬だそうだ。

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2月号。

「コスモス」2月号が届いている。

 1月半ばで2月号が届く結社誌はすごい、といつも身内で褒めあっているのだが、やはりすごいのだろうか。

 創刊55周年記念の全国大会の要項が(1月号に引き続き)出ている。5月に横浜のインターコンチネンタルホテルに1泊して行われる。

 私はすでに、詠草1首をつけて申し込んだ。(「コスモス」のみなさん、締め切りまでもうすぐですよ。お会いできることを楽しみにしています。お気軽にご参加くださいね。)

 今月号も、うれしいことに、拙作は巻頭にあった。おそれながら(まあ、私のブログなんだから畏れる事もないけれど)転載する。

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めしうど。

 バンクーバーのSNさんから、「コスモス」の宮英子さんが宮中ナントカの儀で召人を務められた記事があると教えていただいた。

 わが家の朝日新聞は写真はなかった。やはり、お美しいhttp://www.asahi.com/culture/update/0116/TKY200801160169.html

「歌会始の儀」で自分の歌を聞く召人の宮英子さん=16日午前、皇居・宮殿「松の間」で

 まさか、天皇とかに、ダジャレは言わなかっただろうなあ。天皇に向かって、さいきん何やってテンノウ?とか。ヒロの宮に向かって、そろそろ、交代し殿下?とか。

 そういうダジャレがわかるのは宮さんの本領なんだけどなあ。 ややこしいこともありますし。ここは自重。

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西紅柿。

 〈実力考査〉2日目。高2文系は、英語(60分)、数学(100分)。(悲しき理系は、さらに1時間。)

 英語のメインは、訛りについての文章を出した。どんな言葉でも、ある意味では「訛り」(英語でaccent/アクセント)である(つまり、東京語でも大阪語でも山形語でも、同じレベルで「訛っ」ているのだ)という主張の文章。こういう、文化を相対化して見る視点は好きだ。

2008_115_16_006_2  リスニングは、バンコクの黄金の涅槃像の話。昔、ミャンマー(というかビルマ)軍が攻め入ってきたときに、盗まれないように外側を石膏で固めてしまって、しばらくその中に純金の仏像が入っていると知られていなかったという話。

 もう一つは、世界の有名美術館にも、悪徳古物商の手を経た贋作が多いという話。センター試験対策の(といっても来年のことだが)形式で出題した。

 すぐさまバシバシ採点する。

 昼は連日の〈一六八〉で、「西紅柿刀削麺」を食べる。

 トマトと卵の炒めものを刀削麺に乗せたもの。予想通りの美味。

 お客さんの中に、常連の韓国人留学生のグループがいる。彼らと店の小姐が日本語でやりとりしているのを見ると、なんだかうれしくなってしまう。なぜだろう。

 スーホンシー刀削麺と注文したら、シーホンシー刀削麺、と訂正された。何かが違うようだ。

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にんにく風。

2008_115_16_003 勤務校では、全校〈実力考査〉の初日。

 私の担当の高校2年生は、歴史(世界史か日本史)50分、国語60分(村上陽一郎の文章など)、理科2科目選択80分。(理系は理科3科目で終了は1時過ぎ。)

 考査のときはなんとなく外食する習慣になっている。

2008_115_16_001  同僚といつもの(ほんとにいつもだが)の〈一六八〉へ。定食四番の「茄子のにんにく風」を食べる。注文時でなく料理が出てきたときになって、同僚氏が、コレって匂いが残るんですよね、と言い出す。

 夜は歌会だが仕方ない。にんにくの芽(というか茎?)をコシコシと食べる。さすがに美味。

 学校の裏手では、なにかの剪定が行われれている。気の毒なほど大量に葉が落とされていた。

 夕方、新宿へ。とある歌会。いつもの新宿三丁目のルノアールが改装中。探し回って、東口の「西武」というレトロでいい雰囲気の喫茶店に落ち着く。

 出席7人。高野氏は、なにかの選歌をしながら傍聴的に参加。

 その後、東方見聞録へ。T氏持参の河豚ヒレを熱燗に入れて楽しむ。薄暗くて暑かった。

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正直。

 昨晩は、近くのイタリア料理店〈コパン〉へ行った。

PhotoPhoto_6 中野通り、哲学堂公園の近く。住宅街の中のこじんまりして居心地のいいお店。失礼ながら、ちょっといい居酒屋のようなところだ。

 お水はガス入りですか?ガスなしですか?なんて聞かれる店は苦手である。水はお冷でいいんです。

 7時過ぎにゆくと、なんと満席。私は関係者ではないけれど、多くの人が来てくれるのはうれしい。

 ほとんど近くにあってもガラガラのお店もある。実際、同じ場所にあった前のイタリア料理屋は客の入りが悪くて潰れてしまったのだ。庶民の味覚は正直。コパンにはがんばってもらいたい。(と、心配しなくても大丈夫そうでだけど。)

 海老のフェットチーネ、蕪と小松菜と浅蜊のクラムチャウダー、真鱈とジャガイモのグラタン風?などを食べる。どれも気取っていない味でおいしい。ワインもちょうど一本空いた。

 店内は暗めなので、写真には向いていない。すいません。

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学べないという真理。

 散歩を兼ねて、中野の〈オリエントスパゲティ〉へ。青空であったが風の強く寒い昼間であった。

 明太子スパゲティーにカキ(のバター炒め)をトッピング。意外と合う。

2008_113_003 このお店は、あるものならばなんでも合わせてくれる。トマトソースに納豆、ゴルゴンゾーラチーズにキムチなどもやってくれる、はずだけれど注文する勇気がない。

 村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』(文藝春秋)を、読みはじめる。

 自伝的な部分も多い。彼の矜持がかなり強くでているけれど、嫌味ではない。納得させられる書き方だ。

学校で僕らが学ぶもっとも重要なことは、「もっとも重要なことは学校では学べない」という真理である。

とあった。なるほど。さいきん私が生徒に言っている、「学校とは実用に無意味なことを教え込ませるからこそ尊い」というのと似ているか。

 例えば、英語なんて、ほとんどの日本人に(直接には)役立たないはずなのに、大量の税金を投入して教育している。(私もその恩恵に預かっている。)英語も数学も物理も古文も同レベルの「役立たなさ」である、それゆえ尊いのだ、と思うのですけれど。

 昨日の同窓会でも、「最近、英語を使っていないから忘れちゃって、どうすればいいでしょうか?」と話しかけてくる卒業生は何人もいた。しかし、おそらく、「最近、古文読んでないから読めなくなっちゃって」とか「すっかり数学忘れちゃって」と言い出す人はいなかったのではないだろうか。

 本当に必要で重要なことなら、自分で学ぶのではないだろうかなあ。それをきちんと言う村上氏はやはり偉大である。

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同窓会。

 普通の土曜日、普通に勤務。

 夕方より学校のカフェテリアで、6年前の(高校の)卒業生の同窓会が行われる。私も呼ばれる。400人ほどの卒業生のうち、30人ほどが集まった。

 浪人していなければ、大卒2年目を終える直前。来月に医師国家試験を控え、今日が模擬試験だったという人が何人もいた。みんな晴れやかな顔をしている。在校中の素行はさておき、今はそれぞれ日本を支え始めている。

 まあ、同窓会とは、そういう顔の人が中心となる場なのだろう。口々に、いい学校だったとか、みんなそれなりにがんばっている、とか言い合ったが、それはそういう人たちが集まった会だったからかもしれない。

 それ以外にがんばっているひとも多いはずだが、なかなか同窓会には来ないのだ。しかし、そういう人にこそ会いたいという気もある。

PhotoPhoto_2  新井薬師前にもどり、四文屋で焼きトンを食べる。

 マッコリを注文すると、白か黒か聞かれる。黒、とは黒豆でできているという。いい香りがする。人をなだめるように飲ませる酒であった。

 レバ刺し、センマイ刺し、にんにく焼きなどがうまかった。20代の店員さんがきびきびと働く姿はうつくしい。

 

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バジル。

 研究日。買い物をインターネット経由で済まし、マンションの敷地を出ず。暖かな日も今日までらしい。

2008_111_001 昼はバジルパスタ。ソースの残りが足りなかったが、風味が濃厚なのでなんとか食べられた。イタリア製でチーズや木の実がたっぷり入っている。これをオリーブオイルで延ばして使う。国産メーカーの小袋入り製品にはない味。レストランは、こういうものの業務用をたっぷりと使っているのだろう。

 小島ゆかりさんの『ごく自然なる愛』を再読。たのしく発想をとばしてゆくと、なかなか読み進められない。それほどいい歌集なのだ。

 新風舎が民事再生手続きに入ったという。青山通りの本社の1階にある書店もなかなか居心地のいいところだし、私としてはイメージは悪くなかったのに、残念だ。

 実際に何が行われていたか知らないし、話が大げさ過ぎたところもあったのだろう。ただ、(自費出版をしたことのある者から見れば)自分の書いた本が簡単に書店に並ぶはずがない、という常識的な判断はできる。騙したのか、そそのかしたのかわからないけれど、世の中にウマイ話があるはず無いのである。新風舎で現在製作中の本がきちんと世に出ることを祈るばかりである。

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ふきのとう。

Photo  「コスモス」の友人の水上芙季さんから、作品集「ふきのとう」(第13号)をいただく。私家版だけれど、勝手に紹介したいと思う。

 32ページの小冊子に、俳句29句、短歌55首(オオマツ調べ)が掲載されている。イラストもご本人。もう13号というのにも驚く。短歌は「コスモス」掲載分をまとめたもの。いつも読んでいるのだけれど、こうしてまとめてもらうとありがたい。

・冷奴をんな五人で囲みけり

・いつも買ふケーキに今宵栗があり

・夏場所は千秋楽を見たるのみ

・ひよこ豆ぽつりぽつりと食(は)みながら君の敬語をここちよく聞く

・出るペンと出ないペンとを分けてゐた二十五歳の最後の夜に

・付箋つき六法全書を読む君の脳は屋台のかたやきそばだ

などがいいと思った。

 力が入りすぎておらず、独自の世界を表現している作者である。こういう個人冊子はおもしろい。

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ターミー麺。

 定例の歌会のメンバーで新年会。@新宿。

 久々にカラオケをやった。(カラオケを歌った、というと英語っぽいか。)自分では聴かない曲が聴けるのもいいところ。懐かしい曲も飛び出す。カラオケは歌謡曲を通しての文化の保存・伝承に役立っているかもしれない、と大げさなことを考える。

 このごろよく聴いている〈レミオロメン〉を歌ってみる。音程がやや低めでちょうど合うようだった。尾崎豊くらいのキーだろうか。

080109_21460001_2 080109_21470003 080109_21510001  

  〈台南担仔麺〉で食事。昔からときどき来るお店。
 カキの黒豆炒め、鶏肉のカシューナッツ炒めなど。ただの香菜(シャンツァイ、コリアンダー)を肉味噌をつけてつまむのもいい。

「さんざし酒」というのも飲む。漢方薬っぽくて甘くておいしかった。

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ガイトゥーン。

 始業式。

 始業式・終業式という妙なシステムも、顔合わせとかリハビリだと思えば機能しているかもしれない。学期の初日から授業があると来づらくなる生徒もいるだろう。

 他の国はどうなのだろうか。

2008_18_0022008_18_001  昼は、新大久保駅裏のタイ料理〈クンメー〉にゆく。2日つづけてタイ料理。「クイティオ・ガイトゥーン」を食べる。

 ガイが鶏。クイティオは米の麺。屋台風鶏ソバ、と説明がある。それはともかく、言葉の響きがいい。有能なサッカー選手のような、イケメン俳優のような名前だ。(そんなことないか。英語のガイに引きずられているだけだ。)

 この店、本来は夜に来たいのだが、やや気軽な感じもないし、お酒類が高くつく気もするので候補にならない。すし屋でマッタリというのが夜は最善である。

 会計のとき、暗記していた「クイティオ・ガイトゥーン」と言うと、店員さん(たぶんタイ人)がうれしそうな顔をして、発音を訂正してくれた。ここで再現できなくて残念。

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カオタイ。のだめ。

2008_17_001  明日から3学期。準備のため、ちらっと出勤。

 昼前、高田馬場のタイ料理〈カオタイ〉でランチバイキング。(カオタイ、はタイのご飯の意味らしい。)

 赤と緑の2種類の鳥カレー、野菜炒め、サラダ、焼きソバ、白身魚のフライ、など一通り食べたら満腹になった。(そういうもの2008_17_003_2 だ。)

 とくに、冬瓜とトマトのスープはおいしかった。簡単に作っているようだけれど、酸味と辛さのバランスが絶妙である。レシピがしっかりしているのだろう。

 英語科では、3人の教員と会う。プリント類などを準備。生徒のいない学校は仕事がはかどる。(と、いつも思うパラドックス。)

 録画してあった、「のだめカンタービレ」のスペシャル版を見る。理屈抜きでおもしろい。

 ビデオで見ると、いかにCMの時間が長いか、よくわかる。

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うしゅう。

Photo  夕方、読書会へ。司馬遼太郎『街道をゆく10』「羽州街道・佐渡の道」の前半。羽州、つまり山形県の部分。

 1967年の文章。最初のページに、

「二十代の東北観は(中略)幾人かの東北出身者と知り合うにつれて、かれらが自分の境涯や物事への感想を語るときに特有の抑揚を帯びることを知った。その抑揚には微量ながらも詩的気分が含有されているようにおもわれ、」

とある。「コスモス」の先輩や、二三の同僚にも当てはまるように思える。ただし、男性だけだけど。

 中心の記述のひとつに、上杉景勝と直江兼続(なおえかねつぐ)の関係があった。謙信の死のとき、景勝24、兼続19。その後も関ヶ原の敗戦を経ても二人の厚い関係は続いたと書かれている。激減された石高の一部を兼続に分けた景勝、それをさらに分けた兼続の話など、感動的な内容だった。

 示唆にとんだ90ページであった。紅花の話。稲作と普遍的人類思想の話、都鄙(とひ)の差の話などなど、引用していてはきりがない。

 その後、いつもの「庄屋」へ。カキフライなどをたのしく食べる。5月の「コスモス」の大会のことなど、語り合う。

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コエド。

2008_1_004  近くのナチュラルローソンで、こんな缶ビールを見つけた。

 これを見て、COED(co-education=男女共学、あるいは共学の女子学生)かな、と思ってしまった私は英語教員である。

 OECDと関係のあると思ったら新聞の読みすぎか。

 「小江戸」のことらしいとわかった人は、かなりの通だろう。

 会社のホームページを見ると、http://www.coedobrewery.com/

 「江戸の台所として栄えた埼玉・川越、通称「小江戸」。

と書いてある。なんだか、こじゃれた会社だけれど、ビールの味は、私好みの、匂いの強いものであった。

 ちなみに、花のようなマークは、「毬花」の紋で、ホップの花を表わしているという。缶のデザインも、歌集に使いたいくらいかっこよい。

 西武新宿線を走る有料特急は「小江戸」という。新宿から川越に行っている。

 このビール、350ミリで262円もするのだが、モトは取れる気はする。

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『天平の水煙』

 夜、実家のある文京区千石にゆく。深夜まで語らい飲んで、タクシーで帰宅。さいきんはいつもそういうパターンになる。

Photo  高野公彦第12歌集『天平の水煙』(本阿弥書店)を年始から読んだ。2005年の「歌壇」に毎月30首連載されたものが基である。

 個人的には、その年の5月に、NHK-BSの短歌スペシャルに御一緒させてもらったときの歌がタイトルになっているのがうれしい。宇治での収録の翌日、(私のわがままで)奈良の薬師寺に行ったのだった。

・塔の秀(ほ)の水煙をふり仰ぐとき補陀落(ふだらく)そこにある如き燦(さん)

という歌などがある。

 特徴は、「あとがき」に「毎回、日本の懐かしい言葉を意識しながら歌を詠んだ。」とあるとおり、古い言葉を生かすことが大きなテーマになっている。連載を凌ぐ工夫ともいえる。

 例えば、蘭交、名題下、鳥屋、あばけ者、赤み上戸、拉鬼体、歩揺、犬返し、牛起き、軋ろひ顔、旦過、などなど。この歌集で存在を知った言葉である。そういう言葉が自然にはまっているのである。

 ただし、そういう言葉が使われているからといって必ずしもいい歌とは限らない。私の好きな歌は、以下のような単純なものになった。

・はしはしと包装しつつをみなごは働くときの肘うつくしき

・天平の仏足石の前に来てけむりのやうな睡魔に会ひぬ

・二歳児が鬼灯(ほほづき)ほどの肺で吹く鳩笛鳴れり土の鳩ぶえ

・れんこんは酢れんこん良しがめ煮よし花のおもかげあるにあらねど

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『花柄』

 1月3日。高野公彦氏の自宅に年始の挨拶にゆく。千葉県市川市。

 長女の長女、つまりお孫さんが元気に飛び跳ねていた。が、われわれはひたすら飲食する。

 昼過ぎに集合して8時間ほど。二人の娘さんの手作りのおせちやおでんがおいしかった。

Photo  魚村晋太郎第2歌集『花柄』(砂子屋書房)を読んだ。

 魚村さんの歌は、『銀耳』以来のファン。一首の中にドラマを成立させようとする意欲があるのだろう。断片への愛や世界の苦しみを歌に埋め込もうとするこだわりがある。定型意識も強く、散文詩的な情景の切り取り方であっても、まさに短歌として成立している。

 ただ、部分的に難解なところがあるというか、中心部の具体がもっと求心力のある名詞や動詞であればいいのになあと思うこともある。

 抽出しようとすると、奇想の歌が目立ってくるか。

・さうだ、詩は寺だ。うまくは言へないが花芙蓉咲く墓域におもふ

・これ以上くづしたら誤字になりさうな具合に偏と旁 抱きあふ

・つぎつぎとフォルダに来るspam mailさむい鴎の群かもしれず

・もうささへきれなくなつてゆきやなぎねむいからだを揺らすのだらう

・ポケットにゆうべの釣りの札があつてその札で買ふ朝の真水を

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ナーベラー。

Photo 正月二日。家人の実家へ行く。

 小田急線から富士山が見えた。心の中で拝む。(さすがに手を合わせる勇気はない。)都内からは見えたのだが、町田くらいへ行くと、大山(おおやま)がじゃまをして見えなかった。

 義理の弟の娘(義理の姪なのか、ただの姪なのか?)が一座の中心となって笑わせてくれた。

 先日、那覇空港の回転寿司店で食べた、〈ナーベラーの握り〉が忘れられない。ナーベラーとは、「へちま」のこと。平板アクセントで発音するらしい。ナー、にアクセントを置かない。ゴーヤーがPhoto_2ヤーでなく、平板にゴオヤアと発音されるのと同じかんじ。(と池澤夏樹風に言ってみる。)

 ホテルの朝御飯夕御飯でも、茄子とへちまの炒め物を食べた。これが茄子よりもさらに茄子っぽい、というか、食べ物としてやる気の無い感じのクタクタ感でおいしかった。

 たぶん湯がいたヘチマに味噌をつけただけ。90円。これがうまかった。

 他にも、お約束のように、〈ゴーヤー巻き〉もあった。サビ抜きで岩塩で食べると指定された。

 あれこれおいしくて、搭乗口まで小走りになるハメになったのだった。おそるべし、那覇空港の〈海來〉(みらい)であった。

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『ごく自然なる愛』

 明けましておめでとうございます。

 このブログも始めて一年が経ちました。当初は予測していなかった展開になりながら、とりあえず毎日のスペースを埋めることができました。お読みくださる皆さんに感謝です。

Photo_2 さて、

 小島ゆかり第8歌集『ごく自然なる愛』(柊書房)を読む。

 なんだか御自身のことがわからなくなる、という不可思議な身体感覚を取り込む。だんだんと謎めいた部分への志向が顕著になってきているようだ。

 多作を強いられる状況の中でも言葉を流さずに、元気な言葉を見せてくれる。ただ、ちょっと強引だったり言葉がアクティブ過ぎる感じ、急ぎすぎている感じはある。

 もちろん、これまでの小島さんのレベルと比べてのことで、最高峰レベルの楽しみをくれることには変わりない。読者は贅沢なものです。

・今日の日はおほよそよろしよろしさをふくらませつつとろろ芋擂る

・このごろのちぐはぐなわれを思ひつつ夜更けにほそき口笛を吹く

・ごめんなさいと言ひしことのみ記憶ある夢は障子のやうに白みぬ

・刺す前のナイフのあをきつめたさはこんな感じが秋刀魚を掴む

・うやむやにしてやりすごすこと多しうやむやは泥のやうにあたたか

・四十より五十のわたし慎ましくおみくじを読む老眼鏡かけて

・ストーブにあたたまりゐるしばらくはわが存在があかあかとせり

 小島さんらしい、現実からシュールに入り込むような瞬間をとらえた歌を選んでみた。抽出してゆくと止まらない。

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