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ひごの屋、傳八。

 用あって、青山学院女子短大に行く。髙野公彦研究室である。

 014ついでに髙野氏歌枕の写真を撮る。

 「ひごの屋」は、小さくない焼き鳥屋なのだが、座れば麦焼酎「とっぺ ん」のキープボトルがすぐに出てくる。店名どおり、熊 本に由来があり、注文すると、店員は「ばってんでーす」と返事をする。

・木染め月、手羽先の肉うまきころ酒場「ひごの屋」恋しき夜ごろ (『水苑』)012_1

 「傳八(でんぱち)」には、髙野氏はしばらく訪れていないようだ。看板の字体が、なんとなく高野さんの筆跡に似ているような感じもする。

  ・飲ん兵衛に混じりて我も昇りゆく飲み屋「傳八」の十三階段 (『水苑』)017

 帰り際に、髙野研究室の真向かいの栗坪良樹先生から近著「親ばなれ子ばなれ―寺山修司と家族プログラム」(集英社新書)をいただく。

 

018栗坪先生とはさいきんご一緒していないが、相変わらずパワフルそうだ。

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大は小を。

 「塔」1月号に、永田和宏氏がPhoto_2 「大は小を兼ねない」というタイトルの小文を書いている。

 ご自身の講演での聴衆の〈乗り〉の良し悪し、成功不成功のことから始め、その大きな要因として、部屋の広さがあるのではないか、と仮定する。

 「狭い空間に人の顔がぎっしり詰まっていると、妙な充実感が聴くほうにも話すほうにも自然に現れるもののようだ。狭いところに窮屈に座りながらも、隣と隣が、そして会場と壇上とが不思議な共鳴をして一体感がある。」

 と言う。(そしてその逆はダメということになる。)

 これは経験則でなんとなくわかる気がする。同じ広さの教室でも、クラスを半分に分けたり、微妙な机の配置とか何かによって、雰囲気が変わってくる。

 永田さんは、これは歌会にも当てはまるのではないか、とつなげてゆく。「ひそひそと隣と話ができる距離、互いにマイクを使わないで聞くことのできる距離」「スクール形式でないこと」などを〈座の文芸〉を保つ上で欠かせないと指摘する。

 これはまさに、ロの字型で着席する、われわれの「棧橋」の批評会のあり方と同じである。やや中央部が広すぎるのかもしれないが。

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とびうお。

Photo_2 昨日は、バレーボール部の試合のあと、吉祥寺の「とびうお」へ。

 このちょっと高級な居酒屋は、宮英子さんのお気に入りで、10年ほどまえに初めて連れてきていただいた。
 店 名のとおり、飛び魚が食べられる。その羽を広げた形で出される〈姿作り〉が名物である。これと、くさや、明日葉のてんぷら、白子ポン酢を毎回注文する。どれも美味い。冷酒の種類も豊富。

(↑↓ケイタイのカメラなのでぼやけていますが。)
 
 その後、駅前のハモニカ横丁を散歩。以前たくさんあったオヤジ系一杯呑み屋が、ちょっとコジャレたカフェ系バPhoto_3ーなどに なっていて驚く。30代くらいの女性客が多く、さらに驚く。(←ややおしゃれになった焼き鳥屋)

 その後、「うな鐵」で、うなぎのカシラ(つまり、頭だけいくつか串に刺して焼いたもの)、白焼き、にんにく丸焼きなど食べて帰宅。もう、ふらふら。

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バレーボール。

 高校バ003レーボール部の公式戦の引率。東京電機大付属高校という即物的な名前の高校にゆく。JR中央線東小金井駅のそば。
 朝8時前 から夕方6時過ぎまで、底冷えする体育館を一歩も出なかった。なかなかの快挙である。

 就職して12年目になるが、一貫してバレー部の顧問をおおせつかっている。ただし、バレーも経験もないし、細かいルールもわからない。審判をしなくてはならないときは、別の学校の先生に泣きついて、代 わってもらう。これが一番つらい。よしんばルールなどを覚えたとしても、視力が良くないのででき004_3ないのだけれど。

 今日の収穫は、東京都ナ ンバーワンの東亜学園高校の試合を見られたこと。
 わが校とは別の競技をしているようなダイナミックさで、十分に見せ物として成立する。サーカスと言ってもいいかもしれない。
 練習、応援からミーティングまですべてがきちんと統率されている。スポーツ教育はある程度、いわゆる軍隊式でなくてはならないのだろうな、と思った。
 

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トマト。

 今日、明日は全国的に英語検定の実施日。私の勤務校でも、年中行事のひとつとなっている。
 中3で準2級に9割がた合格する。まあ、合格するのが目的でなく、知識の整理や自習能力を高めるねらいが大きい。

 私の担当の高校1年生も、今年は、多少の無理を覚Tomatoes 悟のうえで2級に挑戦させることにした。
 試験時間は、筆記75分リスニング25分だが、得点の比率は60%対40%である。リスニング重視の傾向を引っ張ろうとする意図がよく見える。

 ふだんは予習も宿題もやってこない生徒が、自分で対策本を買ってきて必死にやっている姿をみると、教育とはなんだろうかと考えてしまう。

 その過去問に、トマトの話がでていた。
 トマトは16世紀に中米からヨーロッパ大陸にもたらされ、当初は(臭いのせいもあって)有毒だと思われていたらしい。その後、当時スペイン領だった南イタリアの飢饉を機にピザに使われ出して(ナポリピザですね)、現在の世界的な人気を得るにいたったという。

 アステカ人が「膨らむ果実」(トマトル)と呼んだことからトマトの名前があるとか、学名はLycopersicon で〈オオカミ桃〉を意味するとか、そのあと調べてわかった。
 こういう、どうでもいい知識を得る瞬間はとてもたのしい。
 歌にはつながらないけれど。

 

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「牧水研究」

 宮崎の伊藤一彦さんから「牧水研究」創刊号をいただいた。Photo_22「ほとんど衝動的に」立ち上がった研究会の会誌であるという。

「私たちは牧水を語りたいというよりも、牧水と語りたいと願い集まった。それは故郷に住む一人の友人 の発想に過ぎないのかもしれない。」

と編集後 記にある。なるほど。

 中には、「座談会」のコーナーがあって、これには牧水自身が登場する。延岡中学時代の思い出を語る場面であるからちょうどいい。

 文学研究ではこういう設定はよくあるのだろうか。亡くなって間もない人ではだめだろうか。宮柊二再登場の座談会、なんておもしろそうである。

 牧水といえば、生家は東郷町。

 そう。鳥インフルエンザ問題でお気の毒な日向市東郷町である。私は、高野公彦さん、小島ゆかりさん、それぞれの牧水賞授賞式のあとの旅行で同行した。のんびりとしたいい雰囲気の土地であった。

 授賞式では、知事をお話しする機会も得た。(松形氏という全国最年長の知事だった。)来週2月5日は、東国原知事が、俵万智さんと坂井修一さんに授賞することになっている。なかなか異色の組み合わせで、マスコミ受けしそうである。

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八重寒梅。

 研究日002_2

  昨夜の「吉乃川(厳選辛口)」がよく効き、ゆっくり眠った。南向きの居間は、晴れれば真冬でも日中は暖房 の必要はない。

 自宅から徒歩1分のところに哲学堂公園がある。村上春樹『アフターダーク』では、登場人物がタクシーに乗り「哲学堂」と行き先を告げるシーンがある。東京都中野区の北端にある。

(↑この護岸工事ばっちりの流れが、佐伯一麦に出てくる妙正寺川。)

 その昔、東008洋大学創設者の井上円了 センセイ012が私設し、その後東京都に寄付、今は中野区立公園である。

 園内には、四聖堂・六賢台という建物をはじめてとして、宇宙館、哲理門、絶対城などのいかめしい名前の建造物がいくつかある。が、今日は付属の梅園のみを散歩。八重 寒梅という種類の梅が咲いていた。

 

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『桐の花』

 用あってPhoto_18、『桐の花』を再読。大正二年(1913年)の発行である。

 いつ読んでも新しい。このモダンな歌集の発表当時の衝撃的を思うと恐ろしいほどだ。今ほど情報化されていない そのとき、時代を大きく引っ張ったというのはわかる。(タカアンドトシなら、欧米か!と頭をたたくかもしれない。)

 宮英子さんの華やぎのある歌は、まさにこの系譜につながることの証明である。

・やはらかきかなしみきたるジンの酒とりてふくめばかなしみきたる

・松の葉の松の木の間をちりきたるそのごとほそきかなしみの来るPhoto_19

・昨日(きのふ)君がありしところにいまは赤く鏡にうつり虞美人草(ひなげし)のさく

・このかなしき胸のそこひゆこみあぐる くるめきの玉は鉄の玉かも

 どれも、若き日の白秋の〈悲しみの型〉が、歌舞伎の見得を切るように表わされている。

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アブロードとフィッシュと海海海。

 英語科の同僚がセンター試験の発音問題に怒っていた。

abroad  /  approach  /  coast  /  throat 

のうち、下線部 の発音が違うのはどれかという問題。正解は abroad。

 英語では、ルールとして oa はオウと発音する。ただし、broad というつづりが入っている語の oa はオーと伸ばす。(マンハッタン島の broad way や、放送するのbroadcastなど。)

 これはもちろん有名な発音の例外だ。どこでもしつこく教える。だが、かの同僚氏はそんな些細な問題を繰り返していてはイカンと怒っていたのであった。その怒りに正義感を感じたのだった。

 では、ghoti と書いて、なんと発音するか。言語学の入門書に載っているなぞなぞである。

 答えは、フィッシュ。enough (イナッフ)のフ、women(ウイミン)のイ、station(ステイシュン)のシュ、であるというのだ。

 では、「海海海ちゃん」はどうか。高野公彦氏から聞いた話。

 海女(あま)のあ、海髪(おご)のお、海豚(イルカ)のい、でアオイちゃん、だそうだ。こういう名前があったのかなかったのか、氏も怒っていた。

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ヴォルケーノ。

 東京の地下鉄会社(東京メトロ)も、JRと同じくさまざまな商売を始めている。

 駅002構内のデッドスペースを改造して店舗にす るというのが手っ取り早い。東西線高田馬場駅では、ベーグル屋、スープ屋、お茶漬け屋、ジュース屋を集めて、小さいフードコートのようにしている。いかにも女性向けのこぎれいさ。

 その中のベーグル屋。1つ147円。店内で調理もしてくれるし、持ち帰りもできる。

 これがそのひとつ。チーズが乗っている。名前はヴォルケーノ。つまり火山。食べ物のネーミングというのは大事なものだと思わせる。

 ちなみに、ベーグルは2つに割ってクリームチーズをつけて食べるのが王道、だと思う。東欧系のユダヤ人の食べ物だったらしい。丸かじりしたりしないでくださいね。

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千住博展。

 山種美術館で開催中の「千住博展」にゆく。

 あの、ウォーPhoto_17 ターフォール(つまり、滝)の絵が好きなのだが、いままで見る機会がなかった。巨大なカンバスを立てて上から絵の具を流したり、スプレーで霧の情感を出したりしている人。現代日本画というのか、抽象と具体がうまく混じっているところがいい。

 今回は、フィラデルフィアにある日本家屋(?)「松風荘」の中の襖絵が中心。小さな展覧会。

http://www.yamatane-museum.or.jp/exh_current.html

 まぢ2007121_003かに見ると、やはりそのキメの細かい質感が伝わってきていい。吸い寄せられるような静かな力にあふれる絵である。

 そのあと、北の丸公園(←)を散歩。高田馬場駅でベーグルを買って帰宅。

 

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編集会。

 今日は「コスモス」の編集会。

 リーダーの武田弘之さんを先頭に、みなさん熱心に実務をこなしている。雑談を交えながら意見交換を自然に盛んに交わす。200712_014 みな仕事人という風情である。宮英子さんのダジャレも好調。もちろん、わたしも対抗する。英子さんの髪のむらさき度も増している。うつくしい。

 わたしの担当のページも原稿をチェックし入稿し、再来月号の執筆依頼をみなさんにはかって決めた。充実した時間で、これもまた私の〈大学〉のひとつである。

 実務と会議のあと、近くの蕎麦屋(「美たか庵」という)に食事にゆく。冬の名物はカキフライ200712_016 (だと勝手に決めているのは、厚木在住M里氏と私。)添え物のキャベツとレタスとトマトとキュウリもたっぷり食べる。フグの鰭酒も飲む。

 上が4人前、下が2人前。ヤサイは別の皿に盛られる。なぜカキフライは美味なのか、なせ、至福なのか。追求しつつ食べるわれわれであった。

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センター試験。

 明日から2日間、大学入試センター試験が行われる。

 高校1年2年の生徒たちの中には、予備校で時間を遅らせて行われる、同じ問題を使った模擬試験(?)を受ける人もいる。

 試験問題は、英語の場合、おおむね良問。解答を発表する都合上、正解の明らかですっきりした問題にせざるをえないようだ。

 話題で懸念のリスニングだが、試験そのものの弁別力(英語ができるかどうかの識別力)は、読みや語彙の問題と変わりないと思う。(読める人は聴けるのだ。)ただ、受験生が試験のためにリスニング学習に重点を置くことに、このうえない意義がある。

 勤務している私立中学高校も会場のひとつとなる。(明日は臨時休校。)よって、今日は生徒は3時半、教員も5時までには学校を退出しなければならなかった。5時ごろには、国立大学関係(と見られる)の人々が、各所に立ち入り禁止の結界を示すテープをはったりしていた。

  実は私、最後の共通一次試験(1989年)と最初のセンター試験(1990年)を両方受けている。会場はともに東京大学。センター試験では、ニース(姪)とネフュウ(甥)を間違えたことをいまだに覚えている。

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『色水』

 「短歌往来」2月号に、前田康子歌集『色水』(青磁社)の書評を書いた。昨年7月刊の歌集だが、備忘のためもあり、冒頭を載せてみる。

 技巧的にもテーマ的にも、とてもいい歌集だと思う。30代の女性ならもっと理解が深いのかもしれない。

とつとつとした物語

 この時代を生きる母親、そして女性の喜びや悲しみを、とつとつと述べる歌集である。素材や比喩の選択が巧みで、作者自身の感覚とPhoto_16 その心の声がしっかりと伝ってくる。

ぴょんぴょんと私が跳べば二人子は真似して跳べりどんな場所でも

蝋燭を二、三ともせば少しだけつつましやかな子供となれり

わがままをめったに言わない下の子がひよこ売り場の前を動かぬ

いつも馬にまたがる気分熱の子を荷台に乗せて走るときには

 

 子育てを題材にした作品はまるで現代の童話のようだ。全身で子供に相対する母親像と、それを見つめるもう一人の自分。このようにありのままに子供に対してあふれるいとおしさを言われると、読者は涙ぐむほどではないか。それは母親と子供が一心同体である時間の短さとかけがえのなさに作者が気付いてしまったからでもあろう。それが「どんな場所でも」「つつましやかな」などの語彙やリズムから滲みでている。(以下略)

 

 

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行くところ。

 「はじめての文学」という自選アンソロジーのシリーズで、(苦手にしていた)村上龍を読む。

 その中Photo_14の、「ワイルド・エンジェル」にあった一節。

 「行くところがあるっていったって、たい ていの人は、それは用事があるだけなのよ、そこへ行けと誰かに命令されてるのよ、兵士から大統領までそれは同じだと思うわ」

 「それをやってれば、どこにも行かなくて済むっていうものを見つけなさい、それができなかったら、あんたは結局、行きたくもないところへ行かなくてはならない羽目になるわけよ」

 なかなか村上龍である。

 歌はどうだろうか。

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総長への道。

 ある先輩にDVDを借りて、見た。

 「総長への道」「三代目襲名」「総長賭博」「遊侠列伝」

の4本。もちろん、やくざ映画。1965年から1971年の作品。鶴田Photo_13浩二や高倉健が主演。藤純子も出る。「3時のあなた」の人だ、なんて言ったら怒られるか。

 その中では、「総長への道」が一番しっかりできていておもしろかった。組織や形式の中で、しばられながら、もがきながら生きる姿である。緊張感があってレトロで、ときに滑稽なほどである。それに、とにかく鶴田浩二がかっこいい。

 こういう映画がひとつの時代を作っていたと知るのも貴重。

 小高さん、ありがとうございました。

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カギっ子。

 高校1年生の授業で、"latchkey child(ラッチキー チャイルド)" という言葉が登場したので、「カギっ子」と訳をつけた。

 ところが、数人の生徒から、
「カギっ子ってなんですか?」
という質問がきた。
 聞けば、その中にもカギっ子は含まれている。だが、自分がカギっ子であるという認識はない。

 そういう時代になっていることに軽く驚いた。もちろんカギっ子はもう特別な存在ではない。しかし、その言葉自体も認識されないほどになっているのだ。 

 厚生労働省の「平成16年度全国家庭児童調査」では、両親が共稼ぎしている18歳以下の児童は児童数ベースで54.7%となっているそうだ。(ウィキペディア参照http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%AE%E3%81%A3%E5%AD%90

)(中学生・高校生は児童ではなく生徒なのだが、それはさておき。)

 なるほど、多数派なのだ。

 これからは、親が家にいる子供たちに名前をつけなくてはならないのかもしれない。カギなしっ子、とでも呼ぶのだろうか。

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読書会。

 今日の夕刻は読書会。

 この読書会は、私が大学生のときに途中参加して以来15年以上、ほぼ毎月続いているもの。そのルーツは、そのずーーーと前からあるらしい。メンバーは、奥村晃作氏、高野公彦氏など6人のまま変わらない。

  参加当初は、『南海漁夫北山樵客百番歌合』をやっていて面食らったが、門外漢の私にも刺激的でたのしく、なんとかついてゆこうと必死だった。もうひとつの大学に行っているような気がした。

 その後、文庫で名作を(ドーデー『風車小屋だより』、中勘助『銀の匙』などの古典から、椎名誠やジェPhoto_9フリーアーチャーなどまで)読んだりしながら、ここしばらくは司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズを読んでいる。毎回、文庫版で100ページを目処にしながらもすでに全40巻のうち25巻を過ぎている。いつのまに!!という感じ。

  今回は、『耽羅紀行』。100頁ほどの内容について、各自が10分くらい感想やコメントを述べる。その負担の少なさが継続の理由なのだろう。その後の食事会での情報交換で教えを請うことも多い。

  とりあえず。

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『物語の始まり』

 松村由利子さんの『物語のはじまり』(中央公論新社)が届く。

 働く、食べる、産む、老いる、病む、別れるなど、テーマに分けて歌を読んでゆく。ただの鑑賞だけでなく、松村さん自身が濃くあらわれているエッセイという面も強い。元新聞記者の、社会と個人の関わりという視点も感じる刺激的な一冊である。

Photo_7   私の歌は、

・妻の傘にわが傘ふれて干されゐる春の夜をひとりひとりのねむり

・のちの世に手触れてもどりくるごとくターンせりプールの日陰のあたり

が引用されている。

 松村さんの歌集『鳥女』は今年度の第7回現代短歌新人賞(さいたま市主催)を授賞している。おめでとうございます。

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「沈黙」

 村上春樹に「沈黙」という短編がある。

 これが、3学期最初の〈現代文〉の授業の教材らしい。生徒が熱心に読んでいるので借りてきた。『レキシントン の幽霊』に入っていて、読んだことがあるはずなのだが、覚えていなかった。

 Photo_5 テーマは簡単に言うと、いじめ、だが、もっと深くてじっとりと強い文章である。

 「彼らは自分が誰かを無意味に、決定的に傷つけているかもしれないなんていうことに思い当たりもしないような連中です。彼らはそういう自分たちの行動がどんな結果をもたらそうと、何の責任も取りやしないんです。僕が本当に怖いのはそういう連中です。」

 直接に対立した一人の相手ではなく、その背後の「彼ら」を言うところ、そこを担当教員は読ませたいのではないのか。

 これが、「全国図書館評議会」から一冊193円で出ているのだが、村上春樹が採用を了承したところに、大きな意味があると思う。これは、近刊のアンソロジー「はじめての文学」(文藝春秋)でも、村上春樹自身が選んでいる。

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「硫黄島からの手紙」

    映画「硫黄島からの手紙」をようやく見た。クリントイーストウッドが日本語の映画を作ってしまうのだからすごい。渡辺謙、伊原剛志が演じている士官Photo_4 (?)が善人役であったが、ともにアメリカを経験しているという設定。いまでもアメリカを見た人を見ていない人では考え方の差が大きいような違う気もする。二宮和也の現代青年風な兵卒もよかった。日本人が配役をしたなら、もっと古風な顔立ちの役者を使ったかもしれない。

 

Photo

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発熱に冷水シャワー。

 今日から平常授業。

 高校1年生の英語に、〈オーラルコミュニケーション〉という怪しげな名前の授業があって、アメリカ人やカナダ人と共同で授業をやっている。今日はテーマは病気。ノージアは吐き気、スロウアップは嘔吐する、プリスクリプションは処方箋、などなど。

 スキットの中で、アメリカ人の医師が熱のある子に対して、薬を飲んで水分をとってコウルドシャワーを浴びなさい、と指示するところがあった。生徒たちはぽかんとしている。

 アメリカやカナダでは、熱のあるときには、冷たいシャワーを浴びて一時的に熱を下げるのだそうだ。湯船に水を張って浸かることもあるらしい。2人のまじめそうな教員が言うのだがらそうなのだろう。

 まったく大胆な人々だが、熱くて布団を中でもがいているよりもいいのかもしれない。

 バンクーバー在住のサトウさんにも、現地の事情をお聞きしてみたい。

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ともるランプよ。

 小島ゆかりさんの『高野公彦の歌』(雁書館)には、高野短歌と俳句の関わりが数多く指摘されている。重い腰をあげて、まず、『富澤赤黄男全句集』を手に入れて読む。

 沖積舎版(平成7年刊)なのだが、書肆林檎屋版(昭和51年)の新装復刊で、つまり、

・林檎屋版『富澤赤黄男全句集』六十八頁にともるランプよ (『水苑』)Photo_15

にあるのと、同じ68ページの見開きににランプの句がならんでいる(八句)。うれしかった。

・やがてランプに戦場のふかい闇がくるぞ

・靴音がコツリコツリとあるランプ

などである。

 他にも、

・鶏頭のやうな手をあげ死んでゆけり

・黴の花イスラエルからひとがくる

・恋人は土龍のやうにぬれてゐる

・春雷は 乳房にひびくものなりや

・うつむけば蟻 あほむけば ちぎれ雲

・石を噛む 氷 氷を噛むか 石

などなど、なんとなくだが、高野氏の匂いに近いものは感じる。分析はいづれ。

 みなさん、話題にしないだけで、密かに読んでいるのかもしれない。大水脈にぶつかった感じ。寡作なのが残念だけれど。

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歌の神様に向けて。

 現代歌人協会の会報(109)には、昨年10月の全国短歌大会報告が載っている。その特別選評に高野公彦氏の講話の要旨がある。

・ぜひ、選者に採られる歌、という考えを離れて、独自の歌を目指してください。そこにこそ個性の発揮があり、歌を作る楽しさがあります。

と話す文脈の最後に、

・選者に向けて作るのではなく、できれば歌の神様に向けて作りたいですね

という発言があった。

 最後の「ね」というところから、この言葉が御自身にも向けられているのではないかと感じた。高野さんから「神様」という言葉が出るのは驚きだが、そういう意識がどこかにあるということに少々驚いたしだい。

Photo_1 

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『編集とは~』

 鷲尾Photo_1賢也著『編集とはどのような仕事なのか』(トランスビュー)を読む。

  鷲尾さんはつまり、小高賢さんのこと。氏の近著『現代短歌作法』(新書館)を読んでいたのだが、(鈴木竹志さんの薦めもあり)積読から出してきて熟読。

 編集者の教科書としての実務的な内容から、「本」論、出版論を通じた現代文化論にまで広がる。正直で歯切れのいい文体は、いつもの小高さんの明るい声が響くようで、気持ちいい。

  編集者を〈教員〉、著者・読者を〈生徒〉と読み替えても通じるところも多い。がんばって自分を高めていけ、と励まされる感じの一冊でもある。

 

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『天の腕』

 棚木恒寿(こうじゅ)歌集『天の腕』(ながらみ書房)を読む。1974年生まれの作者。

 中の一首から〈天のカイナ〉と読むのだとわかるが、奥付にもあとがきにも明示がないのは困る。ついでに言うと、逆年順なのもどうかと思う。

・あ、ではなくああ、であろうか学校に踏み入るときの人の言葉は

・君が刃を当てて回せる梨の実の皮のほうより滲む水あり

など、しっとりとしていい歌もある。歌は巧い。だが、巧さゆえにか、肝心なところが隠されているようだ。韜晦というのか。それを楽しむべきなのかもしれないが、わかりにくいところが多いのは残念である。

 ちょっと辛口になったか。

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はかどる。

学校に行って、新学期の準備をする。

生徒のいない学校は静かで仕事がはかどる。と言うのはなんだかおかしいが、ふだんは、放送や電話などを含めて本当にうるさいところなのだと実感する。

06roubentop 夜、新宿の老辺餃子館で食事。干し貝柱の餃子と酸辣湯(サンラータン)に感動。山西省名物の刀削麺も食べる。

http://www.rouben.co.jp/top01.html

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ショート・サーキット。

 年末に鈴木竹志さんから勧められていた、佐伯一麦の初期作品集『ショート・サーキット』(講談社文芸文庫)を読む。吉川宏志さんも愛読しているという作者だ。

 私小説の愉しみということもあるが、じんわりとした情緒はやはり吉川作品に近いものがあるようだ。以前読んだ、『ア・ルース・ボーイ』よりもずっとよかった。でも、あれだけの内容を書いてしまったら、家族は困るだろうなあとは思う。短歌であっても、ためらわれるところだ。

 驚いたのは、佐伯一麦が、22歳のころ、私が現在住んでいる、中野区の(西武新宿線)新井薬師前駅近辺に住んでいたということだ。〈妙正寺川〉も登場するので、わが家から徒歩10分以内だろうと推測する。不思議な縁である。

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和子さま。

 高野公彦氏宅に年始の挨拶にゆく。

 奥様、長女夫妻とその娘さん、次女(『甘雨』の装画担当)、K山K男さんの計8人。長女の娘さんは、『甘雨』で、

・わが家に一歳半の和子様(わこさま)の来て遊ぶ日は刃物を蔵(しま)ふ

と詠まれた子だが、すでに3歳。浅田真央の物真似といって、片足を後ろに上げて両手で持つしぐさをする。ジャンプと言って飛び跳ねる。ただ、トリノオリンピックのときには小さいすぎて、荒川静香を知らない。現在だけを生きているという感じ。

 その後、高野さんの仕事場で、映画「マスク」を2度繰り返し見て、帰宅。

 

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厚木。

用あって、厚木市(神奈川県)に行った。新宿駅から急行で50分。小田急線本厚木駅から車で30分くらいのところ。こんな看板を発見。

200712_001_1 おみやげにもらった白菜と里芋が重かった。

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チャングムとテジャングム。

 年末に、NHK「チャングムの誓い」の総集編を(いまさらながら)少し見た。スピーディーな編集で退屈しなかった。

 気になったのは、国王に向かって、「オーサマ」と呼びかけるところ。日本語なら「ヘーカ」、英語なら「ユア マジェスティ」と言う場面だろうか。オーサマというと、子供劇みたいな感じがする。 どう吹き替えをするのか、むずかしいところだ。

 漢字でどう書くのかが不明な部分をNHKのホームページを見ると、チェゴサングン (最高尚宮)、スラッカン(水刺間)、テジャングム(大長今)などとあった。

 〈長今〉は、それだけだとチャングム、〈大〉がつくと濁って〈テ・ジャングム〉となるそうです。なるほど。

 数日前まで、「チャングムの呪い」というタイトルだと思い込んでいた私でした。

http://www3.nhk.or.jp/kaigai/chikai/index.html

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あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。200612_003_2

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