『メロディアの笛』。

Photo 渡英子さんの『メロディアの笛』(ながらみ書房)。

 刊行前からご依頼いただいていた短い書評をようやく送ったところ。

 散文に対する評は意外と難しい。とくに、こうした時代を追っての一冊に対しては。

 これだけの資料を集めてごりごりと書いてゆくのは相当の技術と気力あってのことだとわかる。

 さすが渡さんである。

 今年が白秋の没後70年。

 高野公彦さんのラジオ「北原白秋 うたと言葉と」(NHK第2 金曜日午後8時半~)の企画も、そうした区切りを意識してのものなのだろう。

 『メロディアの笛』では、「日光」廃刊後の白秋の歌集については触れられていない。

 おそらく、渡さんは別枠でなにか準備されているのだろう。

 楽しみに待ちたい。 

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はぐれたる。

Ca3g2856 今日も、大辻隆弘さんの『汀暮集』の歌をきっかけに。

・はぐれたる表紙を粘着テープにて補修してありき裕子さんの辞書は

がある。

 河野裕子さんへの眼差しがすごくいい。

 「はぐれたる」に立ち止まる。

 昨年、千葉の人が宅配便の伝票の一枚目を「はぐってください」というような言い方をしているのを耳にしたことがある。(記事にした。)

 たぶん、この歌では「めくれて剥がれてしまった」という意味ではないかと思う。

 広辞苑には「はぐれる」には、そういう意味は出ていない。

 とすると、方言なのかなあ。

 この歌の場合、「はぐれたる」の方がいい。

 写真は、大久保駅すぐの「ベトナムちゃん」にて。

 イカとパイナップルの炒めものだったかな。

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『夕照』。

Yuu  江田浩之さんの遺歌集『夕照』(柊書房)をいただく。

 こうだ・ひろゆきさんの「ゆうしょう」と読む。

 「コスモス」の歌人で、私が〈О先生賞〉の選考をしたときに、2年続けて上位に推したこともあった。(受賞には至らなかったが。)

 長く透析をされていたそうだが、昨年の1月25日に亡くなられたのだった。

 日常のちょっとしたできごとや光景をそのままに詠みながら、鋭く温かな視線とほのかなユーモアを感じさせてくれる歌。

・谷川に歩幅をとりて並びゐる石を渡れば瀬音かはりぬ

・みづからの形と違ふ影を置き石ころひとつ土にころがる

・半熟の卵つるんとむかれゆくこんなひとときこの世にはある

・テーブルにつかまり歩く幼子よ死ぬまで歩く足と承知か

・借りて来し本に引かるる線を消すだれかの過去をこつそりと消す

 こんな歌が特にすばらしい。

 合掌。

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ひりょうづ。

Ca3g2846 大辻隆弘さんの『汀暮抄』に、

・病み慣れてゆく恥(やさ)しさは飛龍頭とモヅクと買ひて帰りきたりぬ

があった。

 「恥しさは」以下に文脈のねじれがあるところが渋い。

 ムラト(腎)を病まれていると他の歌にあって心配。

 それはそうと、「飛龍頭」がわからず、広辞苑でヒリュウズからヒリョウズに飛ぶ。

 「がんもどきの関西での異称。」

ともある。大辻さんは。三重県松阪市にお住まい。

 「がんもどき」の項目の記述と少しずれるけれど、同じものなのだろう。

 モヅクとともに、腎臓にいいのかな。お大事になさっていただきたい。

 写真は、東京駅黒塀横町の「二汁おでん 羅かん」にて。

 ガンモでないけれど。おいしいお店だった。 

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『早熟みかん』。

Ca3g2812 喜多昭夫さんの『早熟みかん』(わせ・みかん)。

 さまざまに工夫を凝らしてみづから楽しみ、読者を楽しませようとしてくれる歌集。

 そうとう思い切ってハジケテいらっしゃる。

 ただ、文体的にも素材的にも、弾みすぎ俗っぽくている印象はぬぐえない。

(もちろん作者はそれを目指しているのであろうけれど。)

 その中でいいと思うのは、

・中年のわれはなかなか使へない色鉛筆の白に似てゐる

・「なでしこジャパン」みな知れども知覧高等女学校「なでしこ隊」知るもの寡し

・梅干のどぼんと沈む白粥を啜れば生きてみようと思ふ

などの、ひっかかるもののある歌。作者はまだまだこういう方向で行けると思うし、がんばっていただきたい思う。

(プリンタの不調により書影は無しです。すいません。)

 写真は、海鮮居酒屋〈はなの舞〉富士見ヶ丘店にて、イカの丸焼き。

 こういうものがいちばん落ち着く。

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汀にくだる。

Ca3g2824

 大辻隆弘さん『汀暮抄』その2。

 生活のなかに、柿や柘榴がひんぱんに登場する。

 都会生活者からするととてもうらやましく、ぜいたくなことのように思える。

旅行詠や喪の旅の歌もいい。どれも自然と作者の呼吸が合っていることを感じる。

・橋のかげの寒くかがやく泥(どろ)の上にひとは錆びたる鉄板を敷く

・膝に陽が当たり始めてゐしことがまどろむ前の最後の記憶

・湖の岸の宿りのひと夜ゆゑさびしといひて汀にくだる

 あるいは、こういう歌も混じっていて楽しい。歌集全体のトーンとははずれるけれど。

・僕的にはありだと思ふんですよねと言ふ若者よ殴つてもよいか

・若きらの歓を買はんとする卑し誑(たぶら)かしゐるとまでは言はねど

 写真は、新大久保〈クンメー〉にて。

 クィティオ ナーム(屋台風汁そば)などのランチセット。

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賞状。

Ca3g2759

 今日は、北原白秋の誕生日(1885年)。

 生誕127年目ということになるか。

 それはさておき、土曜日のNHK短歌大会で。

 ジュニアの部の表彰式があって、小学生の男の子に賞状を渡した。

 もにゃもにゃと読み進めて、最後にNHK会長とNHK学園理事長の名前を読む。

 なんだか不思議な感じがした。

 そういえば、人の名前で賞状を読みあげたのは初めてかな。

 写真は、中野〈ジョバンニ〉の生ハム。

 パルメジャーノチーズがかかっているのもいい。

 ワインに合う合う。

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『汀暮抄』。

Photo  大辻隆弘さんの『汀暮抄(ていぼせう)』(砂子屋書房)をいただく。

 大辻歌集はどれもタイトルもいい。

 すでに大家の風格をもって、若い世代の歌にアンチテーゼとして立ちはだかるようだ。

 まさにプロによるプロ向けの作品という印象。

 一文字一文字をゆっくり付き合わされてゆくうちに、短歌本来の定型に呼吸があってゆく心地よさがある。

 これぞ短歌である感じ。これぞ良質のアララギであると言うべきかもしれない。

 やや低温で擬古的な文法でねじ伏せるところが気にならなくもないが、これはこれ。

 読み進めるうちに、自分の言葉も汲みだされてきて、歌を作りながら読んだ。

 まづ、前半からいいと思う歌を挙げておきたい。

・朝の雨はことばを綴るやうに降るとぼしらに立つ葱のかたへに

・わが影を先だたしめて歩むとき樹々の影よりわが影は濃し

・黄の蘂の椿たかきに咲く角(かど)をやがて曲がらむまでの数秒

・夏の河の水のひかりは橋上をよぎれるときに網棚に射す

・雨粒が斜めに窓をのぼりきてわが飛行機は機首を下げゆく

 ながく歌を読んで来ると、こういう歌の良さがわかる。それはとてもうれしいことである。

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和ッサム。

Ca3g2753 おとといは、NHK全国短歌大会@NHKホール。

 私はジュニア部の選者だったので、全体でしゃべることはなし。

 観客席の最前列に座って、数秒カメラに抜かれただけ。(それと表彰式・懇親会。)

 勤務校が「学校大賞」(つまり日本一)に選ばれた。

 生徒の一人が「大会大賞」(全国で3名のうち)に選ばれた。

 これは、他の2人の選者のおかげ。(細かくは言えないが私が選んだのではない。)

 ただ、昨年度、穂村弘さんの文章で歌の初歩を学び、そのあと穂村さんご本人の授業を聴けたのが、生徒を刺激したのだと思っている。

 国語教員の企画の勝利である。

 写真は、沼袋〈たんどーる〉の「和ッサムスープ」。

 南インドのラッサムスープを和風にアレンジしたものだという。

 豆腐、梅干し、昆布、紫蘇、胡麻が入っていてうまい。

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山鳩忌。

Ca3g2818

 「コスモス」2月号。

 高野公彦の歌に。

十二月十一日の〈山鳩忌〉起きて冷たき畳を歩く

があった。

 12月11日(1986年)は宮柊二の忌日。

 しかし、「〇〇忌」という呼び方が(柊二忌とはなんとなく呼ぶけど)無い。

 そこで、〈山鳩忌〉を提案しているのだろう。

 文学忌は、糸瓜忌、白桜忌、桜桃忌、河童忌、などがある。

 だが、白秋忌も茂吉忌もそういうシャレた呼び名がない。

 自分でつけておけばいいのかな。

 写真のラベルは、「英君」と書いて、エイクンと読む。

 静岡県由比町のお酒。

 お買い得という酒店店主の言葉に乗せられて買って正解。

 まじめなお酒という印象。

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撥ねてころがる。

Ca3g2828 前田康子さん『黄あやめの頃』のつづき。

 マエダヤスコさんだから、略称マエヤスになる(らしい)。マエアツからの連想で。

 それはさておき、後半から。

・さびしさに分解したるボールペン小さいばねが撥ねてころがる

・庭土を掘り起こししとき一度だけ卵を抱きし母ムカデ見き

・五分前に初めて会いし歯科医なり奥歯の底を丹念に掘る

・ささやかな時間を山にもらいたりバスに斜めに眠りて帰る

・夏祭りの灯りの消えて去年ほどはしゃがぬ娘と夜道をもどる

など。

 歌集というのは不思議なもので、こうして抽出しない「地の歌」もいい。御一読いただきたい。これだけいい歌集は1年間にそれほど出ません。

 写真は、新大久保〈麗郷〉百合の花のスープ。黄あやめじゃないです。

 台湾料理っぽい一皿です。

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『黄あやめの頃』。

Photo  前田康子さんの『黄あやめの頃』(砂子屋書房)を読む。

 前田さんは、大好き歌人のひとり。

 日常の中の小さな物語の場面を、増幅せずに焦点を絞り込むことで伝える。

 劇化せずに、切り取り方の巧さで魅せるというのか。淡くてしっとりしているというのか。

 プロの歌人の技である。

 この歌集でも、過ぎてゆく時間を子供などを通して愛惜する感じ。せつなくなって何度も泣きそうになってしまった。

 まづ、前半から厳選して抽出しておきたい。

・自転車の速度が似合う川べりを行けば息子の眼鏡は光る

・枯れ葦につまづきかけている我を老母のように子らは支える

・死後のこと想定しながら物を買う母となりたり会わないうちに

・象の絵の長靴はいていた頃のあんな足音子はもう出さぬ

・実がなれば思い出したる花梨の木自転車の陰重ねてとめる

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鶏そば。

Ca3g2816

 「ふらんす堂編集日記」に、角川「短歌年鑑」での発言を少し引用いただく。

 さて、沼袋駅(西武新宿線)前へ。

 線路沿いの、四川麺条〈香気〉へ。

 胡麻の香りの強い担担麺のおいしい店。

 だが、この日は、喉に刺激を与えないように、〈鶏そば〉

 シンプルなスープの微妙な塩加減がいい。

 鶏肉は、塩水でつける調理法なのかもしれない。

 繊維の歯応えがやわらかく、味も塩味に丸みがあるかんじ。

 こういううまいスープのベースがあってこそ、胡麻や唐辛子が生きるのであろうなあと想像させる一品であった。

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ヨーヨー問題。

Ca3g2777 過日、原賀瓔子さんの『星飼びと』のミニ批評会を開いた。

 その中のやりとりで、

わが裡の少女ひそけく生きのびてけふ夜祭でヨーヨーを買ふ

の「ヨーヨー」が気になった。

 文脈からおそらく、

縁日で盥の水面から釣り上げる、拳大の水風船(手の平でパンパン叩くやつ)

を指すだろうと推測した。

 だが、辞書的にヨーヨーは、

饅頭型の2個の木片を短軸でつらね、軸に巻きつけた紐の一端を手に持って垂らし、回転に伴う反動を利用して上下させるもの。(広辞苑)

である。

 では、前者は何と呼ぶのか。ツイッターで聞いてみると、

ヨーヨー風船、水ヨーヨー、ヨーヨー釣り(これは行為かな)などの教えを請うことができた。

 そう言われてみると、そんな気がしてきて、もやもやが少し晴れる気がしたのであった。

 みなさま、ありがとうございます。

 写真は、中野〈オリエントスパゲティ〉の、ずわい蟹のクリームソースのフェットチーネ。これは最高。

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月和茶。

Ca3g2809 用あって、吉祥寺へ。

 2年ほど住んでいた街。いつ来てもなつかしい。

 東急百貨店裏(駅からみて)の〈月和茶〉へ。

 ゆえふうちゃ、と読む。

 「本格台湾茶と台湾家庭料理」と銘打っているとおり。

 台湾の茶芸館のような内装。

 写真は、ランチで、鶏肉飯と小龍包のセット。

 香りのよいタレと薬味とご飯が合う。

 薬膳のような感じ。

 お茶は、「八宝茶(パーパオチャ)」。

 緑豆、さんざし、クコ、白木耳、陳皮などが入った、飲み飽きないお茶だった。

 こんどは夜の部に来たい。

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